ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ・第8講

投稿日: 2014/06/14 1:00:03

精神現象学⑧ 「D 精神」①

今回から『現象学』第2部の「精神の現象学」。第2部は大きく「D精神(道徳を含む)」「E宗教(芸術を含む)」「F絶対知」からなり、中心となる「D精神」を5回に分けて学ぶ。「D精神」は、「序論」「a真の精神、人倫」「b自己疎外的精神、教養」「c自己確信的精神、道徳性」からなる。

意識が真理の階段を上って人倫的実体に達したとき、意識は精神となる。つまり意識は現象、精神はその本質である。「いま精神は人倫的現実」(P255)であり、ギリシャのポリスという人倫的現実は、「一人は皆のために、皆は一人のために」という理念を媒介とする個人と共同体の統一である。精神は、人倫的現実から出発して、いくつかの形態を経て、絶対知に至る。その過程は、人類の歴史である。

人倫的世界は、真の精神である。そこでは男女の結合をつうじて、国家共同体と家族共同体、人間のおきてと神々のおきてとが美しい調和をなして、「一人は皆のために、皆は一人のために」の世界となっている。しかし男と女が「行動」をするようになると、それぞれは自分のおきてに従い、他方のおきてを侵すことで「罪責」を負うとともに、人倫的現実も解体し、次の「法状態」に移行する。

科学的社会主義の立場から学ぶために、第1部では脳科学の観点からのコラムを紹介したが、第2部では史的唯物論の観点からのコラムとなる。ヘーゲルがポリスを民主主義の原点としてとらえ、人類史を、大きく民主主義の花開く社会、民主主義の疎外社会、疎外からの解放の社会としてとらえたことは評価しうる。しかし後の『歴史哲学』と異なり、『現象学』ではまだポリスは奴隷制社会としてとらえられていない。また人類史の最初は、ポリスではなく、原始共同体の社会としてとらえねばならない。原始共同体では「自由、平等、友愛は、定式化されたことは一度もなかったが、氏族の根本原理であった」(エンゲルス『家族、私有財産および国家の起原』)。それこそヘーゲルのいう人倫的現実の世界だった。