平成26年度 エバーグリーン講座

尾形 毅氏 (平成元年卒 仙台緑丘会)

facebook「小樽商科大学エバーグリーン講座」より

講義概要

・講 師: 尾形 毅 氏 / 平成元年卒

・現職等:(株)仙台銀行経営企画部長,仙台緑丘会副会長

・題 目:「東日本大震災から3年、被災地・宮城の復興に取り組む」

・内 容:

私は、平成24~25年の「環境科学b」で、被災地・宮城県の銀行に勤務する商大卒業生として、「震災と復興」の講義を担当しました。震災から3年半が経過してその記憶が次第に薄れて行く中、本講義では、改めて、私が震災の現場で復旧・復興にどのように取り組んできたのか、そして被災地の現状と直面している課題、今後の支援策を解説します。講義のテーマは以下の3点です。

【テーマ1】 東日本大震災での宮城県と仙台銀行の被害状況

大地震と大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県と仙台銀行の被災現場を解説します。

【テーマ2】 被災の現場にて リスク管理面での課題と教訓

マニュアルを超えた被災現場で実際にどのように対応したか、今後の教訓について解説します。

【テーマ3】 地域金融機関としての復興支援と被災地の現状

復興が遅延する中、被災企業が直面する新たな経営課題を整理し、その支援策を解説します。

震災復興は、わが国の極めて重要な中長期的な課題です。商大生は学卒後、様々なセクターにおいて直接・間接的に何らかの形で復興に携わる機会があるものと思います。今回の講義を通じて、震災と復興について改めて考え、今後のキャリア形成を考える一助としていただければ幸いです。


講師紹介

平成元年卒業。宮城県古川高校卒業後、小樽商科大学へ。

卒業後、仙台銀行へ入行し現在に至る。

主に企画部でキャリアを積む。現在は経営企画部長。


震災の甚大な被害と、その影響

ご存知の通り、東日本大震災では、全国で約2万人の方が亡くなる、あるいは行方不明となりました。そのおよそ半分は宮城県の方々で、ほとんどが津波で命を落とされました。宮城県の人口は200万人ですから、200人に1人が突然命を奪われたことになります。

宮城県の物的被害額は9兆円。これは宮城県が1年で生み出す県内総生産に匹敵する被害規模です。みんなが1年間一生懸命働いて生み出す生産価値が一瞬で消えたということです。私が勤務する仙台銀行も5カ店が津波でなくなり、1名がいまだ行方不明です。

幸い私は、身内に誰も人的被害がありませんでしたが、職員には、両親、お子さん、お孫さんなどを亡くした人がたくさんいます。行方不明の家族が、いまだに見つかってない職員もたくさんいます。

宮城県の太平洋側はリアス海岸で、町ごとに港があり、港があるところに我々の支店もありました。(写真を見せながら)これは、女川の震災直後の写真です。最大30メートルの高さまで津波が来て、建物の8割がなくなりました。この写真を見ただけでも悲惨だと思うでしょうが、現場はもっと悲惨です。この風景が当たり一面に広がり、本当に言葉を失います。

この写真は南三陸という町ですが、まさに何もなくなってしまいました。真ん中に残っているのが仙台銀行の建物です。町で残ったのは仙台銀行の建物だけでした。建物は古かったのですが、この町は昔から何度も津波に襲われているので、非常に頑丈に作られていました。そのおかげで建物が残り、金庫も無事でした。

震災の3日後から、本部の部長課長が被災した店舗に現金を回収しに行きました。震災後3日目の夜9時半頃に、大きいビニール袋に1億円を入れて持ってきた支店長もいました。銀行員は100万円を30秒で数えます。人数がいれば1億円なんてあっという間なんですが、津波で濡れてしまったせいでお札がくっついているので、そこにいた職員15名で一時間くらいかけ1枚1枚めくるように数え、会議室の新聞紙の上に並べました。そのお札を、私は忘れることはできません。

銀行はどう準備し、どう対応したのか

宮城県は、今回の震災に限らず、歴史的に大きな地震や津波の被害を過去に何度も何度も受けてきました。平成15年からは毎年のように、震度5クラスの地震が起こっていました。そのたびに、我々はマニュアルに従って、震度5以上の地震が起これば365日24時間、経営企画部は本部に集合し、すぐに緊急対策本部を立ち上げて対応することになっていました。1年ごとくらいに地震が来ていたので、こういう経験を何度も行い、実地訓練になっていました。

東日本大震災が発生した平成23年3月11日、私は、仙台銀行本店の3階にいました。パソコンで資料などをチェックしていたら、突然大きな揺れがやってきました。今まで経験したことがない揺れでした。通常は30秒くらいで揺れが治まるのに、1分経っても終わらない。揺れが治まったと思ったら、またドーンと、さらに大きな揺れが来ました。最初の1分とは比べ物にならないくらいの揺れでした。目の前の建物の壁に亀裂が入っていき、電気が点滅して恐怖感が一層増しました。その揺れが治まると、まずけが人がいないか確認しました。そのあと、全員を集めて支店70カ店に連絡をするよう指示しました。ここでまず、想定外のことが起きました。我々が今まで訓練で使ってきた手段が、なにも使えなかったんです。携帯電話は最初は使えましたが、10分したら通じなくなりました。真っ暗な中でろうそくを灯しながら、インターネットも使えず、世間で何が起こっているのかわからない状態でした。唯一、小さな電池式の携帯ラジオによって、震度7強の巨大地震が発生し仙台港に10メートルの津波が来たことを知りました。おそらく、北海道にいたみなさんのほうが、リアルタイムで津波の映像を見ていたと思います。


