「一粒の麦」NO.230 反骨爺のつぶやき

投稿日: 2015/03/19 5:42:53

トマ・ピケティの『21世紀の資本』が世界的ベストセラーになっている。3世紀以上に及ぶ資本主義の分析を通じて、格差拡大の矛盾を徹底的に追及した書、とされており、1%と99%の運動の正当性を理論的に証明したものとなっている。

しかし、今ここで言いたいことは、この1%の金の力が、自然科学を真理探究と幸福をもたらす手段から、金儲けの手段に変えてしまったことである。その典型が、人類と共存しえない、最も非人道的武器としての核兵器である。ヒロシマへの原爆投下直後、中国の「新華日報」は「本来の人間生活の幸福に役立つべき科学が、かくのごとき残酷な破壊力と殺傷性をもつ武器に応用されたことは、全人類――とくに全世界の科学に献身している学者たちに、さぞかし深刻な感慨をもたらしたことであろう」と報じたが、戦後70年、自然科学はますます人民の手から離れ、資本の支配下に置かれている。

この自然「科学がもてはやされ異様に発達した」100年を告発し、これからの100年を「人間のための科学、文化としての科学」として取り戻す100年にすべきだと、訴えているのが、池内了氏の『科学のこれまで、科学のこれから』(岩波ブックレット)である。

池内氏は現代自然科学の「異様さ」を象徴するもう1つの存在が、フクシマであると指摘する。もともと原発とは「トイレなきマンション」であり、10万年後の人々にまで付けを残す欠陥商品である。にもかかわらず、科学者はその事実を秘匿し続けたばかりか、「原発の安全神話」まで振りまいて来たのは「原子力の専門家にとっての一種の科学の不正事件」であった。それにもかかわらず、政治家も科学者も誰一人その責任を取ることもなく、また丸4年経過したフクシマは何ら収束することなく放射能を垂れ流し続けているにもかかわらず、原発再稼働についてほとんどの科学者は協力しているか、または沈黙している。

しかし、本来の科学の任務は、「人間のための科学」であり、池内氏に言わせると「社会の貧困を放置したままで、何の宇宙探査か」ということになる。『21世紀の資本』がベストセラーになっていることは、格差と貧困を解決する社会科学こそが現代に求められている科学であることを証明している。いまだ人民の手の内にある社会科学の出番であり、複雑系の社会科学を貫く論理が弁証法である。次回の哲学講座は、「諺から見た弁証法入門」にしようかと思っている。