孫崎享氏は、竹島問題研究では全くの無名であり、殆ど相手にされていない。
かつ、その著書「日本の領土問題」について、杜撰な説明が多く、氏はきちんと一次史料を確認しているとは思えませんので、学生などで竹島問題に関して、氏の著書の引用を行うのは正直危険ですのでやめておいたほうがいいです。
孫崎享は、竹島問題研究に関しては、彼がTwitter上で馬鹿にしている「ネトウヨ」連中以下の知識しかありません。
よって、このあたりは、
塚本孝氏や、
Web竹島研究所http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/
藪太郎の研究室 http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01
Dokdo or takeshima http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/
日韓近現代史資料集 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey
に提示されている「一次史料」を自分で読んで、それから書くといいでしょう。
孫崎享の著書で、杜撰な部分は、主に3箇所ある。
1.米国地名委員会が”独島”を韓国領土と認めたので、米国は独島は韓国領土であるという説明。
2.アメリカが単独で日本の領土を決定できるという根拠をポツダム宣言を根拠にしていること。
3.杜撰な内容の金学俊の著書を「詳しく調査してある」と評価。
1.「日本の領土問題」P145-147、ならびに日経ビジネス2012/08/17において、米国地名委員会USBGNが”独島”を韓国領土と認めたので、米国は独島は韓国の領土であると認めている、と主張する。しかし、これは間違った説明である。米国は、竹島において韓国が(合法・不法を判断せずに)施政権を行使している、という状態を認識している程度で、これは領土主権を認めていることではない。
実際にUSBGNのWebsiteを見てみると判る。『アメリカ地名委員会の竹島の表記方法ー竹島は非公式名で日本領ではない扱い?』に米国地名委員会のサイトを見る方法を書いておいたので、各自で実際に検索してみて確認してください。
確かに、Liancourt Rocksは、Oceansの枠と、South Koreaの枠では出てくるものの、Japanの枠では出てこない。この部分については、Japanでも検索結果で出てくるようにアメリカに要求するのが筋であるし、それを根拠にするのであれば、「町村が外交放棄」との認識は正しい。
しかし、USBGNの表記には以下の附箋が付いている。
The names, variants, and associated data may not reflect the views of the United States Govement on th soeverignity over geographic features.
それ故、アメリカ政府が竹島を韓国領土と看做していると、この米国地名委員会の表記を根拠に主張している孫崎氏の説明は誤りである。是と同様の例が、米国海図におけるTokdo燈台の記載例(1965.09.24. Letter from U.S Naval OCEANOGRRAHPHIC Office to Korea Hydrographic Office.)があるので同時に上記リンクで確認してみてください。
2.そして、アメリカだけが日本の領土を決定できる、と虚偽の説明を行っており、その判断の根拠を前述の米国地名委員会の判断を根拠にあげている。
そもそも、サンフランシスコ平和条約は、米国草案・英国草案を協議を経て米国・英国折衷案として最終草案が出来上がったわけであり、米国単体の決定ではない。かつ、米英両国は連合国、平和会議招待国にたいして8/13日までに異論反論等があれば申し立てるよう、きちんと最終確認を取っている。
サンフランシスコ講和会議への招請状 翻訳) アメリカ合衆国政府とイギリス政府は、ここに、日本との平和条約の概要の2つのコピー、日本による2つの宣言、そして条約議定書を送付する光栄に浴する。
平和条約草案と2つの宣言は、先の草案とこれに対する日本との戦争に直接的な関係があった国々の意見に基づいて準備された。
いつでも署名が可能となっている草案議定書はイギリス政府から提案されたもので、国内法によって署名することが認められている諸国の情報とコメントのために配付される。
これら条約草案と宣言は、現実的なものであり、日本と戦った、そして日本との公正で永続的な平和を確立しようとするすべての連合国の見解を統合し調和させるものと確信する。
アメリカ合衆国政府とイギリス政府は、同封の草案について、事情が許す限り迅速に、アメリカ合衆国政府あてにコメントが提出されることを期待する。それらのコメントを受領した後に、1951年8月13日に平和条約の最終文書を配付することになる。
