のうち、虚偽の指摘に対する説明を段落を下げて書いていきます。
(寧越=聯合ニュース)日本が独島(ドクト、日本名:竹島)に続き東海表記まで挑発する中で「記号
で表示した世界の人の約束」である地図は300年余り前から「東海が韓国海」という真実を語って
いるという主張が提起されて関心を集めている。
早速、今回のこの文章から、韓国は、「東海」は間違った主張である事を認めたようです。その上、今度は、「韓国海」として、新たな反日プロパガンダの攻勢に躍起のようです。
15日江原寧越郡水周面ホヤ地理博物館ヤン・ジェリョン館長が出した「私たちの土地、独島・東
海・韓国海」によれば西洋に韓国と日本の間の海が西洋に初めて知らされたのはハメル漂流記
が出た1668年以降だ。韓国で生活した最初の西洋人ハメルが半島の事実を知らせる前まで西洋
地図に韓国は島として表示された。
これまで韓国と日本はアジア大陸の東側の海、すなわち東方海(Mer Orientale)の中にある島だっ
た。だが、ハメル漂流記で韓国が島ではなく半島であることが明らかになり、韓国の東側と日本の
西側の間に小さい海ができた。この新しい海の名前がすなわち「韓国海(Mer de Coree)」だ。
これを始まりに17世紀末から19世紀始めまで世界のすべての地図は韓半島東側の海を「韓国
海(Sea of Korea)」と表記した。1748年、フランスのパランの中国地図(L'EMPIRE DE LA CHINA )、
1749年フランス、ポガンディの日本歩幅(?)地図(LE JAPON)等、ホヤ地理博物館が所蔵している
西洋古地図にはこの海の名前がすべて韓国海(Mer de Coree)と表示されている。
ハメルを韓国人は拉致監禁しましたが、それ以降すぐにMer de Coreeが定着したとすると、1720年代のDu hadleの中国誌などに、Mer du Japonが記載されているのは不可解です。
確かに、17世紀後半から、朝鮮半島が地続きの細長い半島として描かれるようになります。だがしかし、朝鮮版図地図が具体化するのはD'anville以降になります。
また、17世紀末(1600年代)から19世紀始め(1800年代)の世界のすべての地図は朝鮮半島東岸の海を
「韓国海」と表記していません。これは確認すればすぐわかることですが、なぜ、このような嘘を億劫も無く主張するのか、非常に残念に思います。
確かに、D'anvilleの中国誌以降、La Perouseの登場まで、60年間は、朝鮮海は優勢な状況でした。
しかし、1680-1710年くらいですと、まだ、Mer orientaleなどが混在していますし、1720年代のDu hadleの中国誌などに、Mer du Japonが記載されていますから、ハメル以降に一時的に定着したというのは疑問があります。
Danville以降、LaPerouseあたりまでというならそうでしょう。
La Perouse, Broughton,Basil hall,Krusensternの日本海や朝鮮沿岸の航海の結果、地理情報が大幅に増え、その結果、中国の東側の地理情報として、Sea of JapanとStrait of Coreaが固まっていくことになりました。
一方で、Mer de Coreeは、フランス等の地図では、現在の東朝鮮湾などに記載され、それがGulf de Coreeや、Broughton bayという名称に変化していくことになります。
The Process Mer Du Coree become Broughton Bay, TongJoseonMan today.
↑ホヤ地理博物館が所蔵している 西洋古地図にはこの海の名前がすべて韓国海(Mer de Coree)と表示されている。
:ホヤ地理博物館はプロパガンダのために意図的にMer de Coreeと記載されている地図だけ展示しているのか?と疑いたくなります。
当時「日本海(Sea of Japan)」は東海(韓国海)ではなく日本本州南側海であった。ホヤ地理博物館
所蔵1752年パランの日本地図(CARTE DE L'EMPIRE DU JAPON)にはこのような韓国海(MER DE
COREE)と日本海(MER DE JAPON)の位置が明確だ。
この地図を見てみましょう。(大阪大学図書館蔵)http://www2.library.osaka-u.ac.jp/tenji/maps/map005.htm
たしかに、この地図では、日本の南岸に、「Mer du Japon」の記載があります。
しかし、この時期のほかの地図を見てみると、このような例はそれほど多くないことがわかります。
ヤン館長はこの本で韓国海が19世紀以後、西洋の近代地図から日本海に変わり始め、これは当
時の日本が韓国より西洋世界にさらに良く知られていたためだと分析した。1815年、トムソンが描
いたのも「韓国と日本(ホヤ地理博物館所蔵)」には韓国海が日本海に変わって表記されている。
そして、この日本海は国際水路機構(IHO)の1929年、世界の海の名前決定で現代世界各国地図
に韓国海の代わりに登場し始めた。
:1929年どころか、既に1850年代の欧米等の水路誌は日本海が共通して使われている事実を無視しているようです。この1850年代の日本海周辺の地理が定着化していく過程は、La PerouseからKrusensternなどの航海に基づくところが大きいのです。
しかし、日本は1882年まで自国の地図(大日本朝鮮八道支那三国全図)に韓国海を日本海ではな
く'朝鮮海'と書いた。朝鮮海は我が国が朝鮮時代に表記した韓国海の名前だ。朝鮮海は大韓帝
国時代には'大韓海'で、大韓民国時代には'東海'で各々通用した。
日本は1882年まで自国の地図(大日本朝鮮八道支那三国全図)に韓国海を日本海ではな
く'朝鮮海'と書いた。
:→大日本朝鮮八道支那三国全図を見てみます。
日本海には、”日本西海”と記載されています。
一方、朝鮮海と書かれているのは、朝鮮半島の東沿岸部から朝鮮海峡にかけてです。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/japan_korea_china-1882/
(田中邦貴氏 竹島問題)
この地図の例のみならず、韓国側は、日本は日本海を「朝鮮海」と書いていた、としていくつかの地図を提示しますが、 よく調べてみると、日本海部分ではなく、朝鮮東岸や、朝鮮海峡を示しているのがほとんどです。
Japanese map describes "朝鮮海"Corean sea?.
