「一粒の麦」NO.243号 会長エッセイ「音痴の話」 重村幸司

 音痴とは字のごとしで、音程やリズムがはずれて巧く歌えないことをいうが、方向音痴や機械音痴などともいう。他のことでも感覚の鈍いことをいうようである。
 私はこの三つとも音痴なのである。歌は歌わなければ知られることはないが、方向音痴は隠すことはできず随所に表れてしまう。そのため結構知られてしまっている。致命的な人格欠損ではないし、おかしみがあるのか、みんなが平気で他人に言いふらすから、初めてあった人さえ知っていることがある。誰に聞いたか?とも聞けないし、静かに笑っているしかない。
 娘も方向音痴である。遺伝に違いなく、すまなく思うが意図したことではないし「許せ」というべき性質のものでもない。二人が、中途半端にしか知らないところを運転すると奇妙な雰囲気になる。お互いが東西南北の感覚が鈍く、真反対の方向を進んでしまうから迷路でさまようような案配になる。お互いが(やはり方向音痴だなあ)と思うが、それを口に出さないから、奇妙な雰囲気になるのである。相手へのいたわりの気分もあり、そのうちおかしさに変わって笑いあったりする。娘は方向音痴のくせに車の運転が好きだから事故が心配である。

    一枚上手の先輩
 先輩にひどい方向音痴の人がいる。私と張り合うところがある。自分の方がまだましだという具合にである。ところがある時、決定的な場面に出くわして立場が明確になった。長崎に行った帰りに広島駅で降りた時、ホームを反対側に歩きはじめたのである。鉄道マンで、車両の整備などが仕事だったから、ホームの反対側から降りる出口を知っているのかと思ったがそうでなく、ただ左右を間違ったのである。方向音痴の特徴でもある。
 しまったと思ったようだが、時は遅しである。私は、いたわりの気持ちで知らぬ顔をするつもりだったが、おかしくて笑ってしまった。
 それから先輩は、会うたびに方向音痴の失敗談を誇るがごとく語るようになった。「この前のう・・」と始まれば必ず方向音痴ぶりの話である。罪のない話であるから、屈託なくつきあう。話し終わって帰る時に満面の笑顔になるのだが、弱点が誇りになるのは幸せなことに違いない。こちらも次はどんな話がきけるか楽しみである。落語の名人芸を楽しむようなものである。

 許されない政治音痴 
 許されない音痴がある。政治音痴である。それが国のトップとなると、笑ってはいられない。経済関係は成熟している隣国と話しあうことすらできない状況をつくるのはどういうことであろうか。憲法が何たるかを知らないのもひどい話である。
 多くの人が、その政治音痴ぶりに気づいた。早々に舞台から退陣の幕を引かねばならない。

NO.249反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

2017/03/27 2:55 に 山根岩男 が投稿   [ 2017/03/27 3:26 に更新しました ]

 昨年9月に成立強行させた安保法制=戦争法にもとづき、南スーダンの駆けつけ警護など、戦争法は本格的な運用に向けて新段階に入ろうとしている。日本は戦争しない国から、戦争する国に大転換したのだ。

 侵略戦争に加担した日本の科学者は、戦後その反省の上に、憲法9条の平和路線を堅持してきたが、戦争法はこの科学者の路線を大きく転換させようとしている。この動きを厳しく糾弾しているのが、池内了氏『科学者と戦争』(岩波新書)である。

 2015年7月、防衛省は「安全保障技術研究推進制度」と称する軍事技術開発のための資金制度の募集を開始した。防衛省による大学取り込みの始まりを示すものであり、「軍産学連携」を目指す意図が明確に示されている。文科省は、一方で国以外のスポンサーからの資金流入なしには大学がやっていけない状況へと追い込みながら、他方で防衛省は大学に対し資金提供をして研究推進を申し出るのである。防衛省の2017年度の安保研究推進制度予算は、16年度の18倍、110億円にふくれあがっている。

 そこに用いられる論理が、「デュアルユース」である。つまりあらゆる科学研究の成果は、民生利用と軍事利用の両者がある(デュアルユース)のだから、防衛省の研究推進と言って、それを直ちに軍事利用のためということはできない、というのである。

