----山陰中央新報より引用---
竹島(韓国名・独島)が 自国領であることを主張するため日本側が竹島に建てた標柱を引き抜き、韓国側の標石を置く韓国人を撮影した一九五三年の写真が、インターネット上で紹介さ れ、関係者の注目を集めている。当時は日韓両国が領有権を主張するため、標柱の「設置合戦」を繰り広げており、韓国側が竹島を実力支配する過程を示す貴重 な資料と言えそう。
写真は五三年十月、韓国の写真家・金漢鏞氏が韓国山岳会の学術調査団に同行し、竹島に上陸して撮影した九点。日本側が建てた「島根県隠地郡(現隠岐郡)五箇村竹島」の標柱を引き抜いたり、「独島」と刻んだ標石を設置したりする韓国人の姿が収められている。
撮影時期は、韓国側が竹島を自国領とするため、五二年一月、日本海に一方的に李承晩ラインを設定した翌年。当時は日韓両国が竹島を自国領と主張するため、互いに標柱や標石の設置を繰り返していた。
「独島」などと書かれた韓国側の標石を設置する韓国山岳会長
写真は、島根県が「竹島の日」条例を制定し、在韓日本大使が「竹島は日本領土」と発言したことが韓国内で問題視された二〇〇五年三月、韓国の週刊誌に掲載された。同年は日本側に抗議する狙いからとみられるが、今回のインターネットへの露出の経緯は不明。 日本側で現在残っている当時の竹島の写真は、五三年六月二十七日に標柱を設置した際の一枚だけという。島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「李ライン直後の韓国側の動向を研究する上で、今回見つかった写真は貴重な資料」と述べた。
エンコリ観測所
竹島関連資料。 | 伝統文化・伝統芸能 No.1589795 投稿者: qmc 作成日: 2007-02-22 01:17:32 閲覧数:505 TOP “竹島杭”を 抜いて “独島石標”を 建てる。(1953年)
http://koreanworld3.web.fc2.com/enjoylogs2/2007-02/20070222-011732.html
チォックパリ(注:日本人の蔑称)の韓半島侵略の憎らしい証拠である竹島杭に
1953年 韓国山嶽会が力強く突きたてた誇らしい太極旗 !
このたび6・25戦争(注:朝鮮戦争)中に日本が独島の領有権を主張するために設置した木杭を破棄した韓国山嶽会会員有志の写真が公開された。
この写真は著名な写真家であるキムハンヨク(金漢鏞・81)氏が 6.25戦争当時(1953年)大韓民国山岳グループの代表格である韓国山嶽会と同行して独島に上陸したときのものだ。
この杭は6・25戦争中の1952年6月に日本人9人が水産試験船で上陸設置したことで知られていた。
高さ2mを越す木杭には漢字で “島根県 隠地郡 五箇村 竹島”と書いてある。
1953年10月15日独島に上陸 日本人が立てた杭を抜く韓国山嶽会会員有志
前面に“독도 ” “獨島” “LIANCOURT”の文字を刻んだ標石を設置する 紅宗人 韓国山嶽会会長(当時 朝鮮日報主筆)
紅会長は “この石標は広さが二자ほど、高さは半자 体積は一자弱”と記録している。(一자約 30.3cm)
Liancourt Rocksは独島を意味するフランス語(国際名称)。
(注:正しいフランス語名称は“Rochers de Liancourt”)
この標石は 本来1年前の52年8月15日に設置が予定されていたもので
裏面に“15th AUG 1952” (1952年 8月15日)と刻まれている。
標石を設置した後 独島に上陸した16人の隊員の記念写真を撮った。
最前列の帽子をかぶってカメラを携げているのがキムハンヨク氏
山嶽会調査隊は測地班、記録班、報道班などで構成されていた。
登攀測量中の測地班
韓国山嶽会は独島に上陸して浜辺で野営した。
山嶽会員はソ ドクギュ大尉が指揮する海軍の905艇で独島に渡った。
ザイルで降崖する韓国山嶽会員
独島でキャンプファイアを囲む韓国山嶽会員