第26回 宮城県から俊英を

小樽商科大学へ進学させたい

平成元年卒 尾形 毅

明治以来の小樽商科大学への進学ルートが途絶えてしまった

かつて私の母校・宮城県古川高校からは、隔年ではあったがコンスタントに小樽商科大学への志願者がおり、私が在学した昭和50年代は、私を含め10年間に6~7名が進学した記憶がある。

商大の資料を調べてみると、古川高校からは、戦前の旧制古川中学校の時代から、小樽高等商業学校へ継続的に進学しており、小樽への進学ルートは私の頃まで脈々と受けつがれていた。

ところが、明治以来続いた小樽への進学ルートは、平成に入り、ここ10数年の間に、古川高校を含めて仙台一高、仙台二高などからの進学者がゼロとなり、いつの間にか途絶えてしまった。

多分、こうしたことが全国的に重って、小樽商科大学は、そのほとんどが道内高校出身者で占められる状況がさらに加速したのだと思う。東京試験会場を復活したところ、関東では受験生が次第に増加し一定の効果が表れてきたと聞くが、ここ宮城からの進学状況に変りはない。

昨年の商大創立100周年記念のさいに開催された智明寮・大寮生大会では、こうした商大の現状を憂い、山本学長の立会いの下で、「全国各地から俊英を母校に送ろう宣言」が採択された。この宣言を受けて、宮城支部では、さっそく仙台二高出身の福田事務局長が、母校の機関誌に 「仙台二高生、来たれ北のビジネススクール」を寄稿し、今度は古川高校出身の私の番となった。

母校・古川高校を取り巻く大学進学環境が大きく変った

丁度、古川高校の校舎が老朽化のため解体されることになり、「校舎お別れ会」に会社の後輩と参加する機会ができた。数年前に男女共学になった母校に、実に30年ぶりの訪問である。

せっかくの機会だから、商大総務課から、大学案内、ヘルメスクーリエ、学園だより『輝光』を送ってもらい、これを持参して古川高校の進路指導部の先生にお会いした。かつて音楽室だった中央校舎2階に進学指導室はあった。そこでは全国の大学情報がパソコンや資料で閲覧でき、相談もできるようになっていた。小樽商大の資料棚も、北大の隣にあった。

担当の先生は、突然の訪問にもかかわらず、古川高校・小樽商大卒業生として、丁寧に応対してくれた。開口一番、私は聞いた。

「先生、30年前は古川高校から小樽商大へ多くの生徒が進学したのに、ここ10年以上は全く進学してません。とても残念です。なぜなんでしょうか・・・・」

先生の答えは早かった。

「・・・・残念ですが、学力面で小樽商大へ進学する水準に生徒が追いついていないのが原因の一つだと思います。」

「生徒さんが地元志向が強いことも原因でしょうか。古川高校の国立大学への進学者を見ると、岩手大学、山形大学、福島大学への進学者が突出していますよね・・・」

「北海道を志願する生徒は今でもいます。今年も北大と道教大へ進学しました。経済系だと福島大学を志願する生徒が多いのですが、小樽商大の学力レベルまでにはいっていません。」

先生の厳しい言葉に、私は、やはりそうなのかと思った。かつて古川高校は、宮城県北部の進学拠点校として優秀な生徒が集まり、東北大学はもちろんのこと、東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学などの難関大学へも毎年合格していた。

しかし、少子化の影響もあり、20年ほど前から古川市内や仙台市内の私立高校が、有力大学への進学指導を学校経営の柱にすえ、特待生制度などをつくり、全精力を注ぐようになった。

加えて、東北新幹線の功罪もある。かつて在来線で1時間30分かかっていた古川から仙台の通学時間が、新幹線だとわずか16分で可能となった。これも私の卒業後に起きた大きな環境変化だ。

この急激な進学の環境変化により、大学進学を志す生徒が仙台や私学へ流出するようになり、結果として、男女別学の公立進学校であった古川高校と古川女子高の競争力が低下した。

それも遠因となって両校が数年前の県立高校再編の嵐の対象とされ、古川女子高が中学・高校一貫校、古川高校が男女共学で残ったのは、必然的な流れであったといえる。母校・古川高校だけではない。石巻、気仙沼、白石、角田といった県内各地の進学校では、地域経済の衰退も加わり、同じ現象が起きてる。百万都市・仙台への一極集中がもたらした現実だ。

「北海道では有名な小樽商科大学」 これが先生の一般的な認識

ただ、この理由は、古川高校など地域進学校から小樽商大への進学者が途絶えた理由にはなっても、仙台市のトップ進学校から進学者がなくなった説明にはならない。

「失礼ですが、先生は、小樽商大に対してどのような印象をお持ちですか・・・」

「小樽商大は、商学系でありながら、英語・語学の教育が充実している大学と聞いています。以前に、北海道の各大学へ進学指導のため訪問したことがあるのですが、北海道内で小樽商大の評価が非常に高いことに驚きました。小樽商大の素晴らしさをそこで知りました。ですから経済系を目指す生徒には、小樽商大もあるぞ、調べてみろと指導しています。」