 池内氏は言う。確かに科学研究の成果がデュアルユースだというのは、そうかも知れない。しかし、その研究資金がどこから出ているかは、明確に区別しうる。軍から研究資金が出ていると言うことは、軍事利用に手を貸すことになるのではないか。この鋭い指摘によって、15年度に109件あった大学の応募は、今年度44件に急減した。

 軍産学連携を許さないために、大学人は厳しい環境の中で、戦争法に反対し、学問の自由を堅持しようとしている。

「一粒の麦」NO.248号 会長エッセイ「広島での来し方」 重村幸司

2016/10/25 1:34 に 山根岩男 が投稿

 広島で働き活動して29年になる。1987年・36歳の時に国鉄の分割・民営化攻撃により、国鉄労働組合は大分裂させられた。その年の10月、再建された国労広島地方本部の大会で副委員長に就任し、翌年8月の大会では書記長に推挙された。末端組織である分会の副分会長から、地方本部の三役とは仰天の人事であった。
 87年4月にJRが発足し大混乱の中での船出だった。情勢が情勢だけに、結果として仲間の人生を背負う立場になった。

 国労組合員の多くは、売店や喫茶店、果てはスッポンの養殖場やたこ焼き屋などに不当配転されていた。私も一時、広島駅の陸橋に設置されたケーキ屋に配転されたことがある。ケーキを入れた箱を、不器用極まる手で結んだ後、ヒモの結び目がくるう~っと半周するのには往生した。結び方が間違っているのだ。あのシーンをお客はどう見ていたのだろうか?こうして思い出すと、いまでも汗が出る。
 不当配転された組合員は、培った技術や仕事を奪われ慣れない職場で怒りや屈辱にまみれていたであろう。その組合員たちを元職場に復帰させる闘いが大きな仕事になった。
 また、JRへの採用を希望しながら不採用になった8000人近い仲間たちのJR採用・職場復帰も大きな課題であった。不当配転に関する労働委員会闘争はあいついで救済命令を勝ち取っていったが、全面解決には時間がかかった。1047名の不採用事件にいたっては24年の歳月を要したのである。組合員は一人あたり、カンパと物資販売などで60万円前後の支援をしただけに、解決の時はことのほか喜びあった。 

 組織問題ではいち早く弁証法的に対応した。「国労から離れた人を恨まない、国労攻撃は全労働者への攻撃だ。職場の全ての仲間を対象にした要求運動を展開しよう」が合い言葉になった。弁証法の「固定した境界線や『不動の対立』にとらわれない。対立物の相互浸透を視野に入れる」を当てはめたのである。労働者の多くは、労働者性と反労働者性の間で揺らいでいた。そして、300人を超える仲間が国労へ復帰・加入してくれた。一方では、民営化による解雇攻撃の恐怖を乗り越えた者でも国労から抜ける者もいた。資本の側からの力も働き、労働者は揺らいでいることを実感する日々であった。

 その後、地域の活動にも関わるようになった。働くもののいのちと健康を守る広島県センターの事務局を請け負った。荷は増えたが、多くの財産も得た。まず、楽に禁煙をした。また、山歩きの素晴らしさを知った。島巡りや桜ウオークも思い出の宝だ。そして、多くの魅力的な人々にも会え、労働安全衛生に関する知見を得ることができた。週刊のニュース発行には少々くたびれたが、パソコン技術の向上も財産のうちに違いない。
 4年前からは、畏れ多くも労働者学習協議会の会長である。高村元会長が、巻頭言をお書きになっていたので「会長エッセイ」を書くことにした。そもそもエッセイとは何かも知らぬままの書き殴りで、「一粒の麦」の権威を損ねたに違いない。29年の来し方に悔いも恥も多いが、喜びもまた多い日々であった。 

NO.248 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

2016/10/25 1:31 に 山根岩男 が投稿


  漢字は面白い。第1回の「男はつらいよ」におけるさくらは、まだ独身である。さくらのお見合いに同席を頼まれた寅次郎は、車さくらの戸籍名である「櫻」について「二階の女が木にかかる」と読めると言って、一同を笑わす。調子に乗った寅は、「しかし漢字てな面白うござんすね。この尸に水と書いて尿、尸に米と書いてフン。あっしが変だなと思うのはね、尸にヒをふたつ書いてこれがなんと屁なんだ。どうしてヘがヒか、つまり、おならはピーってしゃれかと思って」と、すっかり一同を白けさす。

