「一粒の麦」NO,234 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

投稿日: 2015/08/02 7:52:38

久しぶりに参議院選挙比例候補の春名なおあきさんの歯切れのいい、元気いっぱいの演説を聞いた。6月になって3度生じた米軍の低空飛行中止を日米地位協定違反として追及したとき、中四国防衛局は「米軍の運用に関する事項なので、米側に紹介する立場にない」ことを1時間の交渉の間ひたすら繰り返すのみだった、とその対米従属振りを告発された。

矢部宏治氏の「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」(集英社)が面白い。憲法法制の上に日米安保法制があるのは法律家の常識であるが、矢部氏はさらにその上に日米「密約法体系」があるという。それは、サンフランシスコ講和条約締結後も、依然とし占領下と同様に米軍の日本中の治外法権を保障する密約であり、現在もその密約は生きている。鳩山首相は、この密約に反して普天間基地の国外又は県外移設を主張したために、首相の座を追われることになった。

この対米従属体制にお墨付きを与えたのが、今戦争法案で話題となっている砂川最高裁判決である。一審の在日米軍は憲法違反であるという伊達判決に驚いた米政府は、この密約にもとづき直接田中耕太郎最高裁長官に指示して合憲判決を書かせた。その時に根拠とされたのが、安保条約のような高度に政治的な問題については、最高裁も憲法判断を回避しうるとする「統治行為論」であった。この時から在日米軍は何をやっても責任を問われない治外法権を行政面と同時に司法面でも手中にしたのである。

しかし、問題はそれに止まらず、最高裁はそれ以来事実上統治行為論を適用することによって、司法の独立を否定し、行政に追随している。原発訴訟がその典型であり、3つの例外を除いてことごとく住民の敗訴となっている。矢部氏は、今年4月の福井地裁大飯原発差止め訴訟について、「少なくとも最高裁までいったら、それが必ずくつがえることを、みんなよくわかっている」とのべている。

以上が日本において「基地」と「原発」を止められない理由である。本来条約は、最高法規である憲法の下位にある法規範であり、憲法上国会の承認を得なければならないから、「密約法体系」は当然にも司法により憲法違反と判断されねばならない。それを実現するためにも「憲法と法律にのみ拘束される」(憲法76条3項)裁判官が、アメリカの指示のもとに書いた砂川最高裁判決は、憲法違反の無効として再審の対象とされ、「統治行為論」そのものが打破されねばならない。基地と原発を止めるためにも。