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1882年の鬱陵島外圖は、いくつか疑問があったが、おおよそ解決できた。
まず、北西から、時計廻り、東側方向に見て行く。
香木邱尾 香木亭東北ぶの、広い湾 玄圃の西
http://www.panoramio.com/photo/26023973
虹霓巖-孔巖、その左に書かれた二つの岩は、孔巖の脇に有る二つの短い岩である。
*過去、ソウル大学と、韓国側学者は、この虹霓巖が竹島(Liancourt)である、と主張していました。
http://www.panoramio.com/photo/26398779
孔巖の対岸は、おそらく玄圃や天府付近だが、ここに、
老人峯である倡優巖であると、錐峯が陸に顕著な目印として書かれているのが判る。
http://www.panoramio.com/photo/26069981
錐峯のすぐ東となりに、門城があるが、これが何なのかは判らず。
更に東、倭船倉は、今日の天府洞-千年浦から竹岩付近であることが、日本側の地図との照合でわかる。
http://www.panoramio.com/photo/26398867
大岩は、樹齢600年の松の老木が有る竹岩。
http://www.panoramio.com/photo/26123466
大岩と陸地の間には、蒜封とのちめいがあるが、不明
其の東、一本の岩と、三本の岩がある。これが長年の疑問であった。
一本の岩は、其の絵の形状から、三仙岩の牛角岩であろう。
http://www.panoramio.com/photo/26123505
次の三本のうち、左二本が、三仙岩の兄弟岩(2つの岩)。右の小さい一本が、天女のプールにある燭臺岩である。
下4枚は、いずれも三仙岩のうちの、兄弟岩だが、位置・角度によって二岩にきちんと見えたり、一岩にしか見えない状況が有る。
http://www.panoramio.com/photo/26024480
天女のプールにある燭臺岩
http://www.panoramio.com/photo/26068197
ついで、南にいくと島項が書かれているが、なぜか二つかかれている。
左の島は、おそらく島項の”島”を現しており、つまり是は観音島
http://www.panoramio.com/photo/26024635
右の島は、おそらくは島項の"項”を表しており、つまり是は島項の先端部分、観音島の対岸を示していると思われる。
http://www.panoramio.com/photo/26069420
南は竹島は今日の竹嶼/竹島(チュクトー)
http://www.panoramio.com/photo/26069323
雄通邱尾は恐らくは、三仙岩と島項の北側の間の静かな沿岸部
http://www.panoramio.com/photo/26069024
船板邱尾はおそらくは島項の南・測量所或は軍の施設のあたりか、もしくは臥達里の辺りと考えられる。
http://www.panoramio.com/photo/26069420
芋浦は今日の内守田から芋洞にかけての一円
http://www.panoramio.com/photo/26069214
老姑岩は、今日の北芋岩
http://www.panoramio.com/photo/26025633
鎗巖は、今日のChodatae燭立岩
http://www.panoramio.com/photo/26025773
其の南、つまり苧浦と道方廳の間の海上に有る立っている岩”将軍岩”は、どの岩なのかわからなかった。
ひょっとすると、杏南の岬の先に、燭大岩の折れたような岩礁が有るが、それが壊れる以前のものだったのかもしれないが、不明である。
また、道洞の東の岸壁の上に、鋭い小さい岩があるが、これが槍岩の可能性もありうる。
http://www.panoramio.com/photo/10711377 (R.O.K Drop氏の画像)
また、道方廳の南西にある、冑岩も、どれかわからず。
水雷岩の可能性が有るが、定かでない。
今度は鬱陵島北西から反時計回り、南側に地図を見ていく。
大黄土邱尾-臺霞洞 (ただし、地図では朱土窟がない)
http://www.panoramio.com/photo/26022573
鳳岩---獅子岩Saja Bawi(南陽洞)
http://www.panoramio.com/photo/26070055
谷浦-南陽洞 (複数の谷の下流に有るので谷浦?)
http://www.panoramio.com/photo/26020195
華岩---亀岩Kobukbawi (通九味)
http://www.panoramio.com/photo/26019849
玄浦 ー現在の可頭峯の西手前の地域