 確かに漢字は面白いと同時に怖い。表意文字である漢字は、時代と共に歩み続けるからである。優勝目前のカープの「神ってる」は、「神がかってる」ほど勝ちまくっていると言うことなんだろう。

 この参院戦をつうじて、野党共闘という言葉が定着した。野党共闘におけるたたかう相手は、自公政権であり、たたかう目標は改憲阻止であり、共闘の仲間は市民と野党である。 しかし、誕生後間もないこの言葉が、今後どのように発展して行くのか興味深いものがある。野党共闘とは、ある意味で統一戦線である。70年代の初め、東京、京都、大阪などで、革新自治体が嵐のように駆け抜けた。それを支えたのは、社会党と共産党との政策協定を軸にした革新統一戦線であった。日本共産党は民主連合政府綱領を提案したが、それはまだ国政レベルの統一戦線に発展する機運は存在しなかった。

 今回の野党共闘は、戦争法に反対するという国政レベルの課題において、市民運動の突き上げの中で生まれた統一戦線であった。それは初めての国政レベルの統一戦線として、国政革新を課題とするという特徴を持っていた。だから、あれだけ紛糾していた東京都知事選挙において、国政の共闘という上からの大網によって、野党統一候補である鳥越氏を担ぐことができたのである。無限の可能性を持つ野党共闘が、国政革新統一戦線としての実力を発揮しうるのかは次の総選挙での共闘にかかっている。

 野党共闘という漢字も、時代と共にある。それをどう発展させるのかに、現代を生きる私たちの歴史的使命がある。

「一粒の麦」NO.247 会長エッセイ「お見送りの話」重村幸司

2016/08/22 1:09 に 山根岩男 が投稿

 自分が高齢者の仲間入りをしたのだから、先輩諸氏が次々と鬼籍に入るのは自然なことだ。訃報のたびに時の流れを思い知る。

  恩師の思い出
 原田譲次さんという国鉄労働組合の活動家に出会ったのは、岩国駅に転勤し操車場で働いている時だった。原田さんは生粋の日本人であるが、アメリカ生まれのアメリカ育ちだったとかで、名前の譲次はジョージであろう。アメリカでは、ジョージ・ハラダで通っていた事と思う。帰国して国鉄に入社し、米軍基地のある岩国の駅で通訳として働いていた。出会った頃は、通訳兼案内放送係だった。300人を擁する国労岩国分会の分会長でもあった。この原田さんに労働組合運動のイロハを教わった。いわば、師である。所属する政党が違っていたが、頓着なくかわいがってくれた。
 原田さんは、退職してからは退職者組合の組合員として総会などに参加していた。私も現役の役員として参加していたから、一年に一度の語り合いが楽しみだった。
 91歳になられた昨年も参加してくれた。昨年は私も退職者組合員として参加した。(さすがにお老けになったな)と少し寂しい思いがしていた。懇親会になって原田さんは私の所にきてくれて呑みながら語り合うことになった。最初は静かな話しぶりだったが、現役時代の話になるつれて話しぶりが変わってきた。がぜん生気が戻ってきたのだ。顔色だけでなく目の色も表情も変わった。不思議な現象だった。闘士の時代を語るうちに、年齢さえも現役時代に戻った。こんな不思議な事もあるんだとうれしくなった。
 7月の参議院選挙のさ中に訃報を聞いた。選挙のさ中という事情もあり、葬儀への参列はご遠慮させて頂いた。思い浮かべるのはエネルギッシュな原田さんの姿だけでいい。昨年の奇跡の現象、60代の生気溢れる原田さんの姿を心に刻むことにした。

  痛恨のお見送り 
 青年時代、民主商工会で働いていた心の通じる友人がいた。豊頬で笑顔の似合う快男児だった。明るく優しい性格で、誰からも好かれた。
 その彼が病に冒された。肝臓がやられた。見舞いに行った時はまだ豊頬の面差しを残し、「まもなく良くなるから、また一緒にがんばろうね」といった。病状の深刻さを知らなかったから、相づちをうって励ました。
 それから幾日経ったか記憶にないが、突然の訃報だった。あまり良くないという噂は聞いていたが、それほどとは思っていなかったから衝撃だった。
 見送る時、花を添えようとお棺の中の彼を見た。そこにいたのは「彼」ではなかった。豊頬の面影はなく病魔そのものが横たわっているかのようだった。病というもの残酷さを思い知らされた。彼の笑顔が消えそうで、痛恨のお見送りになった。

