第02回 小樽色内の思い出

昭和50年卒 福田 和弘

昭和46年商大入学と同時に当時の智明寮に入寮し、新観行事の洗礼を受け、飲みなれない焼酎を洗面器3杯も飲み、泥酔のうちに何人かの先輩を殴ってしまい、居ずらくなって色内にある下宿・河口荘に引っ越し、そこで卒業まで3年10カ月を過ごした。

当時の色内は、「立ちんぼ」と称する街娼が「兄ちゃん遊んで行かない?3000円だよ。」と毎夜毎夜、声をかけられる街であった。

さすがに学年が上に行くに従って、下宿への帰りが早朝未明になると、その姿は見えなくなったが、一年目の頃は金もなく、声をかけられると一目散に下宿へ逃げ帰った思い出がある。

「立ちんぼ」に会いたくなくて夜から未明にかけて花園町を飲み歩いたわけではなかったが、毎夜のようにハイボ-ルやら水割り、安い日本酒を行きつけの飲み屋で飲んでいたような気がする。

商大の試験が始まると花園街も閑散としていたものだ。よく飲み屋の人たちは学生が居なくなると商大の試験が始まったと言ったそうだ。

花園町から色内までは徒歩で帰るのが通例で、冬の雪の日なんかは歩くとキュッキュッと雪が鳴く音が後ろからついて来たものだった。