第67回 小樽・国鉄手宮線跡地

歩く旅 2017年夏編

日本経済新聞で第1位となった国鉄手宮線跡地


平成29年7月1日(土)の朝、日本経済新聞の土曜版「NIKKEIプラス1」をいつものように開くと、一面の特集は「夏の思い出・廃線路歩き」だった。紙面トップを飾っているのは小樽の国鉄手宮線跡地。全国第1位(690ポイント)の評価で、第2位の高千穂鉄道(490ポイント)に大差でのトップである。

実に素晴らしい。小樽の良い話題は、朝から気分をよくしてくれる。記事では「小樽市街地を走っていた手宮線跡地1.6キロメートルが、遊歩道として整備された。運河と並行してほぼ全線が残る」と紹介され、全国からの訪問者たちの称賛の声が続く。

私が小樽商大に進学した昭和59年、手宮線は貨物列車が時折走る現役路線であり、日銀小樽支店近くの踏切も遮断器が動いていたが、その翌年に廃止となった。線路や踏切はそのまま残った。後年、線路跡地の一部が遊歩道に整備され、イベント利用されていたようだが、小樽へ行った際にわざわざ訪ねる場所でもなかった。

だから、この日本経済新聞の評価の高さは少々意外であった。北海道開拓期に道内初の鉄道として開業。幌内など内陸部からの石炭輸送や物資輸送を担い、小樽発展の原動力となった歴史価値のある鉄道。ただ、廃線から30年が経ち、道内の他の廃止路線のように、その価値も過去に埋もれるものと思っていたからだ。

手宮線跡地でどのような取り組みがなされたのか、調べてみた。すると実は私がこれまで見ていた日銀付近の手宮線遊歩道はごく一部であり、昨年秋に寿司屋通りから手宮に至る全長1.6キロの遊歩道が全て開通したようである。今年の3月に小樽へ行ったが、街はまだ雪に埋もれていたので、私が知らないのも仕方がない。


<出典:ウキペディア>

1.現在、廃線跡のほとんどが保存されている。踏切も残っており、踏切での一時停止の不要を知らせる看板もある。小樽市は廃線跡のうち、約1.6 km を線路や遮断機などの遺構を残しながら歩きやすく舗装し、散策路として整備している。

2.寿司屋通りから中央通りまでの510 m は2001年(平成13年)度に用地をJR北海道から取得し、同年度中に完成した。その後、中央通りから小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館)までの約1,160 m が2006年(平成18年)度に用地を取得し、2013年(平成25年)度から4年間の計画で整備され、2016年(平成28年)10月までに最後の147 m の工事が完成し、同年11月6日に開通記念式典を行う

3.小樽市総合博物館は手宮駅跡を本館(鉄道・科学・歴史館)として活用しているほか、かつて手宮線で使われていた蒸気機関車や日本銀行の現金輸送車を展示している。

2017の夏、国鉄手宮線の遊歩道を手宮まで歩いてみる

小樽駅から起点の寿司屋通りへ


平成29年8月14日(月)、昼過ぎに半年ぶりに小樽の駅に降り立った。きょうは前線の影響で曇り空。改札を抜けると正面玄関の上で、硝子ランプの灯が迎えてくれる。私はこの光景が好きだ。季節によって時間によって光の具合で違う色合いを見せてくれる。いつもこの硝子ランプを撮影してから、私の小樽は始まる。

駅舎はたくさんの観光客で賑わっている。飛び交う言葉から海外の旅行者の方が多いかもしれない。いまや年間790万人もの観光客が訪れる小樽。平均して一日2万人である。彼らはガイドマップを片手に、そのほとんどが運河へと真っすぐ下っていく。この観光客の多さ、商大生だった30年前とは隔世の感がある。

私は小樽駅から手宮線散策の起点である寿司屋通りに向かった。意外にも都通りは人で賑わっている。丁度、お昼時ということもあり、観光客が「小樽あんかけ焼きそば」の有名店や老舗の洋菓子店に列を作っている。学生時代からあるお店が今も繁盛していることは、本当にうれしいものである。

