第02回 「大震災」でかわる価値観

福田 和弘(昭和50年卒)

東日本大震災以降、日本人の価値観が大きく変わろうとしている。宅地開発も、ウォーターフロントから山の手へと大きく変遷するに違いない。もともと庶民は下町、お高い人たちは山の手というのが元来からの習わしであったが、下町の利便性がその価値観を徐々に変えていき、ウォーターフロントという和製英語の表現でその価値を高めていったが、今回の大津波はそれを一蹴した。

この大震災では、最先端の技術のもろさが露見し、改めてアナログの技術が見直され始めて きている。生産技術も工場のロボット化から人間の手づくりが見直されてきている。大量生産によるあり余る商品、増えない消費人口、物を作っても売れないデフレギャップの最中に起きた今回の大震災。今こそ、価値観を変え、出直す時が来ているのかもしれない。

先日の都知事選で4選を果たした石原慎太郎都知事は、当選の弁の中でパチンコと自販機の自粛を促がしているが、まさにそのとおりであると思う。これは電力が不足する事態を懸念しての発言だが、「娯楽」とか単に「楽」だからという 考え方はしばらく我慢して、震災復興に力点を置いた考え方を皆で推進しようと言う試みをまず始めたらどうだろうか。

「遊び」を優先させるのではなく「復興」を優先させる勤勉な労働生産性を、日本人は持つ時期である。 「労働」こそ「美徳」である。そうすれば必然的にこの国が元来持つ生産性は向上する。 この東日本大震災は、日本人が忘れていた「労働」の機会を与えてくれた。仕事がないとか働く場所がないとか御託を並べて働かない人(失業者)が多いと聞くが、 まずは、がれきの撤去から始めようではないか。機械とか技術に頼らず、自ら手作業でがれきを撤去すれば、その先から「復興」が見えてくる。

外国人労働者は、この大震災で大地震を恐れて、それぞれの自国に多数帰ったようだが、いまこそ日本人が底辺からの仕事を額に汗して始める時だと思う。自衛隊や米軍にがれきの撤去をやらせないで、日本人がその仕事を進んでやることがいま求められていると思う。 謙虚な底辺労働から始めてこそ、復興を成し得るのではないか。

少し前「アナログ」から「デジタル」へというコピ-が持てはやされたが、今般の大震災では「デジタル」の限界が際立つ結果となった。いま日本人は立ち止まって、熟考しなければならないところに来ていると思う。未来に向かって一体何が大切なのかを。