無題

投稿日: 2015/01/28 2:36:02

ヘーゲル「小論理学」に学ぶ・第15講

1 分前2015/01/27 18:34 に 山根岩男 が投稿

精神現象学⑮ 「『現象学』から何を学ぶのか

第1講で、『現象学』を①科学的社会主義をより豊かにする、②ヘーゲル哲学の出発点として学ぶ、③現在の自然科学、社会科学の到達点から学ぶ、という3つの見地から学ぶことを指摘した。

この見地からするとき、第1に指摘したいことは、『現象学』の認識論は弁証法的唯物論の認識論であることである。個人の意識の発展を、感覚、知覚、悟性、理性という、発展する一連の意識形態としてとらえ、理性を意識の最高形態としての変革の意識としているのは、現代の認知心理学からしても正しい。また対象意識と自己意識を区別し、人間の類本質としての共同社会性の意識を自己意識としてとらえたのも、現代科学と一致している。これに対し現代のあらゆる観念論は、この一連の意識を分断することで観念論におちいっている。

第2に、『現象学』は、変革の立場にたっている。それは知の目標を、概念(真にあるべき姿)と存在の統一、つまり理想と現実の統一としているところに象徴的に示されている。特に『現象学』が「概念はいかにして認識されるか」を明確にしているのは、後に弾圧回避のためにその点を曖昧にしている『小論理学』と異なるところ。またヘーゲルが変革の立場から、真理には事実の真理と当為の真理があることを指摘しているのも重要である。

しかし、変革の立場に立ちながらも、宗教改革とフランス革命について消極的評価しか与えていないこと、資本主義を美化していることは、その後のヘーゲル哲学の発展からすれば、『現象学』体系を放棄する原因になったものと思われる。

第3に、ヘーゲルが道徳、宗教を正面から論じていることは、「全一的世界観」としての史的唯物論に反省を迫るものとなっている。道徳、宗教の二面性をふまえ、人民の道徳、宗教の探究が求められている。

最後に、これまで誰一人ヘーゲルのいう理性と概念の意味を正確に理解しなかったために、『現象学』が全体として何を言いたいのかを明らかにしえなかった。その真意は「すべての事物は、その事物の本質の認識を通じて概念を認識することにより、合法則的に発展しうる」としたところにある。この点を解明したところに本講座の意義がある。color="#000000" size="3" face="MS Pゴシック">

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ヘーゲル「小論理学」に学ぶ・第14講

6 分前2015/01/27 18:29 に 山根岩男 が投稿 [ 6 分前2015/01/27 18:29 に更新しました]

精神現象学⑭ 「F絶対知」

『精神現象学』は、「知の生成」、つまり認識の弁証法的発展をつうじて、真理に到達する過程を論じているが、「F絶対知」はその結論部分であり、真理とは「概念と存在の統一」であるとしている。

『現象学』を読み解くカギは、へーゲルのいう「概念」が「真にあるべき姿(イデア)」を意味していることを理解することにある。ヘーゲルは、真理とはたんに事物の真の姿(本質)をとらえるだけではなくて、その本質を対立・矛盾するものとしてとらえ、その矛盾を揚棄するものとして事物の真にあるべき姿としての概念を認識することにあるとする。そのうえで、主観のうちにとらえた概念を実践することをつうじて現実化し、事物を合法則的に発展させること、つまり事物を真にあるべき姿に変革することが真理であるという、実践的真理観にたっている。言い換えると、ヘーゲルのいう真理とは理想と現実の統一であり、ヘーゲルはそれを「概念と存在の統一」としての「絶対知」であると表現している。この真理観は、変革の立場にたった真理観として、科学的社会主義にも継承されねばならない。

ヘーゲルは、この概念の運動はすでにこれまで学んできたところに現れているという。すなわち、概念を認識する運動は、良心が行動することをつうじて善と悪、個人と共同体の対立・矛盾に陥り、その矛盾を解決する相互承認の「赦し」の世界において「一人は皆のために、皆は一人のために」という「概念」の認識に達することを学んだ。他方概念が外化して、現実となる運動は、キリスト教の三位一体論で学んだ。われわれは、この概念の二つの運動を一つに結びつけることによって、「概念と存在の統一」という真理を実現しなければならない。

つまり「絶対知」とは「概念把握する知」(P446)である。したがって永遠の真理である概念は、時空を超えた存在であり。この概念を取り扱う学問が「論理学」に他ならない。「論理学」もまた「絶対的他在において純粋に自己を認識する」(P27)のであり、自らを外化して「精神哲学」となり、「自然哲学」は自己に回帰して「精神哲学」となる。こうして「学の体系第1部」が「精神現象学」であるのに対し、「学の体系第2部」は、「論理学」「自然哲学」「精神哲学」として構成されることになる。