第13回 【商大100周年記念】

中年オヤジ達の夜間行軍

昭和50年卒 小笠原一雄

この暑いときにさらに卒業生の熱さが伝わってくる話を紹介する。

仮屋雄二氏が、商大演劇部の「演劇戦線メーリングリスト」通じて流された原稿だ。あの7月3日の感動の北大対面式の前日、熱いオヤジ達が人知れず行動を起こしていた。

因みにこの仮屋雄二氏の名前は、橋本裕志氏の小説「フレフレ少女」に応援団OBの名前として出て来る。彼は、応援団OBでもあり、演劇戦線で橋本の先輩である。つまりは私の後輩だ。

中年オヤジ達の夜間行軍

小樽商大・北大応援団対面式の舞台裏で


小樽商科大学応援団を復活させる会事務局長

仮屋 雄二(昭和54年入学)

国道五号線、奥沢十字街を過ぎ小樽市街方面に向かって坂を上りきると左手に住吉神社の鳥居が見える。懐かしい神社だ。三十年位も前のことだが、祭りのバイトで飲み代稼ぎをしたものだ。この街を歩くとすべてが懐かしい。

住吉神社から小樽駅方面に向かって坂を下っていくと、入船十字街に辿り着く。十八歳、大学一年生の頃、工事現場の看板を「対面式挙行!」の看板に書き換え、この十字街に立てた。そんな悪戯ざかりの応援団新参時代の記憶も蘇ってきた。

入船十字街を過ぎると、もう花園。昨夜から四十キロ近くも歩いてきたボロボロの足の筈だが、何故か小走りになる。オーバー五十歳の四人衆の夜間行軍も、やっとゴール。創立百周年対面式の舞台、花園グリーンロードだ。

「もうちょっとで着くぞ。」

「意外と元気だな。」

「ついに、こんな馬鹿なことやり切っちゃうよ。」

あくまでも自虐的な達成感だ。何しろ、何の意味のないことをやり遂げようとしているからだ。誰一人、この行軍の意味、意義を語れない。いや、それを語れるほど、良識を持った人間であることや、常識人でありたいとも思っていないからだ。でも、それってもう五十年も生きてきた男どもの考えることかい?いや、「・・の考えること」ではなく、そもそも何も考えていない。そこにあるのは、勢いと熱い想いだけ。三十年前と何も変わっていない。

この四人衆、北大応援団OB・長野県立長野高校出身・村田勝君。商大智明寮の同期、商大応援団OB・千葉県立成田西高校出身・海野格君。同じく智明寮同期・帯広柏葉高校出身・松尾一美君。そして私、鹿児島県立鹿児島中央高校出身・仮屋雄二。村田君は札幌在住。海野君は千葉県、松尾君は埼玉県在住。そして、私は自宅札幌で大阪単身赴任中。それにしても、四人の出身高校の全国ばらばら度合いが見事だ。

昔、NHKのドキュメント番組「バンカラ街道80キロ」を偶然見た。数年前にも深夜のNHKアーカイブスで再度見た。何度見ても感動した。岩手県立福岡高校応援団は、夏の高校野球岩手県予選の初戦を前に、母校のある岩手県二戸市から大会会場のある盛岡まで、毎年応援団員が夜を徹して行軍する。母校の野球部の応援をするために、何と80キロの道のりを歩くのだ。その伝統は今でも続いているらしい。初戦が盛岡ではなく、さらに遠い花巻(120キロ)になってしまうこともあるとのことだ。時代遅れだ。まったくの非合理的な話だ。だけど熱い。応援団の意気、熱い想いが伝わってくる。

応援団を応援するために歩こう。私のこの呼びかけに賛同してくれた三人の仲間に深く感謝している。飛行機で千歳に降り立ち、そこから小樽に向かうと、ちょうど80キロ位だろうか。すぐにそれは無茶だと思った。トレーニングが必要だ。トレーニングするか?いや、する筈ないだろ。スタート地点は、札幌・北大とした。ならば四十キロ弱だ。大人のずるさが見えてきた。昔、そんな歌があったっけ。河島英五だ。飲んで~飲んで~飲まれて~飲んで~・・・だ。

それにしても、応援団を応援するために歩くとは、一体どういうことなんだ。いろんな人によく聞かれた。答えに窮した。答えを探すのをやめた。無理に理由や意味を考える必要はない。ただ、歩きたい。誰かを応援する想いを表現する。言葉と体で表現する。心の底から表現する。それが応援団だ。そんなことに理由はいらない。

