第07回 70年代、北海タイムスの

強烈な批判を受けた大学祭

昭和50年卒 福田 和弘

今年の緑丘祭は、100周年行事として7月に開催されるという。

私が商大に在学していた1970年代初頭、全共闘運動も下火になり、テロやゲリラ活動に特化して行き始めたころ、小樽商大ばかりでなく、各地の大学も学園内は停滞気味で、マンネリ化が進んでいた。

1973年の初夏。商大大学祭(緑丘祭)の実行委員会で、密かに停滞気味の学園状況を打破出来るような起爆剤になる企画がないものかと、検討され、私もその渦中でもがいていた。

その中で浮上した案が、「ストリップの学内公演」であった。実行委員会も可否をめぐり、意見が対立し、反対派の副委員長が実行委員会を辞める事態となり、急遽私がその代理を務め、一気にその案を実行する運びとなった!

それを実現するにあたり、当時の小樽のストリップ劇場(小樽マノン座)に交渉に行くこととなった。実行委員長のS君が自ら交渉の先頭に立ち、踊り子さんたちの共感を得て、実施できる運びとなり、格安のギャラで出演してくれることになった。

実行委員会はにわかに活気を取り戻した。大した宣伝もしなかったが、口コミと噂で当時としては話題を呼び、公演当日は公演場所である大集会室が人で溢れ、私などは見損ねた一人であった。2時間弱の公演ではあったが大好評で終了した。

しかし、決してスム-ズに事が運んだわけではなかった。商大の女子学生で当時のウーマンリブの活動をしていたグル-プが公演直前に押し掛け、「女が脱ぐなら、男も脱げ」と主張し、実行委員長のS君が脱がされかけたハプニングもあった。

さらに当時のマスコミはこれに批判的で、特に廃刊になった「北海タイムス」などは実行委員長S君の顔写真入りで、「小樽商大大学祭でストリップ」と言う見出しで批判記事を掲載したと記憶している。

学内でも既成左翼の学生グル-プが批判ビラをまいていたが、それに対抗上、言い訳に近いが、実行委員会でも反論ビラをまいたものだった。大学祭のメインテ-マも「現状の打破」をうたい、模擬店などはオールナイトで営業したものもあった。

ちなみに1973年の学園祭でストリップを強行したのは、小樽商大と立教大学の二校であった。

しかし、縁とは実に不思議なもので、この時の実行委員会の主力メンバ-が、今の宮城支部の役員に名を連ね、母校・小樽商大のため、支部活動の活性化に取り組んでいるのである。70年代の熱い思いと、お互いに当時の傷を舐め合いながら・・・・。