でも、それ以外のお店は閑散としたものだ。夕方になると人出はぐっと減り、夜7時過ぎには誰一人歩いていない空間になってしまう。お店もほとんどが閉る。観光客にとって小樽はお昼の通過場所であることがよく分かる。私も年に一度オーセントホテルに宿泊するだけで、あとは札幌泊まりだから偉そうなことは言えない。

散策の前に昼食をとることにした。馴染みのお店が休業日であったので、観光客のいない花園町界隈を歩いていると「魚亭」のランチが目に留まったので入ることにした。海鮮丼ランチが、なんとコーヒーとデザートまでついて650円とは驚き。量は多くないが、ネタも新鮮で味も確か、これぞ小樽の寿司。合格点である。

この値段は、私が商大生だった30年前と同じだ。経営者の心意気と努力を感じる。店員のおばちゃんが無愛想なのも小樽らしくて昔のままだ。変わらぬ小樽がここにはあった。このランチで妙に心嬉しくなり、この街がまた愛しくなった。

手宮線散策 ー 起点の寿司屋通り ~ 日本銀行旧小樽支店 -


さあ、手宮線散策の起点を目指す。場所は、寿司屋通りの政寿司本店を運河へ少しだけ下ったところである。妙見川が流れるこの道の上を以前は手宮線が横切って走っていた。下を通過する車両には2メートル程度までの高さ制限があって、大型トラックは通行不可能であった。タクシーで通過するさいもスレスレだった。

散策路に向かうには道路脇にある線路陸橋跡の階段を登っていく。案内地図も整備されている。車いすは入れないので迂回路も表示してある。前記のとおり、寿司屋通りから中央通りまでの510 m は2001年(平成13年)度に用地をJR北海道から取得し、同年度中に完成したとのことだ。

この起点から散策をスタートする観光客は多くはないが、廃線路が街中に残っている光景はなかなかいいものである。古い案内看板には、手宮線の歴史が記されている。明治13年の開業当時、手宮と札幌の間は一日一往復であり、停車場は手宮、南小樽、銭函、札幌の4か所。所要時間は3時間だったとのこと。

線路に沿って歩みを進めた。線路のさび付きと少し伸びた雑草たちが郷愁を誘う。遊歩道はよく整備されていて歩きやすい。遊歩道の両脇には、昔ながらの古い木造住宅が残り、道沿いの花壇も手入れされていて夏の花々が美しい。街中の空地も目にするが、廃線の旅の演出のようでもあり違和感を感じない。

手宮線散策 ー 日本銀行旧小樽支店 ~ 中央通り -


日銀旧小樽支店まで来て、ここで車道を横切って文学館へ渡った。昔の踏切跡や遮断器がそのまま残っている。この日銀から中央通りまでの間は、観光客が一気に増えて、手宮線で最も賑やかな空間になる。周辺には旧北海道銀行や旧北海道拓殖銀行、旧三井銀行など歴史的建造物があり、観光客が集中するエリアだ。

ここは毎年2月に開催されるイベント「小樽雪明りの路」の会場となる。小樽の街すべてが深雪に埋もれる中、市民の手でたくさんのキャンドルが線路に沿って灯され、本当の雪明りの路が作られる。残念ながら、まだその幻想的な光景を自分の目で見たことがない。

小樽文学館の向い側に、旧色内停車場が休憩所にアレンジされて再現されていた。色内駅は、手宮線が貨物に加え旅客の取り扱いを開始した際に設置された停車場であり、手宮線の盛衰とともに休止と再開を繰り返した歴史があるそうである。

ここでは平均台のように線路を歩く若い人たちの姿をよく目にした。どこまでも続いていく線路を歩く光景は映画やドラマの世界であるが、ここ手宮線は人々が潜在的に持っている線路への憧れや望みを叶えてくれるのだろう。その思いは海外の旅行者も同じようである。私はバランス感覚がないので1メートルでやめた。