 元気な時の笑顔こそ思い出の宝だ。ある知人は病院への見舞いも厳しく拒絶した。優しい人だと思った。自分の元気な時の顔だけを覚えておいてもらいたかったのだろう。その方の優しい笑顔が浮かんでくる。だから今でも、生きていらっしゃる。

NO.247 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ(常任理事)

2016/08/22 1:05 に 山根岩男 が投稿

 歴史的な参院戦から、都知事選と、野党と市民の協力で政権を揺さぶった第1次の野党共闘が一段落した。鳥越氏は東京で30数年ぶりの野党共闘のもとで大健闘した。民進党の岡田代表は、野党共闘への「達成感」を表明しながら代表退任を表明した。

 野党共闘がどんなに威力を発揮したかは、アベ政権が危機感をあらわにし、最大の攻撃を野党共闘に集中したことにも示されている。全国32の一人区のすべてで野党統一候補を実現したのみならず、前回の2議席から11議席へと躍進することで、野党と市民の協力にこそ政治を変える力があることを見事に示した。その力があったからこそ、鳥越候補が4野党サポートの上に立候補を決意することができたのである。当選者の一人、青森の田名部氏は「市民の力を感じた。それぞれの中に渦巻いているものが終盤にきて私に押し寄せた」と語っている。国民は政治の変革を望んでおり、政治に絶望して選挙に行かなかった無党派層の6割から8割が統一候補に入れたといわれている。問題は政治革新の受け皿をいかに作るか、にあったのだ。

 いよいよこれから第2次野党共闘が始まる。今回当選した11人は、国会の内外で野党4党に支えられながら、共闘をさらに前に推し進める強力な陣営となるだろう。次は政権交代をも展望しうる衆院選である。市民が切望する参院選での野党共闘から、国民連合政府実現の野党共闘まで、第2次野党共闘の新しい前進と発展形態に注目せざるを得ない。

 他方沖縄では、野党共闘をさらに一歩進めた「オール沖縄」の勢力は、一歩一歩その共闘を強めながら、自民党を追い詰め、連続して勝利してきた。そして今回伊波氏は、現職閣僚の島尻安伊子氏に圧勝したばかりか、アベ政権の米軍ヘリ着陸帯(高江)の強行工事、辺野古の再開を狙うという暴挙にたいし、ついに沖縄の衆参全選挙区から自民党のすべての議席を葬り去ったのである。

 野党共闘は、「野合」ではなくて、未来への「希望」である。なぜなら、それこそ「国民が主人公」の社会だからである。「オール沖縄」のたたかいは、日本全体の野党共闘の未来を指し示している。

「一粒の麦」NO.246 会長エッセイ「ファン気質の話」 重村幸司

2016/07/23 1:44 に 山根岩男 が投稿

 ファン気質というのは可笑しくもあり悲しくもある。
 40年以上前になろうか。職場の先輩に強烈なカープファンがいた。カープも今ほどファンの胸をこがすようなチームではなかった。その年も、首位からはかなり差をつけられ、この日の試合で負ければ自力優勝がなくなるという時でも先輩は「まだしゃあないよ、これからよ」と祈るような目つきで気炎を吐いた。その試合に負けた明くる日、少ししょげた風はあるが「今日から連勝すればしゃあないよ」と高らかに言った。笑えるような雰囲気ではなく「そういねえ」と相づちをうった。
 その後もずっとカープ一筋であろう。今頃、満面の笑顔で鼻をふくらませ高笑いをしていることは疑いない。
                   
 単に「ファン気質」というのではなく、コーチ役をかってでるファンもいる。その人自身、70歳近くなってもソフトボールのピッチャーをやっている。ウインドミルという投法で投げるのだから相当の体力である。年齢を克服するには相応の鍛錬と勉強が必要らしい。その勉強ぶりが高じて、今ではプロ野球の選手に手紙でアドバイスを送るのである。
 ピッチャーには、ボールを握る時縫い目をよく見るようにアドバイスをしたという。縫い目が風ををうけるとかすかに変化を起こすからだという。プロの選手なら当然そんなことは知っているだろうと思うが、そのアドバイスを送ったピッチャーが、その後投げる前に縫い目を見るようになったといい、しかも好調だというから「そうか、えかったねえ」というしかない。 
 中村剛也という球界ナンバーワンのホームランバッターには、バットを握る時の指の扱いについてアドバイスを送ったという。そのアドバイスが効いたかどうか不明だが、怪我さえなければ毎年50本前後のホームランを打つだろう。
 会うたびに、このまえ○○に手紙を送ったというから驚きである。それを実践して成績があがればこれに越したことはない。そして、感謝の返事の一つでもくれば宝物になるであろう。
 自分自身は、昨年は一勝もできなかったと嘆いていたが、今年もまだ投げているようだから、これも怪物といえる。西武ファンの兄貴の話である。