先生のこの言葉に、私は、ああこれが今の小樽商大の現実だ、と思った。

この指導担当の先生は、私よりずっと若く30代半ばであるが、その先生が「北海道内で小樽商大の評価が非常に高いことに驚いた」と言うのである。つまり、裏返せば、道外では小樽商大は知られていないとうことだ。この先生は、北海道に出かけた経験があり、小樽商大の知識を多少は持っていただいていた稀なケースかもしれない。

持参した商大の大学案内はよく編集されており、私は、週刊ダイヤモンドの「大学出世ランキング全国5位」の記事を掲載したページを開き、先生が知らない小樽商大の底力を説明した。

「先生、今の小樽商大は、北海道出身者がほとんどを占めていますが、卒業生の活躍は全国レベルです。古川高校から進学して、総合商社やメーカーで海外で活躍しているOBもいます。」

週刊ダイヤモンドの「大学出世ランキング全国5位」の記事に、先生の表情が明らかに変った。

「東北大学や北海道大学は、これまでの学制改革で統廃合を重ねてきましたが、小樽商大は創立以来100年間、統廃合・移転せず単独を貫いています。こうした学校は他にありません。 ですから、小さな国立単科大学ですが卒業生の結束力がとても強く、就職実績も他の国立大学よりも優れています。例えば・・・・」

先生は、小樽商大が誇る就職実績も初耳のようであった。

さらに私は、大学案内の輝光寮のページを開いた。

「今は、生徒の親御さんの経済状況も楽ではありません。どうしても地元志向が強くなってますが、小樽商大は、輝光寮という新寮を作って、全国の生徒を受け入れる用意があります。」

真新しい輝光寮の写真、そして寮費の内容を先生はじっと見ていた。これも重要な進路指導のポイントのようだ。その後しばらくの間、先生との話は続いた。そして最後に先生は語ってくれた。

「改めて小樽商大がすばらしい大学であることを知りました。それに進路指導をする立場から見れば、総合大学に比べると、小樽商大はどのような学生を求めているのかが明確ですよね。私は、今年の春から3年生の担任になります。経済系を志望する生徒には、ぜひ、小樽商大を紹介させてもらいます。」

半分は卒業生に対するお世辞だとしても、私は、古川高校に来た甲斐は少しはあったかなと安堵した。

そして私は、頭を下げた。

「先生、ぜひ、今日、持参した資料を後輩の皆さんのために活用してください。母校・古川高校から小樽商大へ優秀な生徒を送り出してください。お願いします。」と。

宮城から小樽商大への進学者を送り出すために

さて、今回の母校訪問で推察されたこと。私自身の経験、そして私の子息をみても、高校の進路指導の先生の影響はやはり大きい。

かつて私が高校に在学していた当時、小樽商科大学の高い評判は、古川高校の先生であれば共通の認識であり、小樽商科大学への進学は就職にも有利と積極的に進めてくれていたのである。

しかし、現在は、

1.進路指導の先生、特に私の年代(平成元年卒)以降の若手の先生は、小樽商科大学の名前は知っているが、所詮、北海道のローカ ル国立大学としか理解していない。

2.よって、商大卒業生が全国レベルので活躍している事実も知らないし、生徒にも商大進学を積極的に進める材料(メリット:就職、語学、北海道、寮など)をもっていない。

このような状況になった原因は、大学数や進学率の増加による商大価値の埋没・希薄化といった社会全般の要因に加え、商大側、高校側、われわれOB側のそれぞれにもあるはずだ。

いずれにしても、生徒に大きな影響力を持つ進路指導の先生方が、商大の特徴を十分に認知されていないことは、宮城から俊英を小樽へ送り出すにあたり改善すべき重要な課題の一つである。

よって、わが緑丘会の宮城支部としては、会員親睦のほか、母校のため以下の活動も視野に入れたいと考える。

1.まずは宮城支部会員が、これからも出身高校へ訪問し、送り出す側の高校の現状を知る。

2.商大へ進学するメリット・魅力を、母校の進路指導の先生に継続的に伝える。

3.生徒に直接、卒業生として小樽商大を説明する機会を設けてもらう。

4.大学と同窓会が共同で、仙台で大学説明会を開催し、進路指導の先生に商大への進学指導を働きかける。

5.進学実績のない進学校へも、ルート開拓を行い働きかけを行う。

1~3は支部会員が個人レベルでも実践できることである。こうした地道な「営業活動」を宮城支部でも積上げていききたい。