2013.03.24 金文吉「対馬は本来われらの地」~立証する古地図を発見 の嘘



対馬島(テマド)が韓国領だったという事実を確認させる古地図が発見されて、関心を集めている。

韓日関係史などを専攻する韓日文化研究所のキム・ムンギル金文吉所長(釜山外国語大学名誉教授)は、
「地理学者としてイギリスで活動したイタリア人のJ.H.Kernot氏が探険に出て、1790年に作成した
『日本と韓国』
の地図には鬱陵島(ウルルンド)と独島(トクド)だけではなく、対馬島が韓国領土として
描かれている」と明らかにして地図の写真を公開した。

キム所長は、「この地図と資料を先月11日に地図学者の日本人、久保井規夫教授の研究室で
入手した」と明らかにした。

この地図では対馬島を『STRAIT OF COREA』と表示して、「韓国海峡の中に対馬島がある」という
事実を確認させてくれる。


特に独島と鬱陵島、対馬島の管轄国家を表示する地図の土台色を韓国本土と同じ黄色で表し、
これらの島が韓国領という事実を一目で分かるようにした。


キム所長は、「この地図には独島を日本式の発音である『Dagelet(ダジュレー)』、鬱陵島は
『Argonaut(アルゴノート)』と表記され、日本で入手された資料で地図を作成したと推定される」と
明らかにして、「当時の日本人も対馬島を韓国領土と認めていた事実を反証する資料だ」と説明
した。


彼は、「対馬島は日本の古地図古文書に国語とハングルを使っていたというのは早くから分かって
いた事実だが、今度発見された地図は対馬島が韓国海峡の中にあるという事実を確認させて
くれる貴重な史料だ」と明らかにして、「対馬島は本来我が地」だったと強調した。

キム所長は、「対馬島を韓国領土に表示した地図はたくさん発見されたが、我らの海峡の中に
あると明らかに描かれた地図は珍しい」と明らかにして、「今度発見された古地図は当時の
世界人も対馬島がコリアの地だと認識したという事実を確認させてくれる貴重な資料だ」と話した。

一方、以前公開された豊臣秀吉の命令で1592年に日本人の九鬼が製作した『朝鮮八道総図』
にも鬱陵島と独島が描かれていて、対馬島が慶尚道(キョンサンド)に属する模様で描かれている。
1830年に日本で作った『朝鮮国図』にも鬱陵島と独島、対馬島が朝鮮領土と表されている。

そーす:NAVER/釜山=NEWSIS(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=003&aid=0005046370


11日地図学者日本人久保井規夫教授の研究室で手に入れた"と明らかにした。

日本の地図学者・教授で久保井規夫を検索してみましたが、教授は見当たりません。何大学所属の教授なのでしょうか?

一方、某通販会社で、同じような名前を見つけました
http://www.amazon.co.jp/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E4%BA%95-%E8%A6%8F%E5%A4%AB/e/B001I7I02O/ref=ntt_athr_dp_pel_1
どうやら、サヨク系の方なのでしょうか?とても地図学者とは思えません。

また、元・共産党&日教組地方幹部という、反日的な経歴もあるようです。


この地図では対馬島を『STRAIT OF COREA』と表示して、「韓国海峡の中に対馬島がある」という 事実を確認させてくれる。  特に独島と鬱陵島、対馬島の管轄国家を表示する地図の土台色を韓国本土と同じ黄色で表し、 これらの島が韓国領という事実を一目で分かるようにした。

David Ramseyでみてみると、1851年版のJ.Kemet氏のJapan and Coreaが出てきますが、対馬は日本色になっております。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~824~60129

また、大阪大学のアーカイブで見てみても、1851年の同じ地図が出てきますが、日本色になっております。
http://www.library.osaka-u.ac.jp/others/tenji/maps/map082.htm

これが今回、1790年作成と韓国側・金文吉が発表した地図



キム所長は、「この地図には独島を日本式の発音である『Dagelet(ダジュレー)』、鬱陵島は 『Argonaut(アルゴノート)』と表記され、日本で入手された資料で地図を作成したと推定される」と 明らかにして、「当時の日本人も対馬島を韓国領土と認めていた事実を反証する資料だ」と説明 した。


まず、日本の史料で「独島」が出てくるのは、1904年です。日本において、島根の竹島は、江戸時代は「松島」と呼ばれていました。つまり、「1790年」の地図に、「1904年」の名称が出てきたり、その名称がでてくることは、タイムマシーンがない限り、ありえないでしょう。
そして、そもそも独島 どくとう DOKUTOU と、Dagelet ダジュレ は、まったく「独島」の日本式発音ではありません。


そもそも、西洋の海図・地図にDagelet Islandが記載されるようになるのは、La Perouseの日本海航海の後です。La Perouseは、日本海航行中に、「地図に記載のない島を発見」し、天文学者のDageletの名前を鬱陵島に「Dagelet island」と命名しました。このDagelet Islandですが、La Perouseの残した地図Plan de L'Ile Dageletを観れば一目瞭然です。このDageletを「独島」だと主張する金文吉は悪質なデマコギーをばら撒く常習犯です。


(May 28th) By dawn we left toward the island for measurements and I decided to name this island Dagelet after the astronomer Lapaute Dagelet among our crew who sighted it first. The circumference of the island is only three leagues (actual 33kms) Maintaining a distance of 1.9kms from the island we travelled almost all around but failed to find deep water.
La Perouse Voyage of the world.