 私のファン気質を笑う人は多い。なにしろ横浜ベイスターズのファンだからである。まず、なぜカープファンではないのか?というのと、あの弱いチームのファンでは応援のし甲斐がなかろうというものらしい。9歳のときからファンだが、56年間で優勝は一回きりである。たいがいBクラスで、見切りをつければよかろうに思うが、そうもいかないから不思議なものである。10連敗ののちに1勝すれば喜ぶのだから、ファン気質とは可笑しく悲しいものである。いつも、これから連勝すれば・・・。

NO.246 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ(常任理事)

2016/07/23 1:38 に 山根岩男 が投稿

 日本共産党は、社会発展を国民の間で熟している問題を一歩づつ解決しながら段階的に進んでゆくことをつうじて、21世紀の早い時期に民主連合政府を実現することを目指している。今度の参院選は、国民の間で熟している戦争法反対と立憲主義の回復という問題を背景として、野党と市民の共闘と日本共産党の勝利により、アベ政権を倒そうという、画期的な社会発展のたたかいとなっている。

  アベ首相は、野党と市民の共闘の広がりの前に、政策ではまともに太刀打ちできないために、野党共闘の広がりを「野合」と批判し、アベ政権を倒した後をどうするかの野党の合意がないから、無責任だとの批判をしている。アベ首相にとって、アベ暴走政治の結果、国民の意識が歴史的に前進し、社会が一歩づつ段階的に発展して行くことが不安で仕方ないのである。なるほど現段階では「国民連合政府」の合意は存在しない。しかし、今回の参院選は、32の一人区で野党共闘が実現し、戦争法廃止と立憲主義の回復で野党が一致し、暮らしや民主主義の問題でも「共通政策」が豊かに発展している状況のなかでの参院選である。その結果が、今後の野党共闘にさらに新たな前進をもとらすことは、間違いないだろう。アベ首相にとって、野党共闘は「野合」ではなく、国民の未来への「希望」だと分かっているから、必死で打ち消そうとしているのである。

 6月19日、沖縄では6万5000人が結集し、女性暴行殺害事件への追悼・抗議県民大会が開催された。女性の父親から「次の被害者を出さないためにも、全基地撤去、辺野古新基地建設に反対」とのメッセージが寄せられた。翁長知事は、史上初めて「海兵隊の撤退・削減を含む基地の整理・縮小に取組んでいく」決意を表明した。沖縄では、一歩づつ県民ぐるみの「オール沖縄」を実現させ、その力で戦争法廃止のたたかいを発展させてきた。その段階的発展をつうじて、ついに基地がある限り被害者は生まれるとの思いから、米海兵隊撤退まで県民の合意を前進させてきたのである。

 社会は変わる。私たちは、沖縄に日本の明日をみることができる。

無題

2016/06/30 1:40 に 山根岩男 が投稿   [ 2016/06/30 1:43 に更新しました ]

「一粒の麦」NO.245号 会長エッセイ 信念の人 重村幸司

2016/06/30 1:36 に 山根岩男 が投稿

 1974年10月30日。ザイール(現コンゴ共和国)の首都・キンシャサの夜。
   独裁者モブツ大統領が国威発揚と、国名を世界に宣伝するために企画したプロボクシング・ヘビー級世界戦が行われた。世界が注目し日本でも実況中継された。
 チャンピオン=ジョージ・フォアマン対挑戦者モハメド・アリの一戦だった。その日は有給休暇をとって、独身寮でひとりジリジリしながら試合開始を待った。
 ボクシングの試合観戦を楽しむためだけではない。ベトナム戦争のただ中、「ベトナム人を殺す理由はない」と兵役を拒否して5年の禁固刑を受け、ボクサーライセンスとチャンピオンベルトを奪われたモハメド・アリ。その美しい信念に感動していた。信念の人の、ボクサーとしての最期の姿を正座しながら敬意を払って見送るつもりだった。
 アリが勝てる可能性はゼロのように思えたからだ。

