哲学講座「時代を哲学する」 第4講「万引き家族」と生き甲斐論

投稿日: 2019/01/15 8:19:54

今回の講座は、「万引き家族」を通しての人間の生き甲斐論です。講義は、人間の生き甲斐とは何か~生き甲斐をめぐる階級闘争~科学的社会主義の生き甲斐論へと解説されました。今回の講座は、お互いに理解しあえる、真の「リスペクト」― たとえば、野党共闘での相手に対してのリスペクト ― に達するために、一人一人が「人間らしい生き方」ができるようになるための「純粋で、高度な分析・発展(個々を鍛える)方法」であると私なりに思いました。

初めに、「生き甲斐」が生まれるには2つの要件があり、1つは、未来に対して生きる目的を持つ。人間は生きる目的を失った時、生きる希望を失う。2つ目は、自分の生き方に共感する仲間が存在する。共感してくれる仲間が居なければ「生き甲斐」を感じない。「生き甲斐」は、趣味、芸事、ペット、家族、地域社会の変革にいたるまで、人間社会の全ての現象が「生き甲斐」に結びつくと説明されました。

「生き甲斐」をめぐる階級闘争では、資本主義の階級社会は、共同体を破壊し、相手を蹴落として競争に勝ち抜くことを、人間の「生き甲斐」としている。そして、競争に勝ち抜く人間はほんの一握りの人間のみである。大多数の人間は、ふるいに落とされ、互いに距離を保ち、傷つけあわないように気を配る「脱生き甲斐論」に落ち込む。

支配階級の諸思想は、どの時代でも、「人間らしい生き方」を否定して支配を続け・強化する「生き甲斐」を求める。他方、被支配階級は「人間らしい生き方」を求めて、社会を変革しようとする。つまり、支配階級と被支配階級とは、「人間らしい生き方」をめぐって対決することになる。したがって、「生き甲斐」は、階級闘争の課題となると解説されました。

こうした支配階級の「人間らしい生き方」の否定により、被支配階級へ、貧富の格差、失業、生活苦、極貧、餓死、自殺が露骨に表れてくる。わが国でも、安倍政権のウソ、隠ぺい、差別、立憲主義の破壊等による野蛮な強権により、国民は家族、学園、会社、地域を変革しようという概念(一念)が「生き甲斐」となり、社会そのものを「人間らしく」変革することに向かっている。それが、「イデオロギーよりアイデンティティー」と主張した「オール沖縄」に学んだ市民と野党の共闘に示されていると解説されました。

人間解放のための社会改革、つまり、科学的社会主義の「生き甲斐」の解説をされました。それは、「生き甲斐」は、『人間解放のための社会変革という目的』と結びついたとき人間の2つの本質、①「自分らしく自由に生きること②「対等・友愛・平等」の実現をめざす最高の目的となる-と説明され、そして、科学的社会主義の「生き甲斐」論における「共感する仲間」は、人間解放を求める99%の仲間であり、統一戦線の対象となる仲間は、人間の2つの本質の実現をめざす人間解放を求める仲間であり、思想・信条を超えて人間の尊厳 ― リスペクト ― を守ることで一致しうる仲間であると解説されました。

最後に、人間の無限の「生き甲斐」は、結局人間の本質の回復として科学的社会主義の「生き甲斐」論に発達することになるのであり、その「生き甲斐」論を実現したものが社会を発展させる力となると結ばれました。

感想として、野党共闘で、「リスペクトがわからない」「この人とは(この組織とは)、リスペクトできない」と簡単に判断してしまいますが、他人と自分とのちがい、自分の分析つまり、「運動・変化・発展」の弁証法的分析により、自分を鍛えることにより、より一段高まった「生き甲斐」に達し、他人との関係をリスペクトし、 共に成長していくことが肝心と思いました。