01.「現竹島,西暦 現竹島が「512年から韓国領土」というのは歪曲。

韓国は、よく、古地図に于山が書いてあるから現竹島は韓国領土だと説明する。さて、その東国輿地勝覧の八道総圖(朝鮮半島全体圖)や江原道地図を見てみる。



 東国輿地勝覧の八道総圖、江原道圖の于山島 判定
現竹嶼
 現竹嶼 判定
現竹島
 現竹島
位置朝鮮半島の東
鬱陵島の西
 合致せず 鬱陵島の北東 合致せず 鬱陵島の南東
距離朝鮮半島と鬱陵島の中間地点 合致せず 約2km 合致せず 約90km
島の数 
一島 合致 一島 合致せず 二島
形状鬱陵島と同じ大きさ
 合致せず 南北に長細い 合致せず 二つの岩島
見ればわかる事だが、此の地図において、于山島は鬱陵島の西にある。そして、鬱陵島と同じ大きさに記載されている。
此の事から、この于山島が現竹島ではない事は明白である。

しかしながら、過去韓国の「獨島」プロパガンダ博物館は、この八道総圖の于山島を鬱陵島の東側に歪曲して地図を書き換えた犯罪歴があったことは記憶に新しいし、韓国側の悪質な歴史改懺の態度を見ることができる。歴史改竄・証拠隠滅を図った事もある。韓国側は、むかし、蔚珍の待風所にあった鬱陵島捜討官ののこした鬱陵島の調査記録を、ある日突然やってきて、焼却処分して証拠隠滅を図った事がKBSの報道で判明している。なぜそのような事を行ったのか?

別項で述べるが、1694年の朝鮮王朝による鬱陵島本格調査以前においては、詳細な鬱陵島の地図が発見されていない。しかしながら1694年以降、3年に一度定期的に朝鮮王朝の調査員を派遣するようになり、ここではじめて于山島が具体的な描写を伴い朝鮮王朝の地図に具現する。しかし、そこに書かれた”于山島”は現竹島ではなく、竹嶼とよばれる鬱陵島の北東部2KM先にあり、海長竹が生えている島であった。しかしながら、現竹島には当然植生がない。韓国側が朝鮮半島全体圖や江原見地圖などにおける、簡略化した”于山島”を提示して、これら朝鮮王朝の調査員の鬱陵島詳細地図に書かれた于山島をを全く説明しない理由がここにある。しかしこれらの地図は日本側によって突き止められてしまった。此の鬱陵島之詳細地図については、別項で説明する。

その1694年以前の地誌においては、于山国は竹や農産物であふれ、石塔や住居などがあり、渡航はしにくい場所だが肥沃な土地であった事が記述されている。つまり于山国は鬱陵島に他ならないのである。

0512.三国史記-卷四・新羅本紀・智証麻立干  智証王13年(512年)夏6月条
十三年夏六月、于山国帰服、歳以士宜為貢 于山国、在溟州正東海島、或名欝陵島地方一百里、恃嶮不服、伊異斯夫、為何瑟羅州軍主、謂于山人愚悍 難以威来、可以計服、乃多造木偶師子、分載戦船、抵其国海岸誑告白、汝若不服、則放此猛獣、踏殺之、国人恐懼則降
*ここでは、于山国が512年に服属して、別名を鬱陵島と記載されているだけで、現竹島に関する記述は全くない。また、地方は百里であり、此の範囲に現竹島が入っていないのは明白である。
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1432.世宗実録 地理志 江原道襄陽縣  (世宗莊憲大王實 五十七冊 卷第一百五十三)
于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、新羅時、称于山国、一云 鬱陵島、地方百里、恃険不服、智證王十二年、異斯夫為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、及多以木造猛獣、分載戦船、抵其国、誑之曰、汝若 不服、則即放此獣、国人懼来降、高麗太祖十三年、其島人、使白吉、土豆、献方物、毅宗十三年、審察使金柔立等、回来告、島中有泰山、従山頂向東行至海、一 万余歩、向西行、一万三千余歩、向南行、一万五千余歩、向北行、八千余歩、有村落基址七所、或有石仏像、鉄鐘、石塔、多生紫胡蒿本・石南草、我太祖時、聞 流民迯人其島者甚多、再命三陟人金麟雨、為安撫使、刷出空其地、麟雨言、土地沃饒、竹大如柱、鼠大如猫、桃核大於升、風物称是
*于山と武陵は県の東海中にあり、その二島は共に遠くないと書いてある。晴天時には県(蔚珍)から見えると書いてある。(韓国側はこの文を于山から武陵が見えると歪曲するが、これについては別のところで述べる)。新羅の時代、于山国とは、鬱陵島のことであると記載されている。また、地方は百里であり、山頂から向東行至海、一 万余歩、向西行、一万三千余歩、向南行、一万五千余歩、向北行、八千余歩と記しており、やはり此の範囲には現竹島は含まれていないいのは明白である。

1481.東国輿地勝覧
"蔚珍縣  于山島鬱陵島  一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空 南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到 一説干山 鬱陵 本一島"
*二島は蔚珍の東の海中にあり、三峯 南の峰が低く、天気が声明であるならば峯の頂上や樹木や山の根が歴々と(蔚珍から)見えると書いてある。(韓国側はこの文を鬱陵島から于山が見えると歪曲するが、これについては別のところで述べる)また、冒頭で二島説を説明しているが、終わりに于山鬱陵は一島であるという、一島二名説も併記している。





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