「日帝時代、独島にも慰安婦がいた」 日本の雑誌 「独島海女実態」報告
2011年 2月14日 トゥデー・コリア
http://www.todaykorea.co.kr/news/articleView.html?idxno=1...
キム所長が手に入れた2006年5月号の「サイポ」で、ヤマモト・コウイチ日本記者は、鬱陵島から竹島に雇用さ れた海女たちがいたと次のように書いた。「飲み物もなくて岩礁で長期間にかけて男たちばかりの生活は味気なく、食事の支度も非常に大変だった。海女たちは 昼間は海でアワビやワカメを採取して、夜になれば酒の世話をし、その後夫婦関係を結んで隠岐島に定着する場合もあった」。コウイチ記者は、朝鮮海女たちが昼夜仕事をして、男たちよりも賃金を多く受けたと伝えた。
「サイポ」には、日本が1905年以後「竹島漁業合資会社」を作ってアシカ、ワカメ、アワビ、サザエなど海産物 を採取するために1941年に済州島から海女16人を連れて行ったが成功することができなかったという記録もある。記事によれば、その前にも日本人3人が 朝鮮人の10人余りを独島に連れて行き、アワビと海産物を独占採取した。当時、独島には漁業会社の職員たちが住んだ家があり、海女たちの宿所まであった。
一方、また、別の日本人吉田清治氏は、著書「私の戦争犯罪」 において、自分が直接朝鮮の女性たちを強制的に連れて行ったという事実を白状した。彼は、「隊員たちが娘 12人を逮捕した。前後では軍人たちが銃剣を構えていて、娘たちは逃げることができずに膝まづいたまま地を叩きながら叫びを上げた。」とし、彼女らの中で 鼻血を流した娘は頭を激しく振りながら狂人のように泣いたりした、と言った。
清治氏は、また、「徴用された海女たちの宿所は工兵中隊に頼んだ方が良さそうだから工兵中隊の中尉に頼んだところ、日本人中尉は、強制連行された海女た ちを資料倉庫に収容すれば兵士たちが好きなようにできるだろうと言った。」と証言した。彼は、自身が連行した海女が皆で206人であり、彼女らを主に軍部 隊の慰安所に送り、ときに民間企業の現場に送ったりもした」と明らかにした。
(ここまで、茶阿弥氏の翻訳 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/53266598.html )
「飲み物もなくて岩礁で長期間にかけて男たちばかりの生活は味気なく、食事の支度も非常に大変だった。」(この部分はsapioのヤマモト氏からの引用)
とありますが、是は事実と異なる部分です。長期間も竹島には滞留しません。竹島における漁業は三月から九月程度までの期間限定であり、初期においては大体4-5日、漁が本格的に開始された後でも、十数日程度と言った短期滞在で引き返すと記録にはあります。
「鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に至りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小屋に於いて毎回十数日ほど滞在し多量の収穫をなし、猟後または風並み強く碇泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。」(1906.06.地学雑誌 第210号 隠岐国竹島に関する地理学上の知識 田中阿歌麻呂)
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/chigaku...
なぜ、欝陵島よりも遠い済州島から海女を連れてきていたか、と言うことですが、これは理由があります。まず、1882年の移住開始後(欝陵島は長らく渡航 禁止の地になっておりました。)当時の欝陵島民は江原道や慶尚道からの移住者がほとんどで、勝つ其のほとんどが"農業”に従事しておりました。漁業は沿岸 で雑魚やわかめを取る程度でした。本格的な欝陵島における漁業は日本人は1903年ころから、韓国人は1907年ころから、と遅れているのですが、これ は、日本人が韓国人に漁業や日本漁船を伝授することから始まりました。この草創期、厳しい漁場である竹島にもぐる欝陵島の人材は居らず、当時から既に済州 島での海鼠漁(清国に輸出するために、海鼠を取っていた)で優秀で評判の有る済州島の海女が必要でした。このために、済州島の海女を雇って竹島で使ってい たのです。この済州島の海女さんの話は、神奈川大学常石教授「漁民の活動と其の習俗2」「暮らしの中の芸能と文化」が詳しかったと記憶しますが、一読され れば幸いです。
この竹島合資会社の、つまり中井の建物は、1904年の戦艦新高の竹島調査の時点で既に存在が確認がなされ、竹島編入願いの審議の際にも確認がなされてい るものです。のちに、中井の竹島における漁労活動は、日本政府から漁業免許を与えられると言う形で認知されることになりますが、「海女たちの宿所」といっ た、建物があったかどうかは、現在のところ史料では確認が取れていないはずですが、新高の日誌には二、三件の小屋があったと報告があります。しかしなが ら、この報道の、「日帝時代、独島にも慰安婦がいた 」と言うタイトル読んだ後、韓国読者はこれがまるで慰安所であるかのごとく錯覚・印象操作を受けるこ とを狙っているかのような悪質な文章です。
*参考資料として、欝陵島の漁業状況を記したものを置いておきます。
https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/ull...
しかし、死者に口なしなのか、
『海女たちは昼間は海でアワビやワカメを採取して、夜になれば酒の世話をし、その後夫婦関係を結んで隠岐島に定着する場合もあった」』
はたして、
この話の、一体どこが慰安婦なのか?
全く当時の海女の誇りさえも傷つけてでも、反日のための歪曲プロパガンダを創作したいのか?全く関係のない文章を最後につけているようです。しかも、それ は、今ではその証言が否定されている吉田清治の虚言を引用して、まるで、済州島の海女が慰安婦であったと印象操作、反日の材料にしているわけです。
吉田の虚言は、済州新聞の反論が有名ですが、
簡単な概要は以下の話をごらんください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%...
http://koreanworld3.web.fc2.com/enjoylogs2/2007-05/200705...
実は、私も2008年ころ、知人の韓国人に頼んで、この新聞社に、当時の記事を頼んだ事があったのですが、最初、先方の新聞社の女性の方は、快諾したものの、週明け後一転、記事は送れない、と返答。
しかししつこく知人の韓国人にやり取りさせたため、とうとう済州新聞側は、その日の新聞の記事をFaxしてきたのですが、ものの見事、その吉田の話を否定 する部分の記事は、意図的に送ってこなかったのです。それを確認した後、この済州新聞の記事を其の韓国人に見せたところ、「不都合な話は隠蔽しろとでも統 制がしかれているのであろうか?という話になり、韓国人ですらあきれていました。
文吉は、済州島の海女が雇用された挙句、隠岐の人と結婚した話を、吉田のインチキ話にこじつけて、まるで済州島の海女が慰安婦であったかのごとく印象操作・またも反日のための杜撰なプロパガンダを創作しているわけです。
特に、このSapioのヤマモト氏からの引用部分ですが、原文を見てみると
http://www.todaykorea.co.kr/news/photo/201102/135077_1227...
「..............隠岐に住み着くケースもあったと言う。
この様に書くと、強引に欝陵島から韓国女性を慰安婦」として連れて行ったように受け取られかねないが、現実は違う。」とかいています。
この後の行が切り取られているので、何か話が書いていることを推測します。是については後日調査いたします。
山本氏は、韓国の捏造癖を揶揄して書いているように思えますが、それを、金文吉は、今回の報道のために悪用したのです。