作家・伊藤整が語る小樽商大Ⅲ

  • 商業系統の官立専門学校である小樽高等商業学校は、伊藤整と小林多喜二の二人の偉大な作家を輩出しました。これは当時、北海道唯一の文系高等教育機関であり、小樽外国語学校と称されるほど外国語教育や一般教養が充実していたことが影響していると評されています。
  • しかし、伊藤整は、そのエッセーの中で、小樽高等商業学校で学んだ語学はもちろんのこと、商業学や経済学などの知識が自身の作家人生において後年になって非常に役立ったと述懐しています。
  • 昭和40年代に「文壇随一の知性」と謳われた伊藤整。彼を生み育てた北辺の小樽高等商業学校の教育、そして学校で学ぶことの意味を綴ったエッセー「使うべき駒」をご紹介します。

「使うべき駒」

(伊藤整著『知恵の木の実』より)


学校で習う学問とは何か? 私は中学を出てから、商業系統の専門学校と大学に学んだのであるが、その系統とまったく違う畑の仕事をするようになって、今になって、いろいろ考えることがある。

私は商科大学にいたとき、商業学、財政学、経済学などを、あまり熱心に学ばなかった。ただ気が小さかったので、落第しないていどにノートを取り、その分だけを覚えた。

ところが、いま文学をやっていて、私にたいへん役に立ったのは、その経済史や経済学なのである。学校のノートや教科書で学んだ範囲のことであっても、たとえば、ヨーロッパ経済史についての一通りの理解を持っていることが、ルネッサンスの文化や思想をしらべたり、シェイクスピアやダンテの作品の社会的背景を理解したりするのに役立つ。

そればかりでなく、現代の社会を描こうとするとき、人間や生活状態だけをいくら詳しくしらべても、本質はつかめないので、経済学的な知識を若干でも持っていることが役だつ、と私は考えている。

要するに、長い人生では、何が役に立つものか予定できないのである。私は数学がニガテでこれには手こずったのであるが、それでさえも、もっと学んでおけばよかったと思うことがたびたびある。

文学少年の私にとって、数学、経済学などは、文学精神の敵のようなもので、極めて不愉快な課業であった。それが後になって必要となったり、役に立ったりするというのは、どうゆうことか。

二十歳前後の文学青年の私から見て、すぐに役立ちそうなものは、英語とか、文学史とか、国文学とかいう極く限られたものであった。つまり、それは、将棋の指し手としての私が、二つか三つの駒の使い方しか知らなかった、ということである。そしてよけいな歩や、飛車や、角などというものは必要がない、と思って、それの働きを研究する気がなかった、ということである。

学校の授業は、いわば、駒そのものを一つ一つ作り、その使い方の原則を教えるようなものである。しかし、学生には、その駒を使う機会が、急にはありそうもないので、関心を持たないのである。そして、実社会で仕事をはじめて、いよいよ駒が必要になったときに、その駒をもっていず、その動かし方の原則も知らない、ということになりがちなのである。

文学青年の私は重っ苦しいドイツ語をさけて、フランス語を第二外国語に選んだが、私はいま、ドイツ語を一通り読めたら、どんなに便利であろう、としばしば思う。また、ラテン語とギリシャ語を、初歩だけでもいいから学んでおいたら、どんなに助かったか、と思う。私はラテン語の初歩を今になって独学する、という始末である。自分の心を注ぐ専門の仕事は大切であるが、後に使うかもしれない駒の数はそろえておくべきものである。

出典:伊藤整著「知恵の木の実」

昭和45年文芸春秋発行 455~456ページ

「使うべき駒」より