また、そもそも、1790年に、既に.華夷一覧図 木村蒹葭堂 が日本海と記載していますし、
1802.年の采覧異言などでもそうです。http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/2009/07/blog-post.html
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/kaiichiranzu-1790/
(田中邦貴氏 竹島問題)
ヤン館長は偏った民族主義と反日プロパガンダのためには調べればすぐに嘘だとわかることを平気で主張する方のようです。
ヤン館長はこういう日本が露日戦争(1904~1905年)以後、独島領有権はもちろん東海表記まで
主張し始めたという。1904年までだけでも独島と鬱陵島の位置を間違って表記するほどだった日
本は東海で起きた露日戦争で独島の戦略的重要性を認識し、独島領有権を主張する「島根県告
示」を急いで発表するなど侵奪野心を露骨化し始めた。
1904年までだけでも独島と鬱陵島の位置を間違って表記するほどだった日 本は
→シーボルト以降、1905年までの近代的な西洋の技術に基づく日本の地図では、竹島は存在しないアルゴノート島を指し、松島は、ダーシュレ島、つまり松島鬱陵島を指します。 1905年以前は島根の竹島はリアンコールド岩として海図に記載されていました。
西洋はもちろん日本古地図で独島と鬱陵島の位置が変わっているが、その理由は我が国の古地
図の製作上の秘密のためだと説明した。我が国の古地図製作者は鬱陵島東側の遠海にある独
島を同じ地図に表記しにくかったので、すぐに独島を鬱陵島の西側に描く方法を使ったと推定され
るということだ。
:上の写真のような1694年以前の地図で、于山島が西に記載されている理由は、全く解明されていません。ホ氏の説明は単なる推定に過ぎません。1694年以前の朝鮮の地図は、地誌に書かれた、于山島と鬱陵島の相対的な位置関係が書かれていないことから、時には鬱陵島の西側に、時には北西に、時には南西に書かれていることから考えられます。1300-1711 Korean antique maps
しかし、この著者は、1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図、つまり鬱陵島調査結果を反映して作成された図に記載された于山島が東に、南北に細長い一島で、北部に山があり、竹が生えている島として記載されていることを無視しているようです。
おそらくは意図的に無視しているでしょう。それは、この于山島が島根の竹島で無いことがばれてしまうからです。http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/
こういう理由で1905年まで日本で製作されたすべての地図には竹島、すなわち独島が松島として
書かれ、鬱陵島左側に内側に表示されたし、こういう誤りを日本が修正しないのは独島と鬱陵島
が自国領土ではなかったためだったと解釈した。
シーボルト以降、1905年までの近代的な西洋の技術に基づく日本の地図では、竹島は存在しないアルゴノート島を指し、松島は、ダーシュレ島、つまり松島鬱陵島を指します。 1905年以前は島根の竹島はリアンコールド岩として海図に記載されていましたが、これが記載されていない地図もあります。 まあ、1905年以前に領有意識がなかったとは言えますが、一方で韓国側には島根竹島を実効支配した記録はありません。 また、韓国の地図には島根の竹島(韓国称独島)は記載されていません。
・1880年の戦艦天城の鬱陵島調査の前と後の公的な地図の変化
・竹島アルゴノート島 松島ダーシュレ島の地図を、鬱陵島と独島と嘘をつく韓国メディア
ヤン館長は"日本が独島を侵奪しようと最近では「日本海表記」論議を起こしながら大韓海峡まで
日本海峡(対馬海峡)に変えようとしている」として「これを遮断しようとするなら感情的対応よりは
世界の人が表示した地図など、より確実な証拠を客観化するなど論理的に堂々としていなければ
ならない」と話した。
管理人註:朝鮮海峡(Strait of Corea)は、La Perouseが日本と朝鮮の間を通り、日本海を航海した跡、欧米で
Sea of JapanとともにStrait of Coreaは国際慣習表記となりました。 日本ではこの海峡を対馬海峡と呼んでいますが、朝鮮海峡を対馬海峡に改名すべき、と主張していることは聞いた事はありません。
おそらく、韓国にありがちな反日扇動のための虚偽のプロパガンダであることが考えられます。
ソース:聯合ニュース(韓国語) <東海は300年前世界が認めた'韓国海'だ>
http://www.yonhapnews.co.kr/local/2011/08/15/0809000000AKR20110815045000062.HTML