第03回 アポロ13号仙台帰還作戦

小笠原一雄(昭和50年卒)

私は上京中に大震災に会い、しばらく東京難民でした。車を借り、先日夜遅く仙台へ帰還したところ。

拙宅は、水道は大丈夫だが、ガス・電気は止まっている。食料は、帰仙途中買い求めた少しの食料あり、1週間ほどは大丈夫。あちらこちら電話したがつながらず、何故か福田の娘にだけつながった。

レンタカーが借りることできないので、千葉・印西にいる妹の車を借りた。スタンドはどこも長蛇の列でしかも販売制限あり。早目に栃木で満タンにしたが、途中なんどか渋滞。スタンドも殆ど閉店。福島から仙台までの国道4号で渋滞があればガソリンもたないと、国道13号で米沢・山形迂回し作並経由で帰ってきた。

山形は被害がほとんどなかったようで何事もなく通過。無事帰還。アポロ13号作戦とでも名づけよう

<後日談>

アポロ13号作戦によって決死の仙台帰還作戦を成功させた私でありましたが、早速、家内からは「肝心な時に家にいない亭主だ。」だと、ねぎらいのお言葉をいただいた。

さらに追い打ちをかけるように「そう言えば、イランにいた時、娘が高熱をだして救急病院に運んだときも、あんたはシンガポール出張でいなかった。」との再評価をいただいたのであります。

そして、4月7日(木)深夜の大余震の時、私はまた一人で盛岡にいた。その後、さらに私の評価はウナギ登りです。これを乗数効果とでもいうのでしょうか?