4月 255号

体験的古典の修行

賃金・価格・利潤 9

二見伸吾(労学協講師団)

ページ数は大月ビギナーズ版利潤、賃金、価格の一般的関係

●賃金と利潤

ある商品の価値は、原料や生産手段の価値を補填する部分を除くと、労働者がつけ加えた労働の量になる、とマルクスは言います。労働者が働くことによって新たに追加された価値=剰余価値が生みだされる。

「彼の労働時間によって決定されるこの一定の価値こそが、彼と資本家の双方がそれぞれの分けまえまたは配当をひきだすべき唯一の元本であり、賃金と利潤に分配されるべき唯一の価値なのであります」(132頁)

労働者が新たに生みだした価値(剰余価値)は資本の利潤と労働者の賃金に分割されます。

「一方が多く取れば取るほど他方の取り分はそれだけ少なくなり、一方が少なく取れば取るほど他方の取り分はそれだけ多くなる」(133頁)

●搾取の本質

これが搾取のしくみであり、奴隷制社会や封建制社会にも共通するものです。以前も紹介しましたが、聖書の中にも出てきます。

「持てる人は与えられていよいよ豊かならん。然れど持たぬ人は、その持てる物をも取らるべし」(「マタイによる福音書」13章12)

持たぬものとは奴隷民ですね。「マタイによる福音書」に書かれているので「マタイの法則」と呼ばれているようです。

江戸時代のような封建制社会で、厳しく年貢を取り立てれば、藩の財政は豊かになるけれども、農民は疲弊してしまう。農民を搾り取ることによって、藩や領主は豊かになるわけです。

『資本論』では、労働者と資本の対抗関係を次のように述べました。たいへん有名なくだりです。

「一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、すなわち自分自身の生産物を資本として生産する階級の側における、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積である」『資本論』第23章、S.675)

労働者の貧困について、「貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積」と多面的に捉えているところが素晴らしい。現代日本の労働者の状態そのものですね。

マルクスがなしたことは、この搾取の資本主義的なあり方を解明した点にあります。先ほど、江戸時代の話をしましたが、収穫された米の半分とか4割とかが年貢として目の前で持っていかれる。自分たちの取り分を増やすためには、年貢を減免する以外にないこともはっきりしています。

しかし、資本主義社会では、本質は同じでもしくみは見えない。だから次のような見解がつねに生みだされるのです。

「従業員が一生懸命働くことで企業は儲かり、企業がしっかりと儲けて大きくなることにより、さらに多くの良質な雇用が生み出されるというウィン=ウィンの関係であると考えるべきです」(とある人のホームページから)

ウインウイン(win-win)とは、勝ち負け関係ではなく、相互に利益があるということですね。1980年代ぐらいまでなら、こういう論もそれなりの支持を得たでしょうが、今日のような状況では、あまりにも現実を見ない脳天気な論議ではないでしょうか。安倍「働き方改革」も同様の考え方に基づいています。

話がずいぶん逸れてしまいました。そう、「賃金が下がれば利潤は上がり、賃金が上がれば利潤は下がる」というシンプルな関係です(133頁)。

月刊誌『KOKKO』編集者・井上伸さんのブログからグラフを2つ紹介します。見事でしょう。実質賃金が下がれば下がるほど大企業の内部留保は増える(内部留保は企業が手にした利潤の一部でしか

ありません)。賃金の安い非正規労働者が増えれば増えるほど、やはり内部留保は増える。どこにwin-winがあるというの

でしょうか。

『賃金・価格・利潤』に戻りましょう。

「諸商品の価値--諸商品の市場価格は究極的にはこれによって規制されざるをえない--は、もっぱら諸商品に凝固された総労働によって決定される」(134頁)。

市場価格は変動するけれども価値=諸商品に凝固された総労働の量に基づいているということです。

「その量が支払労働と不払労働とにどう分割されるかによって決定されるものではないとはいえ、だからといって、たとえば12時間以内に生産される個々の商品または幾組もの商品の価値がいつまでも不変なままでいることにはけっしてならない」(同)

分かりにくいですね。前半は、総労働の量は、それをどのように分けるのかということとは関係ないということです。後半は、同じ労働の量であっても価値は変わりうるといるのです。

「一定の労働時間内に、つまり一定の労働量によって、どれだけの数または分量の商品が生産されるのかは、使用される労働の生産力によって決まるのであって、その労働の伸長度つまり長さによって決まるのではない」(同)

だから「労働の価格(=賃金)が高くても安い商品を生産することがありうるし、労働の価格が低くても(価格の)高い商品を生産することがありうる」(136頁)のです。

この章のまとめです。

「ある商品の価値はその商品に投入された労働量によって規制されるのであるが、それに投入された労働量は使用される労働の生産力にまったく依存し、したがって労働の生産性が変動するたびに変動する」

生産力→労働量→商品の価値という流れですね。機械の発達など生産力が上がれば、一商品当たりの労働量は減り、それが価格の低下につながる。これが一般的な法則だとマルクスはいうのです。

反骨爺のつぶやき

高村よしあつ(常任理事)

野党共闘による野党連合政権が、次第に当面の政治課題になりつつある。いささか古いかも知れないが、思い出すの1970年11月のチリ人民連合政府の誕生である。

アメリカの新植民地主義と軍事支配のもとで、ラテン・アメリカは長い間「アメリカの裏庭」とされてきた。その「裏庭」で、進行する民族解放闘争の高まりの中で、ついにチリで人民連合政府が誕生したのである。チリ人民が「人民連合」という統一戦線を結成し、選挙によって政治を変えた、という事実は、日本人民にとっても他人事ではなかった。

それから34か月、アジェンデ政権は、支配層が立法・司法機関、軍隊に力をもち続けるなかで、労働者・国民を団結させ、「人民連合」綱領の線にそって、銀行の国有化、土地改革などをすすめ、73年3月の議会選挙で人民連合は43%をとって圧勝した。

アジェンデ大統領と人民連合は、繰り返し「軍隊は制服を着た人民である」と主張し、軍隊も「専門職主義」・「立憲主義」を主張してきたが、アメリカは、もはや合法的手段ではアジェンデを倒すことはできないとみて、73年9月ピノチェトを先頭に軍事クーデターを敢行させ、アジェンデ政権を崩壊させた。

国民と自衛隊員との連帯の必要性は、日本でも同じである。2015年9月の安保法制強行採決は、自衛隊員を殺し、殺される海外の戦争に参加させてはならないとする戦争法に反対し、立憲主義の回復を求める運動を大きく広げた。最近の国会デモのコールは「安倍晋三と稲田朋美から自衛隊員を守れ」となっており、安倍首相も国民の声の広がりの前に、南スーダンからの自衛隊撤収を決めざるを得なくなった。自衛隊員は「わが国の平和と独立を守る」とする服務の宣誓をして自衛隊に入隊している。野党共闘と自衛隊員との連帯は、これからますます重要になってくる。

まんが 六田修