私が小樽の高等商業学校の生徒だったころ、そこの二十歳位の生徒たちの間にはやった歌に「小樽高商はカリの宿」という文句があった。
その学校には浜林生之助という英語の教師がいた。この浜林先生が英文学でどんなに深いゾーケイを持っていたかということは、今の人たちは知らない。その名を知っている人も少なくなった。英文学の翻訳などをしている人間としては、私の方が浜林先生より有名かもしれない。
そんなことを説明しても仕方がないが、その浜林先生がある日教室で 「諸君は『小樽高商はカリの宿』なとどいう歌を唱っているが、そんなことはない。諸君は死ぬまで小樽高商出身だといわれますよ」といった。
その時教室がシンとなったことを私は覚えている。そして結果はその通りであった。
私も実は、心の中で、こんな学校、三年いて卒業すれば縁が切れる、と思っていた。ところがその後に経歴を書いたり、人に出身学校をたずねられたりする度に、私はイヤでも、オウでも小樽高商と言わなければならなかった。
そして私の同級生で、その歌を盛んに歌った連中も、卒業後は同窓会に加わり、年ごとにその集会をもようし、昔の先生や級友をなつかしがり、また勤め先でも同窓会を作って会をする、という風である。
そして自分たちの級友の気風が外の学校を出た連中と、どことなく違うのを発見して、やっぱりオレたちは小樽高商で教育されたのだったな、と分かってくるのである。
それと同じように、少年時代、青年時代に、ふとした行為というものも、それだけで終わるものではない。
私などは、あんなことをしなければよかった、あんなことを人に言わなければよかった、あの時あの人にああしてあげればよかった、と思うことが次第に多くなり、それを思い出す毎に苦しくなる。そういう心の傷は、いつまでも残って私を苦しめる。
ふと他人に何か良い事をしてやったことがあって、それを何年か経ってその人に逢った時に礼を言われることもある。その時は、自分という人間もそう捨てたものではない。人に喜ばれたこともあったのだと、思って、心が安らかになる。
とにかく人間があるときに為したことは消えてなくなるものではない。それを見た人、 受けた人、同じ所にいた人が生きている間、過去は消えずに他人の心や自分の心の中に生きている。
過去にしたアヤマチ、過去に人に与えた苦しみは、取り返せないとしても、私はこの上に、重ねて自分の心の重荷になることは、何とかしないでおこう、と考える。
しかしまた、私は、自分が生きている本当の姿を、いつわって楽に考えたり、いつわって美しく考えたりして安心することもしたくないのである。
出典:伊藤整著「知恵の木の実」
昭和45年文芸春秋発行 482~483ページ
「過去は生きている」より