正直なところ、これらの地図は、私は長らくは于山島は現竹島をしめしているのではないかと言う珍しい地図だと少し思っていた。
それは、于山の形が、山の形をしており、竹嶼とは違うような気がしたからだ。また、位置も、微妙に東南東であったためだ。
しかし、この系統の于山の形状を、拡大して徹底検証した薮太郎氏のWebsiteは、その疑念を払拭していただいたように思う。
1822.海左全図
海左全図 歴代総図 聖賢統図
年代不詳 .東京山川 八道地圖 朝鮮全図 (全体圖)
江原道・鬱陵島部分 高麗大學博物館
この様に、上の地図は、元をたどっていくと其デザインは 南から見た竹嶼を3D的に書いていたものであった。
ただし、以下の三枚は、どのような成り行きで東南に書かれたのかがはっきりしないので保留とする。
18世紀後期 1776-1800 朝鮮全圖 彩色写本 崇実大学校所長
19世紀前期朝鮮全図、彩色写本、ソウル大学校奎章閣所蔵