 ジョージフォアマンは、彗星のごとく現れた怪物だった。アリに初めて黒星をつけた「スモーキン・ジョー」ことジョー・フレイジャーを2ラウンドでノックアウトした。その戦慄のシーンは忘れられない。アッパーカットでチン(あご)をはねあげると100㎏を超えるジョーの身体が浮いた。スモーキン(機関車)と呼ばれた屈強な大男がひざをガクガクさせながら倒れた。なんという・・・。アリを散々苦しめたケン・ノートンも子どものようにあしらわれた。

 アリは現役時代、「蝶のように舞い蜂のように刺す」と自分のボクシングスタイルを吹聴した。実際そのように美しく闘い相手をマットに沈めた。ヘビー級ボクシングの変革だった。しかし、5年の禁固刑(3年7ヶ月で復帰)を受けて往年の動きは失われていた。兵役拒否のツケは補いようものない。フォアマンに2回でノックアウトされたフレイジャーに敗北した。フォアマンに対抗できるとは思えなかった。
 何ラウンドにどんなパンチでアリは砕けるのか?

 試合が始まると、予想通りフォアマンの怒濤の攻撃だった。フォアマンはボディーへ顔面へパンチを振るった。アリはロープに身体をあずけてガードを固めた。そして、わずかな緩みを逃さずワンツーを叩いた。叩いては亀になった。その繰り返しだった。
 打っても打っても決定的ダメージを与えられないフォアマンの心身は疲れた。そして8回、アリは残り10秒のとき渾身のワンツーパンチを打ち込んだ。蜂のように刺したのだ。フォアマンは現実が信じられないかのようにゆるやかにマットに沈んだ。そのままテンカウントを聞いた。なんという・・・。「キンシャサの奇跡」が起こった。

 アリは人生をかけてベトナム反戦を貫いた。人種差別に怒りをぶつけた。
 アメリカはベトナム戦争に敗北し撤退した。黒人のオバマ氏が大統領になった。アリの信念は形になって実を結んだ。アリの生き方に世界は称賛した。
 6月3日、アリは逝った。世界が泣いた。ありがとう信念の人。

NO.245 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ(常任理事)

2016/06/30 1:33 に 山根岩男 が投稿

 護憲派の泰斗・樋口陽一氏は、立憲主義とは「法の支配」(「『憲法改正』の真実」)であると言っている。国の最高法規である憲法という「法」によって、国家権力を縛るのが立憲主義である。憲法は、この立憲主義を「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務がある」(99条))と、明記している。

 戦争法の強行採決を機に、戦争法廃止と立憲主義の回復を求める2000万統一署名が大きな力となり、一人区である参議院32選挙区の全てにおいて野党統一候補が実現し、いよいよアベ政権は追い詰められているが、彼らは2012年4月公表の改憲草案をひっさげ、参院選に臨もうとしている。
  自民党改憲草案には、「緊急事態の宣言」の規定が盛り込まれている。内閣総理大臣が「緊急事態」を宣言したときは、立法権は内閣のものとなり、支出も自由になし得ることになり、予算承認・拒否権という「国の財布のひも」も首相が預かることになる。しかも、草案では、この緊急事態も含めて、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とされているのである。

 樋口氏は「一番大きな問題は、そもそも国家緊急権という考え方が、立憲主義との非常に厳しい緊張関係にあるということです。へたをすれば、この条項はナチスを台頭させたワイマール憲法の二の舞を引き起こします」と警告している。かって麻生太郎副総理は、「気づいたらワイマール憲法はナチス憲法に変わっていた」と指摘し、「あの手口に学んだらどうかね」と語ったが、緊急事態の宣言は、立憲主義の破壊を憲法上の規定にすることによって、ナチスの手口を学ぼうとしているのである。
  しかも、緊急事態を宣言しうる事案として、「地震等による大規模な自然災害」があげられている。東日本大震災、今回の九州の連続震災はいずれも該当することになり、いったん宣言されれば、未来永劫にそれが継続することになる。

  参院選の最大の争点である立憲主義の回復は、安倍政権の改憲構想との対決となって示されている。

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