小樽駅から運河へ進む中央通りとの交差点にくると観光客が一気に増える。考えてみると、小樽駅から下ってきた観光客たちが最初に目にする小樽の歴史的観光資源は、実はこの手宮線である。運河と並行して走る手宮線は、小樽の歴史的空間への入口の役割を担っているのだろう。

中央通りとの交差点には、鉄道の車輪の形をしたオブジェの演出がされている。線路に座る人、手をつなぐ人。家族連れや若い人たちが思い思いのスタイルで記念撮影をしている。また、線路脇には緑の木立が並行して続いており、撮影ポイントにふさわしい情景としていた。

手宮線散策 ー 中央通り ~ 小樽市総合博物館(手宮) -


前記のとおり、中央通りから小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館)までの約1,160 m は、小樽市が2006年(平成18年)度に用地を取得し、2013年(平成25年)度から4年間の計画で整備され、2016年(平成28年)10月までに最後の147 m の工事が完成し、同年11月6日に開通したエリアである。

手宮側に進むと、観光客は少なくなり、落ち着いた静かな空間がまた戻ってくる。線路脇の花壇がよく手入れされている。これは市民の協力によるものと聞いた。中央通り付近の混雑を避けて、落ち着いて記念撮影しようとする人たちがここを訪れるようである。笑顔とともに美しい花々も一緒にフレームに入れていた。

この周辺は、石壁の歴史的建造物を再利用した喫茶店やダンススクールなどが点在している。廃線と石壁の倉庫が、昔の小樽の街並みの記憶を蘇らせる。NHKのブラタモリで紹介されたが、小樽の倉庫群の構造は実は木造であり、外壁に石材を使うことで、工期短縮と耐火性を図ったとのことである。

ここにも手宮線の案内看板があった。よく見てみると、寿司屋通りの起点で読んだものとは別の内容である。ああ、そうか、ポイントごとに設置してある案内看板を順番に読むことで、手宮線の歴史を年代ごとに学ぶようになっているのだ。ここまで気づかずに歩いてきてしまったことをちょっと悔やんだ。

長橋方面から小樽運河へ続く小樽港稲穂線を渡ると、住所も色内・稲穂から手宮にかわり、手宮線の散策路もゴール間近となる。以前は雑草が茂っていたが、昨年に整備され気持ちの良い散策空間が続く。小樽観光の移動手段として近年増えてきたのが人力車。この日も一台が運河を起点に、ここまで案内してきたようだ。

旧日本郵船小樽支店の裏手を過ぎるころになると、手宮線の幅員は次第に広がっていき複線化となる。終点の旧手宮駅(小樽総合博物館)はもう目の前だ。ここで小雨が降ってきた。スマホで確認すると通り雨のようであり、ちょっと小走りに小樽総合博物館の手宮口に向かった。

30分ほどかかった手宮線散策の終点は、小樽市総合博物館である。北海道の鉄道の歴史はここ手宮から始まった。歴史的な遺構が数々残るこの地が、線路散策の終点となっていることに私は静かな感動を覚えた。振り返ると、いままでこの博物館を見学したことがない。せっかくの機会だし、雨も上がったので入館した。

入館料は大人400円だが、旧日本郵船小樽支店も見学できる共通入場券は500円でお得である。手宮口から入ると、すぐ右手に転車台があり、動態保存されている。歩みを進めると手宮駅のりばがあり、北海道鉄道開通起点標が静かに時を語っていた。

屋外車両展示には、ホームに北海道で活躍した鉄道車両が並び、ディーゼル気動車、現金輸送専用車両など多種多様な鉄道車両が展示されている。国鉄時代に函館本線を特急「北海」で小樽まで往復した記憶が鮮やかによみがえってくる。

構内ではアイアンホース号の客車に無料で乗車でき、構内の線路を走っていく。転車台でぐるりと回る姿も人気であり、多くの親子連れが並んでいた。手宮線の線路は老朽化しており、トロッコを走らせるのが精一杯だそうである。本格車両を走らせるには線路自体をゼロから敷設する必要があると聞く。