震災の翌日から、営業を開始

そんな中、我々は震災翌日の土曜日から、仙台を中心に70カ店中30カ店の銀行を営業しました。10万円までの払い出しだけしか対応できませんでしたが、決断は早かったです。震災後3日目の月曜には、「預金通帳がなくても払い出す」、「3時までの店を5時まで延長する」、など次々に決めていきました。なぜすぐに決断できたか、それは我々が何度も訓練をして、体で覚えていたからです。たしかに想定外のことが多かったけれど、訓練のおかげで、銀行の営業を継続させることができました。

みなさんの事前質問の中で、「今、私ができることは何でしょうか」という質問が一番多く寄せられました。近い将来、みなさんが社会に出たときに、必ず直面するのが「リスク管理」です。この間も噴火や台風の被害がありました。そういった時に、どう自分の身を守り、職場を機能させていくのか。それは、業種を問わず、個人・法人を問わず、みなさんが抱えていく課題だと思います。ぜひ、それを自分の問題として考え実行してほしいと思っています。


全国初となる、公的資金投入の決断

仙台銀行は、震災により150億円の損失を被りました。その結果、自己資本の半分がなくなるという、創業以来最大の経営危機に直面したわけです。そのうち、甚大な被害を受けたお客様の融資総額が最大366億円で、この融資が回収できなければ仙台銀行は倒産します。非常に危機的な状況を打開するため、震災発生から1か月後の4月11日、国に資本参加の要請を行いました。つまり、「公的資金を入れます」と手を挙げたんです。全国の金融機関で最初でした。公的資金を入れるというと、経営破たんなどマイナスの印象を持ちますが、経営陣がすぐに決めて発表しました。

結果、これによって、お客様からは評価をされました。実際に公的資金が入るのは半年後の9月でしたが、公的資金の申請書は、計画書で100P、書類で300Pくらいの膨大なもので、それを20~30回も金融庁とやりとりしながら行うのですが、この申請の統括を私が担当しました。なぜ私にこの仕事ができたか、それは私が商大で会計学や会社法の基礎を学んだからです。制度もたくさん変わっているので、そのままの知識では役には立ちませんが、会社法というのはどういった仕組みなのか、資本の手続きはどうすべきか、会計学的にどうすべきか、これらをゼミや講義で学んでいたわけです。それがバックボーンになっていて、こういった重要な仕事ができたと自負しています。商大出身だから、この仕事ができたんです。

最終的に、300億円の公的資金を入れました。「金融庁、改正法初適用」と河北新報の紙面にありますが、金融庁が震災特例の法律を新たに作り、被災金融機関に対し資金を出すという新しい仕組みを作りました。その第一号が、わが仙台銀行だったんです。この300億円が注入されたおかげで、自己資本比率を気にせず、お客様へ融資することが可能になったわけです。26年間銀行にいて、一番の大きな仕事でした。


本格的な復興への取り組みと現状

震災から2か月くらいたつと、避難所に仮設の相談窓口を持って行き、お金の払い出しを行いました。身分証明書も何もないんですが、本人を特定するために、伝票に住所、電話番号、氏名、生年月日など全部書いてもらい、支店に電話で確認して、10万円ずつ払い出しました。ここで、トータル5千件、5億円を払い出しました。また、トラックを4千万円かけて改造し、ATMを載せて「どこでも窓口」とし、今も巡回しています。

では今、被災地の現状はどうなのか。女川は1年経ってある程度がれきが片付き、何もなくなった状況です。50年分あるといわれたがれきですが、宮城県はどうにか3年で処分しました。今は、山を削っています。山を重機で削って津波で浸水したところを10~20メートルくらい盛り土してかさ上げをする工事です。南三陸町も震災から2年後、がれきはなくなりました。ここも今、盛り土をして高さ10メートルのかさ上げをしようと、大規模な造成工事が行われています。

みなさんの質問のなかで、「阪神大震災や戦後と比べて、復興のスピードが遅いのはなぜですか?」という質問がありましたが、じつはこのかさ上げ工事が理由です。今まではがれきを取り除いて新たな建物を建ててきましたが、今回は少しでも将来に備え、減災のために、新たに土地から作り変えているんです。全然建物は建っていません、まだまだ復興の途中なんです。仙台銀行もようやく店舗を再開することができています。南三陸町は山の上の土地を確保し、今年1月にオープンしました。この3年間で、6カ店オープンさせてきました。今までこれほど速いペースで店舗を作ってきたことはありません。


「本業支援」という、新たなステージへ

仙台銀行は3年間で、1千億円の融資をしてきました。年間300~400億の融資になります。直近では重機を買う、巨額な工事をやるなどの造成工事のために必要な運転資金をお貸ししています。

がれきの処理は100%終わりましたが、土地の造成はようやく始まったばっかりで、被災者の住宅は10%しか供給されていない。これから3年かかるといわれています。事業を再開できたのは6割です。建設資材や物の値段が高騰し、当初1億円で再建できると言われていたものが実際には2億円かかるとなり、それなら事業計画が立てられないと躊躇してしまう企業も多いからです。大規模な工事を受注しているので建設業の景気はいいですが、他方で技術者が足りないという問題もあります。

我々金融機関は、次のステージに来ました。もうお金を貸すだけではないんです。本当にこの先ちゃんと計画通り復興できるかどうか、いろんな面で支えていく、そういうステージに立っています。人が足りないといえば山形の業者さんを紹介する、販路が足りないといえばネットワークを使って新しいスーパーを見つけるなどの「本業支援」をトータルでサポートをしているんです。3年半たっても復興の道は半ばです。現場をもう一度理解いただいて、ぜひ被災地に支援をお願いしたいと思います。