北大OBの村田君と私は、不思議な縁で結ばれている。私が小樽での対面式で団長を務めたのが、昭和五十六年(1981年)、ちょうど三十年前の事だ。うそ!そんなに前かい?村田君は当時、東京の予備校に通う浪人生。年齢は私の一歳年下だから二浪目だったのだろう。受験雑誌「蛍雪時代」のグラビアに紹介されていた対面式の写真(商大の団長は私・仮屋)を偶然見て、北大進学・応援団入団を決意したという変わり種だ。彼はそのグラビアの切り抜きを持って北海道に渡り、そして今でも大事に持っている。その後、彼は第六十九回総合定期戦対面式の北大副団長を務めた。私が四年目の時の、北大応援団新参者だから、おそらくドンブリに酒を注いでやる側(私)、飲まされる側(村田)の関係だった筈だ。

北大の歯学部出身の彼は、現在、道内の某大学の歯学部で教鞭を取っている。卒業後、住宅メーカーに勤める私は、偶然彼と再会する。彼が私の部下の“お客様”として、我が社の住宅でのマイホームを検討していたのだ。部下に同行して商談している席で、何故か私の方が先に、「(お客様の)村田様は北大応援団OBだ(確か後輩だよな!)」と気づく。その村田様は、ご契約決定後に私からの打ち明けに絶句した。「えっ・・・仮屋先輩・・・だったのですね」と。

その再会からももう十五年近くは経っただろうか。 それから彼とは、「応援団」という共通項を肴によく飲んだ。いつしか対面式も途絶えてしまったことに淋しさも感じ、語り合った。そして、さらにいつしか、我が母校の応援団も団員0となり、休部状態になってしまった。それでも、我々二人は、「応援団」を肴に、時々飲んだ。 「商大応援団、復活しないかな?」 「対面式、復活させたいですね。」団員0になる前に、母校の応援団の後輩達を、何も支えてやることのできなかった悔悟の念も無い訳ではなかったが、学生時代、北大と商大の両校に応援団が普通に存在し、対面式を普通にやっていた私たち二人にとって、それが無くなってしまった状況や事態に対し、とにかく納得できないでいた。

どこまで、無責任かつ脳天気なオヤジどもだ。少なくとも、北大の応援団は絶えることなく存在していた。でも宿敵(である筈の)商大応援団は休部中。対面式をやりたくても対面する相手がおりません。私ら以外のOBは一体、どう思っているのだろう。そんな単純かつ、懐古じみた発想のもと、とにかくやるべ!と「北大・商大応援団OB交流新年会」を企画し、2009年1月24日、札幌にて開催した。

驚いた。両校応援団OBは皆同じ気持ちだった。北大現役応援団の面々も参加した。北大現役諸君からも「対面式やりたい」の声。映像や画像でしか対面式を見たことのない北大現役連中の興味津々の表情。「えーうそ?ほんとに?」それを見守る対面式最終世代から、四十歳代、五十歳代、七十歳代に近いご老体(すみません)の大先輩まで・・・私はもうオダって(北海道弁で「浮かれ立つ」の意)しまって・・・、二次会の席では現役の前で、私と村田君で、応援団の伝統芸「よかちん」を踊る出血大サービス。だったら、我々の力も提供して復活させるしかないだろう。

「小樽商科大学応援団を復活させる会」はこうやって数日後に設立された。

会長には中川広太郎先輩にご就任いただき、商大OB有志による、応援団復活への涙ぐましい努力が始まった。 だがここで、言い出しっぺの私は、なんと名古屋に逃亡(転勤)してしまう。今年はさらに遠く(大阪)に、異動してしまう。名ばかりの事務局長になってしまい、皆さん、本当に申し訳ございません。

村田君とは、そんな間柄だが、私の夜間行軍企画にも、真っ先に賛同してくれた。要するに、私と同類項、無意味で馬鹿馬鹿しいことが好きなのだろう。でも結構熱いオヤジだ。恩田陸の小説で「夜のピクニック」というのがある。映画にもなり、そのキャッチコピーは「みんなで夜歩く。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」だったような。「夜のピクニック」は良い話だ。「高校生の青春」が描かれている。我らの「夜間行軍」は「オヤジの清酒運」だ。だめだ、「青春」と入力しようとしたが、キーボード操作ミスで偶然「清酒運」となった。面白いのでそのままにしておく。

でも、今回の札樽夜間行軍は楽しかった。海野君と松尾君は行軍の前半、文句ばかり言っていた。「仮屋に嵌められた」というような感じだった。でもわかっていた。本当は、楽しそうだったし嬉しそうだった。こんな馬鹿なこと、こんな楽しいこと、今じゃなければできないんだよ~。まったく、「ウォーター・ボーイズ」みたいなオヤジ達だ。歩いてみると意外と歩けるものだ。三日後ぐらいの筋肉痛だけが心配だ。(二日後現在、元気です。)

途中仮眠を取った銭函の民宿に、商大第六十八代団長を務めた青木徹君が、差し入れを持って泊まりに来てくれた。皆で酒を飲み話した。足はパンパンだったが、ただただ楽しかった。