今回の「イタリア人」の古地図は「1790年製」ということで、仮に年代が正しいとすると、つまり、La PerouseがDageletを発見した直後の地図です。La Perouseは朝鮮海峡と日本海を航海して、日本と朝鮮の相対的な位置関係を明確化したことで有名で、Dagelet islandを発見したことは、彼の「ラペローズ航海記」から明白です。また、彼は発見したDageletを海図に記しました。まずは、日本海の地図。この地図からDageletIが記載されることになります。

日本が、その1790年代に、鬱陵島がDagelet島であるという地理情報を持っていたとは考えにくいですし、
日本で入手された史料で地図をJ.H Kemot氏が1790年に作成したとは考えられません。根拠のない妄想です。

今回の報道の地図の画像は醜いので色彩の判別が難しいです。また、この地図の画像、よく見てみると、朝鮮半島の形状が、この地図、1790年代と発表されているものの、朝鮮半島の形状が皇輿全覧図を参考にして作成されたダンビル図の形状、つまりずんぐりとした半島部分の形状ではなく、クルーゼンシュテルンの時代よりももっと後の細長いデザインになっています。これがとてもでないですが、画像の地図が1790年台の地図とは思えません。先に提示したとおり1850年代と見るほうが妥当でしょう。すくなくとも1826年以降と考えられます。
1826.Karta poluostrova Koreia. (Map of Korea by Krusenstern)
Around Broughton bay part, it  describes залива Bpoyroha(Brougton Gulf).
Between Busan and Tsushima parts  describes пролив Корейский(Korea Strait)
Sea of Japan part: nothing especially

Carte generale des decouvertes, faites en 1787 dans les mers de Chine et de Tartarie ou depuis Manille jusqu'a Avatscha, par les Fregates Francaises la Boussole et l'Astrolabe. Atlas du Voyage de la Perouse no. 39. (Paris: L'Imprimerie de la Republique, An V, 1797)
Author: La Perouse, Jean-Francois de Galaup, comte de, 1741-1788La Perouse


また、La PerouseはQuelpart(済州島)など、朝鮮付近で見た離島を別にして地図を作成しており、そこには、Plan de L'Ile Dageletという島があります。これらの位置・形状等から、Dageletが「独島」ではなく、鬱陵島であることが明白です。
Plan de L'ile Dagelet  http://www.davidrumsey.com/maps196.html

・西洋の探検家・船舶の鬱陵島”発見”、現竹島”発見”と各種水路誌の記述
・日本及び西洋の、測量に基づく近代的な鬱陵島の地図


Argonaut islandですが、これは、James Colnettが目撃した鬱陵島であると考えられていますが、La Perouseの報告の緯度経度とは異なっているために、Dageletとまた別の島であるとして海図に記載されてきました。しかし、この島は1850年代のPallada等の測量によって、存在が否定されてやがて地図から消えていくことになります。
(出展:China pilot)



が地図には対馬島を 'STRAIT OF COREA' に表示して '韓国海峡の中に対馬島がある' と言う事実を確認させてくれる。

朝鮮海峡がStrait of Coreaと記載されるのは、La Perouseの日本海航海(1790年)以降、Sea of Japanとともに顕著になりますが
あえてそのことには触れたくないのですね。わかります。
Age of Voyage of Discovery around Sea of Japan
Pilot ,Hidrographic magazine ,and Admiraly Chart 、Geography gazette and Sea of Japan, Strait of Corea, and Brougthon bay. 1850's~

Strait of Coreaの記載が、対馬の領有権とは関係はありません。
朝鮮の地誌・古地図に記載されている対馬の扱いは、日本の領土と記されています。
一方以前に公開された 1592年豊臣秀吉義命令で日本人グキが製作した '朝鮮8道総図'にも鬱陵島と独島が描かれていて対馬島が慶尚道に属した模様で描かれている。
九鬼の朝鮮八道図ですが、秀吉の命令で作成したかどうかは知りませんが、この地図はただ単に、東国與地勝覧の八道総図を写した程度でしょう。

地図に記載されているのは、鬱陵島とその西に書かれた于山島であり、「独島」の記載はありません。竹島は鬱陵島の東南にある島です。そもそも、鬱陵島図形などの鬱陵島詳細古地図が作成されるのが1694年の張漢相以降のはなしですから、それ以前の、鬱陵島の西側に記載された于山は、「鬱陵島の傍ら」にあるといわれている小島程度、もしくは鬱陵島の古い別名程度の認識であり、「独島」と断定する根拠はありません。張漢相の調査以降、于山は鬱陵島の東に南北に細長い一島の小島で記載されます。形状や位置から見ると、これを南東90Km先にある、二つの島である竹島というのは無理でしょう。

・韓国は、「西暦512年から現竹島は韓国領土」と大嘘を付く 三国史記~高麗史
・一島二名と2島説の混在の始まり。鬱陵島の「傍らにある小島」太宗実録以降

・朝鮮の地圖における鬱陵島と于山島Maplist
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