アメリカ合衆国政府は、その文書に基づく日本との平和条約の承認と署名のための会議に貴国政府を招く光栄に浴する。
これと同様の招待状が、特別な状況が存在する場合を除き、日本と戦った他の連合諸国にも送られている。 日本政府は、日本政府を代表して条約と宣言に署名するための正当な権限を与えられた代表団をサンフランシスコに送ることをアメリカ合衆国政府に通告して来た。
貴国政府がこの招待を受け入れるかどうか、近いうちにワシントンのアメリカ合衆国政府に通知されることを願う。
会議の構成や正当に信任された代表団とその助言者、スタッフのための便宜の提供に関する質問がある場合には、ワシントン325、D.C. 国務省国際会議課に連絡されたい。
翻訳;茶阿弥氏 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/53535562.html
さらに孫崎氏は間違った説明を著書に書いている。
ポツダム宣言に関しては、以下の資料で、条約の面たる起草国の一国であるアメリカは
「日本の領土を最終決定するのは対日平和会議(サンフランシスコ平和条約)で決定される問題である」
または、「ポツダム宣言が日本の領土の最終決定ではない」と述べている。対日平和条約、つまり、サンフランシスコ平和条約が「日本の領土を最終決定する」ものであると繰り返し説明している。
以下史料を各リンク内で確認していただければ幸いです。
『SCAPIN指令によって、一度竹島は日本の行政権から分離され、連合国に移管される』
1.1946.02.13.行政の分離に関する司令部側との会談
2.1946.01.29.Scapin677の6に記載された文章
3.1947.061.9日.極東委員会決定「降伏後の対日基本政策」。
4.1947.08.?? U.S. Army Military Government - South Korea: Interim Government Activities, No.1, August 1947
・竹島回帰-サンフランシスコ平和条約が作成されるまでの草案の過程
1951.07.19日のアメリカ(Dulles)と韓国(Yu chang Yang)の会談
1951.08.10日付け米国務次官補Dean Ruskによる外交書簡
・サンフランシスコ平和条約上、現竹島が日本領土であることが再確認される。
10/19追記;また、週プレNEWS 10/18において、http://wpb.shueisha.co.jp/2012/10/18/14790/
「日本では竹島が『日本固有の領土』であることは明白な事実とされていますが、実際にはそうとも言い切れないのです。例えば、1945年に日本が受 諾したポツダム宣言でも竹島の帰属はあいまいにされたままです。そこには敗戦後の日本の領土は本州、北海道、九州、四国と連合国が定める諸小島とあるだけ で、竹島が日本領であるという明確な言及はありません。だからこそ、日韓が竹島を固有の領土と主張して対立するのでなく、領有を争っている地――係争地と 互いに認め合うことが求められているのです。そこから、話し合いがスタートするのです」(孫崎氏)
としているが、ポツダム宣言は当然最終決定ではなく、それは対日講和条約において決定されるという一連の連合国の説明、たとえば前述の1.1946.02.13.行政の分離に関する司令部側との会談や、3.1947.061.9日.極東委員会決定「降伏後の対日基本政策」の史料の話を無視して、持論を押し通す為にこういったずさんなミスリードの為の説明を行っている。
3.孫崎氏は、「日本の領土問題」P151で、次に挙げる金学俊の「独島/竹島 韓国の論理」の説明を複数あげ、これを
「韓国学者が極めて詳細に調査している」と評価している。しかし、金学俊のそれぞれの説明は、一次史料にまったく書かれていないことを述べている非常に杜撰なものであり、、孫崎享氏がその様に評価していることは、金学俊の説明に記載されている一次史料を孫崎氏は全く確認していないと断定されてもしかたがないでしょう。このようないい加減な氏の著書を竹島問題研究に引用するのは不適切である。
151ページ11行目
p151L11『三国史記に于山島(竹島)の記述がある。』と説明している。
しかし、三国史記を呼んでみると、于山国という記述はあるが于山島という記述はない。また、于山は鬱陵島の別名と書いているだけで、今日の竹島の話はない。つまり孫崎氏は原文すらろくに精査せずに引用
151ページ11行目~13行目
『高麗史(1451年)に鬱陵島以外に于山島があるという子とを韓国の史書で明示された初めての事例である。』
『「世宗実録」(1454年)は、「于山、武陵二島在県正東海中」と記している。』