朝6時に銭函を発つ。国道五号線、張碓の上りカーブはきつかった。でも、海野君も松尾君も意外と元気。私も平気な顔を装った。石狩湾を一望し、遠くに小樽の港が見えると少し感激だ。小樽市街に入り、あと数キロで目的地に着く。そんな頃、小樽築港駅から商大第六十八代副団長の出村泰樹君が合流。おい、もう着くぞ。俺たちは札幌から歩いて来てるんだぞ。海野君と松尾君の様子がおかしい。あれっ、文句を言わなくなった。「歩き続けていれば、必ず着くんだよな。」「一歩一歩は小さいけど、確実に進んでるんだよ。」こんなこと言うような奴らだったっけ?でもいいこと言うよな。

メインイベント百周年対面式は、圧巻だった。小樽市民の数、「商大がんばれ」の声に震えが来た。応援団を応援してくれている。現役応援団諸君は幸せだ。一生忘れるなよ。そしてまた、現役応援団諸君は立派だった。伝統の小樽商科大学応援団は、すべてにおいて堂々としていた。参謀も、演舞も、団旗も、太鼓も、口上も・・、そして何より団長牧の下駄上げ、団長檄とも立派だった。よくぞ、プレッシャーに負けずに頑張った。オジさんは、こんな言葉しか掛けてあげられないけど、本当に感動した。北大の応援団も素晴らしかった。「ありがとう」と伝えたい。歳をとって感動しやすくなっていることは否めないけど、いいや今日一日は感動しまくってやる。そんな夏の一日があってもいい。

ところで、この感動には、多くの人達の支援、努力が詰まっている。北大応援団やOB諸氏には、その友情に深く敬意を表したい。中川会長はじめ、強い想い、熱い想いで復活へと導いてくれた「小樽商大応援団を復活させる会」の皆さん・・・毎日大量のメールで活動報告をしてくれて、会社のパソコンのutlook Express「応援団フォルダ」は、3000通近いメールが並んでいる・・・本当にお疲れ様。「応援団を支える会」はじめ、 支援・手伝いをしてくれた学生諸君も本当にありがとう。大学関係者の皆様、そして小樽市民の暖かさ。またいつかこの街に住みたい。心からそう思った。OBも大勢観戦に来ていた。

うちの妻もいた。家に帰らず、夜間行軍・対面式に直行し、そのまま大阪へ直帰する私を許してくれたんだね。ありがとう。唯一、この感動をもっと多くの現役学生諸君に味わってもらいたかったという気持ちが残ったことが、気掛かりなことだ。そして、硬式野球部の試合も素晴らしかった。商大野球部の気合が見て取れた。堂々たる試合運びで6対2の完勝。思いが通じたと思った。勝った硬式野球部の面々の晴れやかな顔、顔、顔その顔が、応援した私たちを元気づけてくれた。ありがとう。双方の健闘を讃える団旗エールも緑ヶ丘に木霊した。好敵手を持った我々は幸せだ。

応援団である以上、「応援する」って何? ということを考えさせられることもあるだろう。現役諸君もそんなことを感じているかもしれない。難しい質問だ。伝えたいことが伝わるか?それが誰かの力になるか?自分に何ができるか?心はこもっているか?応援の力(エネルギー)自体は、目に見えるものではない。

しかし、目に見えるものだけが確かなものではないはずだ。熱い想いを伝えるのに、理屈はいらない。上手く言えないけど、心とか魂とか、そんな自分の内側にあるものを振り絞って叫べば、何かが伝わると思う。伝統の小樽商科大学応援団も、応援団対面式も復活した。だがこれは、目的地ではない。まだ、張碓あたりかもしれない。長い上り坂が続いているかもしれない。まだまだ歩き続けていかなければならない。

でも、歩き続けている限り、必ずたどり着ける。一歩一歩は小さいけれど、確実に進んでいる。つい最近、どこかで聞いたような話だけれど。私たちの夜間行軍は終わり、宝物のような対面式・野球応援の時間を経験することができた。映画「スタンド・バイ・ミー」の気分。こうして僕らも、また少し大人になっていくんだ。いったい、いつになったら大人になり切れるのでしょう?

19:10新千歳空港発のスカイマーク便にて帰阪。爽やかな北海道とはうって変って蒸し暑い。寝苦しい。熟睡できぬまま会社へ出社。皆からの、「お疲れ様」のメールや電話がたくさん届いた。もうデスクでパソコンを開き、サラリーマンに戻っている。

「Yahoo!Japan」のトップページにも牧香緒里団長の写真が出ている。ちょっとビックリ。社内のイントラネットを開く。全社員のCS標語が見られる。私の標語は今年もこれだ。「熱い想いを 心の底から 言葉と体で 伝える」