「大韓帝国は独島を実際に経営した」
(以下は日韓近代資料集 Chaamiey氏の翻訳の転載)http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/53110721.html
[韓国日報] 2011.1.3
大韓帝国が1900年10月勅令41号を宣布した後、鬱陵島と独島を実際に経営したことを立証する資料が初めて公開された。
韓国海洋水産開発院(KMI)のユ・ミリム博士は、3日、「KMIイシューブリーフィング」を通じて、鬱陵島が鬱島郡に昇格 した後2年経たない1902年4月の郡の治安と行政の現況を記録した「鬱島郡節目」を公開した。内部大臣の印章が押されているこの資料は、初代鬱島郡守で ある裵季周が鬱島郡の現況を報告し、内部が行政指針を節目(チョルモク)として提示したものだ。これまで、鬱陵島と独島(石島)、チュクト(竹島)が勅令 41号によって行政区域上鬱島郡に昇格した後に実際にどう運営されたのかに関する史料はなかなか見つからなかったが、今回の節目によって管理実態がはっき りと分かった。
節目によれば、日本人が密かに木材を伐採することを厳禁し、家屋と田畑の外国人売買を禁止、違反者は死刑に処 することとした。各道の商船が鬱島郡へ来て魚を捕れば税金を人ごとに輸入の10分の1、貨物は品物価格の100分の1を納める。また、官庁の場合、七間に なればそのまま補修して使い、4~5間程度ならば少しだけ増築することにし、民に負担をかけないようにした。郡守は春に麦60俵、秋に豆40俵など一年に 100俵を給料として支給することとし、この節目をハングルに変えて掲示して誰にも分かるようにせよと指示している。
裵季周が鬱島郡守に任命されたのは1900年11月29日に官報に掲載され、公開された教旨は1902年3月 7日になっていて、おそらく節目が作成された時にも裵季周は郡守として在職中だった。裵季周は、1898年、不法搬出された鬱陵島の木材を捜すために日本 の隠岐と東京などで訴訟をし、1899年松江地域では勝訴もした。彼が日本人から取り戻した材木の値段で訴訟費を出して残った金を国家に納めた行績は皇城 新聞(1899年5月16日付け)にも掲載された。
ユ博士は、「日本が1905年に独島を無主地として編入する以前から私たちは独島をトルソムと呼び漢字 で「石島」と表記、実際的に経営して来た」とし、「鬱島郡節目は、高宗皇帝が勅令41号で独島を我々の行政区域に含ませた後、どういうふうに行政力を行使 したのかを見せてくれる資料」と語った。
一方、1898年5月の「鬱陵島区域地方制度添入に関する請議書」によれば、当時鬱陵島には277戸1,137人が4,774斗落の畑を開墾して暮していて、地方制度に編入するのが妥当だと建議している。
1901年8月現在で鬱陵島にいた日本人は550人で、このうちの半数を超える300~400人は3月から6 月に伐木と造船、商業などをして帰国し、ときに7、8年ほど滞在して永久居住しようとする者もいた。しかしながら、鬱陵島には船がなくて運輸に困難を経験 したのは勿論、日本に商圏も奪われた状態だった。
ユ博士は、「裵季周は鬱陵島の事情に明るい人で、1895年から島監として働きながら鬱陵島に学校も建て、現 地の状況を上部に報告もしたが日本人の横暴を阻止することができなかった」とし、「裵季周が現地の困難さを何度も建議した結果、鬱陵島が郡に格上げされて 郡守に任命された」と語った。
鬱陵郡は昨年10月に開郡110周年を迎えて「郡民の日」の行事を開いて初代鬱島郡守である裵季周の子孫を招請、ひ孫である李ユミさんから鬱島郡節目など関連資料を渡されてこの日公開した。
大邱=チョン・チュンホ記者
冒頭で、
大韓帝国が1900年10月勅令41号を宣布した後、鬱陵島と独島を実際に経営したことを立証する資料が初めて公開された。
鬱島郡節目は、高宗皇帝が勅令41号で独島を我々の行政区域に含ませた後、どういうふうに行政力を行使 したのかを見せてくれる資料」と
と主張しているものの、どこにも、島根竹島(韓国称独島)の記録の内容は出てきません。この話に記載されているものは、鬱陵嶋の記録のみです。 しかしながら、このような証明されていない嘘をでっち上げてしまうのが、ユミリム博士の悪い癖です。
また、
鬱陵島と独島(石島)、チュクト(竹島)が勅令 41号によって行政区域上鬱島郡に昇格した
と、証拠を提示もせずに述べていますが、この石島がどの島であるかの論争は、決定的な証拠が発見されていないのが現在の状況です。 (大韓勅令41号の竹島石島はどの島か?)
ただ、大韓帝国の記録においては、鬱陵島の範囲を記したものが多く残っておりますが、その範囲には竹島は含まれていない大きさであることが確認できています。 (朝鮮の認識していた鬱陵島の範囲)
参考:日韓近代資料室(Chaamiy氏)
:Dokdo or Takeshima http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2011/02/1902.html
:島根県WEB竹島研究所 「実事求是」第30回「欝島郡節目」に対する疑問