さらに歩みを進めると国の重要文化財に指定されている旧手宮鉄道施設が見えてくる。レンガ造りの機関車庫、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁などを見学することができる。また、館内では、北海道鉄道の初期に活躍した蒸気機関車「しづか号」や手宮鉄道に係る展示がなされていて目を引いた。

この博物館はそれ自体で歴史的にも施設的にも以前から魅力的なのであろうが、手宮線散策路の全体が開通し空間的なアプローチ機能をもつことによって、ふたつの施設が見事に融合し、小樽の鉄道史の魅力がさらに高まったものと感じた。小樽の街自体が、他都市にないエコミュージアムの潜在力を高めたともいえる。

手宮線散策 ー 小樽市総合博物館(手宮) ~ 旧日本郵船小樽支店 -


小樽総合博物館から手宮線を戻り、旧日本郵船小樽支店に向かった。実は日本郵船内部を見学するもの初めてである。日露戦争の終結の際に日露国境策定会議がここで開かれた歴史を持つ小樽を代表する重要文化財である。会議が開かれた二階会議室は、民間企業の支店とは思えない荘厳さを醸し出している。

明治小樽の発展の礎の一つは、道内内陸部を結ぶ手宮線の鉄道網であり、もう一つが道外や海外を結ぶ海路・港湾の存在である。その陸と海の二つの機能が結節するのがここ手宮である。そうした意味で旧日本郵船(手宮)は、小樽運河や港へ続いていく海運散策路の起点ともいえる。気づいていなかったのは私だけか。

旧日本郵船小樽支店から小樽運河へ足を進める。海外の観光客が、日本郵船を背景にウェディングドレス姿で記念撮影をしていた。小樽ツアーにはこうしたオプションがあるらしい。日本人がハワイで挙式するような感覚であろうか。海外の若人が小樽で結婚式を挙げる。私の方が小樽の魅力に気づいていないのかもしれない。

さて、北運河に出る。埋め立てられる前の幅員を残すこのエリア、運河の歴史を知るうえで最初に見ておくべきだと思う。いま護岸に係留しているのは、かつての艀にかわって観光船やクルーザーだが、倉庫群と運河が果たした役割を知るには、元来の幅員を知ることが必要だ。後年に埋め立てた運河はそのあとでいい。

散策の終わりに思うこと


小樽観光の主役である運河散策路へ向かう。その途中でまた小雨が降ってきたので、きょうの散策はここで切り上げることにした。小樽倉庫をとおり、急ぎ足で小樽駅へ戻った。小樽駅前の中央通り、国道5号長崎屋前では溢れんばかり観光客が信号待ちをしている。信号が変わると、一斉に小樽駅に吸い込まれていった。

小樽のバス会社に勤務する大学の同窓生は、「いまの小樽の人口は12万人だが、毎日市外から来てくれる2万人の観光客を合わせると14万人の町である。その2万人を滞在させる仕組みがもっと大切だと」と語る。

たしかに小樽は一日だけで帰るような街ではない。観光スポットの堺町付近をみるだけで去られてはもったいない。街全体が博物館である小樽は奥が深い。鉄道の散策路、海運の散策路がセットなっているこの町に、ぜひ数日は滞在し、自分の足で歩いてほしいと、今回の手宮線の散策を通じて思った。

いまの観光ルートは、小樽駅から真っすぐ小樽運河へ向うが、今回歩いた小樽の鉄路と海運の歴史を学ぶ散策路も市内を効率的に回ることができると思う。わが母校の後輩たちにも、もっと小樽の街を歩いて、その歴史を知ってほしい。


★ 今回の散策ルート★

手宮線跡散策(寿司屋通り → 日銀 → 中央通り → 手宮) ⇒ 小樽総合博物館 ⇒ 運河散策(日本郵船小樽支店 → 北運河 → 小樽運河)