しかし、これらの島が現在の島根の竹島であると断定できる記述はない。それは鬱陵島の傍らには、竹嶼という又別の附属島があり、そちらの選択肢もあるからである。
・一島二名と2島説の混在の始まり。鬱陵島の「傍らにある小島」太宗実録以降
・1470年代 「三峯島」は、金漢京の嘘で、その実態は鬱陵島
151ページ14行目~152ページ一行目
『「新増東国與地勝覧」(1531年)mp「八道総図」と「江原道部分図」という地図が東海に朝鮮の領土として、「鬱陵島」と「于山島」を並べて以来、朝鮮王朝の時に作られた地図の殆どが「鬱陵島」「于山島」を並べて書いている。』
しかし、この二つの地図には、実際に見れば明白だが、于山島は鬱陵島の西に大きく書かれている。これらを今日の島根竹島であると断定することは出来ない。なぜなら島根の竹島は鬱陵島の南東沖にあるからである。
.「現竹島,西暦 現竹島が「512年から韓国領土」というのは捏造・歪曲。
また、この于山島の記述は、1694年以降記載が大きく変わる。張漢相の鬱陵島捜討の後、鬱陵島詳細古地図が出回るようになり、この頃から、古地図における鬱陵島の描写が変化・向上する。于山島を鬱陵島の東、もしくは北東であるとの認識を示す。特に、1711年の朴錫易の「鬱陵島図形」を基にした鬱陵島部分地図がこの時期以降で回るようになる。それらに書かれた于山島は、「竹が生え」ており、「南北に長細い一島の島」であることから、鬱陵島の南東沖にある二つの島である今日の島根竹島を書いたとは言いがたい。また、加えて言えば、この竹が生えている島が鬱陵島の北東部に実際に存在する。
・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図
・藪太郎の研究室
152ページ5行目~6行目
・『林子平は「三国接攘地図」(1785年)は竹島(鬱陵島)と松島(独島)を正確な位置で描きいれた後、この島を二つとも朝鮮国の色である黄色で示した。』と引用する。
しかし、該当の古地図を見れば明白だが、三国接攘図には、竹嶋の記載はあっても、松島の記載はない。かつ、竹嶋(鬱陵島)の北東に南北に細い1島嶋があるが、これを仮に松島だと看做したとすると、正確な位置に書いていない。(ちなみに実際に鬱陵島の北東部には南北に長細い1島が別に実在する)
松島(島根の竹嶋)は、鬱陵島の東南にある主要な二つの岩からなる島で、鬱陵島の北東部にある一嶋の長細い島ではない。つまり、正確な位置に描着いれたというのはとんでもない。
・.「日本古文献と日本古地図,現竹島を韓国領土と記録」というのは捏造・歪曲
152ページ7行目~9行目
『日本陸軍省参謀局が1875年に作った「朝鮮全図」は松島を朝鮮の領土とした。日本海軍省は1986年(*註:1986年の間違いか?)に、「朝鮮東海岸図」を編纂した。この地図で松島を「朝鮮の領土」に含めた』と引用する。
しかし、当時の日本海図を見れば明らかだが、この松島は形状・緯度経度を見れば明らかに今日の島根竹嶋、つまり江戸時代の松島ではなく、Dagelet松島つまり鬱陵島であることは明白である。
152ページ10行目~11行目
『1898年の大韓與地図』と「大韓国全図」において独島も大韓帝国の領土に属しているのをはっきりと見せている』とある。
しかし、該当の古地図を見てみれば判るが、「独島」という島の記載はないし、今日の島根竹島を想起させるような島の記載はない。
「19世紀末大韓帝国政府,現竹島·鬱陵島を韓国領土と正確に表示」というのは捏造・歪曲
152ページ11行目~12行目
『1900年10月25日大韓帝国は勅令で管轄地を「欝島全島」と石島とした。石島が竹島である』と引用する。
しかし、石島が竹島であるというのはそもそも推測に過ぎず、証拠がない。また、1955年の時点で実は韓国政府は、「独島を鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録は無い」と認めている。
日韓近現代資料集:http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/54806192.html
このような、いい加減な金学俊の金学俊の「独島/竹島 韓国の論理」の説明を、「韓国学者が極めて詳細に調査している」と評価している。このような杜撰な内容をそう評価するという事は、明らかに一次史料を自分で確認していない杜撰で無責任な内容である。。
私は、竹島問題で発生したある別の事象を根拠に、米国は信用できない相手で日米安保で必ず守ってくれるような過信する対象ではない、と考えているが、孫崎氏の上述の説明は間違っているものが多く、このあたりが残念な内容である。指摘された間違いをきちんと「一次史料」を自分の目で確認して、謙虚に修正すべきであろう。私がたびたび孫崎氏にTweetしていても、同じ間違った説明を繰り返すような醜態は一刻も早く省みるべきであろう。