第14回 【商大100周年記念】

グリークラブOB演奏会のご報告

及川 秀行(昭和50年卒)

小樽市民会館を埋め尽くす聴衆は軽く千人を超え、山本学長挨拶で「小樽市民会館が満員になるのを始めて見た」と言わしめた。

前代未聞、空前絶後・・・・いや、私達が札幌と小樽で定期演奏会をやっていた頃は、立ち見も出る程の満員だったし、聴衆も白黒灰色茶色の波ではなく、赤にピンクに水色と華やかで、ステージに立てば「キャー!」・・・・・・これも只のノスタルジー(爺)なのか。

「小樽商科大学創立百周年記念グリークラブOB演奏会」は、商大100周年記念行事の一環として位置付けられ、小樽商科大学グリークラブOB会と国立大学法人小樽商科大学の共催、後援には小樽市、小樽市教育委員会、小樽合唱連盟、緑丘会小樽支部。まさに商大のみならず、小樽市を挙げての一大イベントとなりました。

さて、第1ステージは、平成2年卒業の佐野衛氏指揮による、「グリークラブアルバム」より。 この「グリークラブアルバム」とは、福永陽一郎氏編による、男声合唱団のバイブルとも 言うべき歌集で、これで愛唱歌を教わり、楽譜の読み方を教わりと、当時の汗と涙が ぎっしりと詰まっているものなのです。その中の各ジャンルから代表的な歌を選んでの演奏でした。日本民謡から「斉太郎節」、ロシア民謡から「カリンカ」、シーシャンティーから「I’ve got Six Pence」、黒人霊歌より「Set down Servant」、クラッシクの世界からドヴォルザークの「家路」の5曲でした。

卒業して随分経ってるOB合唱団だから・・・・そんなに練習もしてないだろうし・・・・・90人も人数がいたら反って・・・・・・との不安や、期待はしないぞ!の思いは、曲が始まった瞬間に驚きと陶酔へと変わった。「凄いじゃないか」。聞けば月3回の練習を1年近くもこなしてきたとか。4年間培って来た音楽の感性は完全に体の一部となり、どれだけの時を経てもステージで発揮できるものなのだ。それがグリーメンなのだと思った。

1曲目が終り、拍手が鳴り止まぬ中、指揮者がマイクを取って話し始めた。最初にこの曲を選んだのは、東日本大震災で被災された方々へのお見舞いと、復興を祈ってのことです。男性合唱曲で民謡と言えば、清水脩作曲の「南部牛追い唄(岩手)」、「ホーハイ節(青森)」、「最上川舟歌(山形)」などが有名ですが、この「斉太郎節」は東北学院大学グリークラブが演奏旅行に行く時に、宮城県のものをということで同大の竹花秀明氏が編曲をしたものです。エンヤートットの軽やかなリズムに乗って、まつしま~ぁの・・・と威勢よく歌われる所は、まさに震災復興への船出と言ったところでしょうか。

2曲目はロシア民謡からお馴染のカリンカ。小樽はロシアのナホトカと姉妹都市であり、ボルガの舟歌や一週間、走れトロイカ、黒い瞳、カチューシャ、赤いサラファン、ポーリシュカポーレ、ステンカラージン等、皆さん全部歌えますよね。

3曲目のシーシャンティーは「船乗りと海の歌」とでも言うべきジャンル。舟歌が揺れる船を描写するのに対して、船を操縦する船頭や港湾労働者を歌ったものです。一週間働いて貰えるものはたったの6ペンス・・・・

4曲目の黒人霊歌はアメリカに連れて来られた黒人奴隷が心の救済を求めて歌ったもので、キリスト教布教と相俟って発展したものはゴスペルへ、ソウルフルなリズムはジャズへ更にはロックへ、物悲しい旋律はブルースへとアメリカ独自の音楽のルーツと言えるジャンルである。

5曲目は、学校の終りに校庭に流れていたような、旧い記憶の中に流れている曲ではないでしょうか。「新世界交響曲」第2楽章ラルゴ変ニ長調、「遠き山に陽は落ちて・・・」の歌詞でも有名。ドヴォルザークがアメリカに渡り、故郷のボヘミア地方を偲んで作曲したと言われている。日本音階と同じ「47抜き(ヨナ抜き、ファとシを使わない)」音階で構成されており、日本人には特に愛されている曲であろう。

第2ステージは、第1ステージのスーツにネクタイとは打って変わってTシャツ姿で登場。北海道メンバーがメインで60名ほどの構成。指揮は昭和61年卒の田中修身氏、ピアノ伴奏は客演で成田久美さん。この方は、指揮者の苫小牧東高校の合唱部の後輩とか。「歌のよろこび・・・唱歌から歌謡曲まで・・・」と題して、肩のこらないステージでした。

1曲目は、財津和夫作詞・作曲の「切手のないおくりもの」で、男声合唱に編曲したのは栗田ナミ。・・・は、ピアニストの成田久美さんのペンネーム。苗字と名前の最初の一文字、「な」と「く」を入れ替えてみると、「なりた」は「くりた」、「くみ」は「なみ」となるのです。上手い!

