ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ・第12講

投稿日: 2014/10/28 0:26:10

精神現象学⑫ 「D 精神」④

カントの道徳的世界観は、道徳性と自然(幸福)、理性と感性、多くの義務と純粋義務という3つの対立を調和させようとするものであるが、ヘーゲルはそれを「思想なき矛盾の全巣窟」であると批判する。つまり、カントはこの対立を概念に統一しようとしないため、1つの契機から他の契機へ、他の契機から元の契機へという「おきかえ」に終始し、結局道徳的意識は存在すると同時に存在しないことになってしまう。

したがって、道徳的意識は自己のうちの対立を廃棄し、「自己確信的精神」としての良心に立ち返らねばならない。良心による行動は、自己のうちに真理があるとする信念にもとづく行動として、「絶対至上の独裁権」である。言い換えれば、良心は独裁権にもとづき、どんな内容をも自己のうちに取り込む特殊性であるから、良心による行動は善であることも悪であることもある。それを恐れて行動に出ない良心が、「美しき魂」とよばれる。

しかし良心は行動してこその良心であり、その行動が悪にならないためには、自己の一面性を認めて他者との間に「赦し」による和らぎが必要となる。この和らぎによって特殊と一般の統一が実現し、理性的かつ普遍的個人を基礎とする個人と社会共同体とが一体化したより高度の人倫的世界が回復することになる。つまり、ここに自己疎外的精神は克服され、ここに絶対精神が登場することになる。

コラムでは、まず史的唯物論が、ヘーゲルの疎外論にもとづく即自、対自、即対自の3段階歴史観に学んで、原始共同体、疎外された階級社会、疎外から解放された社会主義・共産主義という歴史観が展開されていること、社会主義論の中心的概念としての「人間解放」とは、人間の類本質の疎外を止揚する人間の類本質の全面回復を意味していること、をつうじて、ヘーゲルの疎外論を発展的に継承されていることを指摘した。

次いで科学的社会主義の学説においては、「真に人間的な道徳」(全集20 P98)論は未解明であり、現代の課題となっていること、その一般的道徳法則は、カント、ヘーゲルなどの道徳論を発展的に継承して、「人間が人間らしく生きるためのヒューマニズムと理性の道徳論であり、人間の生命の尊厳と自由な精神を尊重すると同時に、個と普遍の統一による人間解放を求める民主主義的かつ変革の立場にたった人道的道徳」として規定しうるのではないか、との問題提起がなされた。