08.「19世紀末大韓帝国政府,現竹島·鬱陵島を韓国領土と正確に表示」というのは歪曲

韓国側は、19世紀末に製作された朝鮮地圖、大韓地誌の付属圖、大韓與地圖をもちいて、その鬱陵島の北東部に書かれた于山が現竹島だと主張する。ではその形状を検証してみる。


左から朝鮮地図(1898)(1899-1906の大韓地誌の江原道圖も同じ) 大韓全図(1899) 大韓與地図(1900年頃)

検証結果は以下の通りになる。つまりこれら地図における于山は現竹島ではなくて、竹嶼である事が判定される。
 
朝鮮地圖
大韓地誌
大韓與地図の于山
判定
竹嶼
 竹嶼判定
現竹島
 現竹島
 位置 鬱陵島の北東 合致鬱陵島の北東合致せず鬱陵島の南東
 距離 近距離隣接合致約2km合致せず約90km
 島の数
 一島合致一島合致せず二島
 形状 南北に長細い合致南北に長細い合致せず 二つの岩島合致せず

これらの鬱陵島の形状は、江原道圖、および朝鮮半島全体圖に記載されていて、詳細図ではないが、・鬱陵島調査詳細図から外環を引き写して島内の描写を簡略化した地図である。この地図に年代とデザインが近いものは二つのものが考えられる。

1.1880-1890年代の地圖 江原道と鬱陵島圖。此の地図のデザインは角型の鬱陵島地圖を踏襲しているが、
この地図の特徴である、最も著者な付属島である于山島竹嶼と、南に付属の5島が記載されている。
一連の朝鮮地図江原道圖・大韓輿地図、大韓地誌江原道圖ならびに大韓全図の大韓全図などとデザインが似ていて、比較的時代が近いものに関しては、
1895.12月20日の、輿載撮要.江原道(韓国中央図書館古朝60-20)がある。(下記地図左もしくは上)この地図は、1884-1888 19C中旬[憲宗-高宗初(1835-1894)頃 作成の『地圖』 三陟圖 江原道圖+鬱陵島 高麗大学図書館 (下記地図右、もしくは下)所蔵のものと同じものである。    

これら、圖の特徴は、角型の鬱陵島地図以前の鬱陵島ずである円型の鬱陵島地図にさかのぼり、最終的には1711年の朴錫易などの朝鮮王朝鬱陵島調査員の鬱陵島詳細図に突き当たる。
つまり、この于山は朴錫易に代表される調査員の地図に記載されているように、その鬱陵島の範囲は東西80里南北50里以内にある島、つまり竹嶼であり現竹島ではない。
kの地図においても、鬱陵島が東西80里、南北50里の間に記載されている。もし、朝鮮が現竹島を領土と認識していた場合、1694年の張漢相がみた、南東に200輿里にある島を記載するはずだが、その位置には何も記載されていない。

2.大韓地誌に付属の大韓全図(朝鮮半島全体圖)に記載されているものは、小5島ではなく、小4島が記載されており、
朝鮮地圖や大韓全図の江原道圖や大韓與地圖と若干デザインが異なる。
これは、1882年の李圭遠の鬱陵島外圖を90度右に回転すると、ほぼ同様のデザインに合致する。
つまり孔巌を于山と間違えて記載した可能性もあるかもしれない。

なぜ、鬱陵島外図を時計回り90度にしてみたかというと、その理由は、以下の文章にある。




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