2曲目は、男声合唱とピアノのための唱歌メドレー「日本の四季」で、栗田ナミ編曲の本邦初公開とか。朧月夜、我は海の子、里の秋、スキーと、ピアノで綴って行きます。途中でシューマンの「子供の情景」~トロイメライが入ったりして。特に冬の曲でスキーを選んだのは、作詞者が商大校歌を作詞した時雨音羽氏だからとか。

3曲目は、杉紀彦作詞、弦哲也作曲の「俺の小樽」、裕次郎には見えなかったけど、中々渋かったですね。

3曲目と4曲目を編曲したのは、昭和54年卒の佐藤真一氏。4曲目は森繁久弥作詞・作曲の「知床旅情」を、会場の客席と一緒になって歌いました。しれぇ~とこぉ~のみさぁ~きにぃ~。会場を巻き込むなども心憎い演出です。

そして5曲目は、岩谷時子作詞、弾厚作作詞と言えば・・・ご存知「君といつまでも」でした。ステージ衣装は眩いばかりの白いTシャツ、でもその中味は・・・・目をつぶって聞いた方が・・・・とっても素敵でした。

第3ステージは現役の「小樽商科大学グリークラブ」諸君のステージですが、 昨今の部員数は7~8名と低迷しており、一時は存続すら儘ならない状況(なんと2名)まで 行った様で、「女声合唱カンタール」7名との合同ステージでした。人数による迫力は無いものの、一人ひとりの質の高さと充分に練習を積んできたであろう、まとまりのある心地好いハーモニーでした。

さて、いよいよ最終第4ステージです。伊藤整作詞、多田武彦作曲、男声合唱組曲「雪明りの路」です。この組曲は、私が4年の時の定期演奏会で演奏した思い出深い曲です。

伊藤整の116編からなる詩集「雪明りの路」から、多田武彦が6編を選び作曲したもの。男性合唱曲の名曲中の名曲と言われ、小樽商大グリークラブで小樽市民会館で小樽市民の前で、在学中に一度は歌いたいと思っていました。

1. 春を待つ

2. 梅ちゃん

3. 月夜を歩く

4. 白い障子

5. 夜まわり

6. 雪夜

男声合唱組曲と言えば、清水脩と多田武彦が双璧とも言われますが、 多田武彦(通称タダタケ)の方が叙情性が豊かで歌う側と女性に人気があるようです。特にタダタケの組曲の最終曲は、単独でもアンコールとして歌われる程です。そうです。アンコール1曲目は、タダタケの組曲「雨」から「雨」。1年の時の演奏会で歌った曲です。泣けます。

雨の音が聞える、雨が降っていたのだ

あの音のようにそっと 世のために働いていよう

雨が上がるように 静かに死んでゆこう

アンコールの2曲目は、やはりタダタケの組曲「吹雪の街を」から「吹雪の街を」。この曲は、雪明りの路の続編として、昭和54年に小樽商科大学グリークラブの委嘱作品として、創部60周年記念演奏会で初演されています。小樽商科大学グリークラブの委嘱作品は、私が3年の時、昭和48年が始めてでした。和田徹三作詞、木村雅信作曲、男声合唱組曲「海の歌」。次が昭和54年の「吹雪の街を」。昭和61年には、NHKの音楽番組や「題名のない音楽会」でお馴染の、青島広志作曲の「子供の心を忘れない大人たちのための<ポール・バンヤン>」があります。

オープニングを忘れていました。緞帳が下りたステージから聞えてくる「若人逍遥の歌」、まるで遠くから聞えてくるようです。2番の歌詞、「夏白樺に囁きて」から転調してコーラスになりますが、ここで緞帳が上がります。もう間近に歌が聞え、ステージ上の団員の顔も見えて来ます。「若人逍遥の歌」コーラスバージョンも是非お聞き下さい。

エンディングは会場も一緒に「校歌斉唱」でした。春 永久の緑ヶ丘よ・・・・・・・静かに緞帳は降りました。

さて、場所を「ニュー三幸」に移して懇親会です。テーブルを2~4年ずつの卒業年次別にして、150人位は居たようです。山本学長ご夫妻、緑丘会斎藤理事長、札幌支部田尾支部長、小樽支部浅原支部長もご参加頂きました。

サッポロビールで乾杯、顔を合わせる度に、「お前誰だっけ」「本当にお前か」「白くなったなぁ」「薄くなったなぁ」「太ったなぁ」・・・・・卒業以来となる先輩・後輩と交流しつつ、斎藤理事長、田尾支部長、浅原支部長ともしっかりお話して参りました。宮城支部のホームページは大変お褒めを頂きました。

宴もたけなわ、グリーの宴会では必ず歌います。愛唱歌から{シュテンチェン(小夜曲)}「フライエ・クンスト(自由の歌)」1番ドイツ語で2番日本語、何年も歌っていないのに、ドイツ語の歌詞もパートのメロディーも、覚えているものですね。

そう、かく言う私も生粋のグリーメンだったのです。