体験的古典の修行
賃金・価格・利潤 8
二見伸吾(労学協講師団)
ページ数は大月ビギナーズ版
利剰余価値が分解する種々の部分
●利潤とは何か
まず冒頭でマルクスは「利潤」とは何かを定義します。
「剰余価値、つまり商品の総価値のうち、労働者の剰余労働つまり不払労働が体現されている部分を、私は利潤と名づけます」(124頁)
手元にある国語辞典を引いてみると「企業の総収益から一切の必要経費を差し引いた残り。もうけ」とあります。全く違った定義です。
学習するときに大切なのは、著者がそれぞれの概念をどういう風に定義しているかを押さえながら読むことです。著者の定義が自分の定義と違っているからおかしいということはありません。この点を踏まえないと論議がまったく噛み合いません。
マルクスは、利潤とは労働者が生みだした剰余労働のうち不払労働だと定義しました。
利潤=剰余労働-支払労働
労働者が新たに生みだした価値のなかから労働者に支払った価値を引いた分が利潤だということです。
辞書の定義は「企業の総収益から一切の必要経費を差し引いた残り」です。企業の必要経費は賃金だけではありません。工場の土地建物、機械、工具、事務机、文房具など、企業経営に必要な一切が含まれます。この2つの定義を頭にいれて読んでいきましょう。
●剰余価値の分割
124頁の最後の行で、この利潤のすべてが事業資本家のふところに入るわけではないとマルクスはいいます。
まず「事業資本家」ですが、あまり耳慣れませんねえ。「賃金・価格・利潤」は英文の手稿です。ですから英文をみるとemploying capitalistとなっており独訳では、industrielle Kapitalistです。
光文社古典新訳文庫版の「解説」によると、このemploying capitalistには定訳がなく、訳本によってさまざまな訳語が与えられているそうです。私の持っているものでは、新日本文庫版ではただ「資本家」となっていますし、岩波文庫の長谷部文雄訳では「企業資本家」です。光文社版の解説を書いた訳者の森田成也さんは、employing capitalistは、「『資本論』では、機能資本家と呼んでいる資本家、すなわち実際に貨幣資本を産業ないし事業に投じる資本家」だといいます。
「機能資本家」は、「貸付資本家」と対で、貸付資本家がたんなる資本所有者として貨幣を他人に貸し付けて利子を得るのに対して、機能資本家は、自分の資本あるいは借入れた資本を生産あるいは流通に投じて、労働者を直接搾取し利潤をあげます。
さて、この事業資本家は利潤をすべて手に入れることができるかといえば、そうではありません。分け前を与えなければならない人たちがいるのです。それは地主と貸付資本家です。
事業資本(=機能資本)は、工業用地、鉄道ほか生産目的に使われる土地の所有する地主に対して、剰余価値の一部を地代という名目で支払います。また、「貨幣貸付資本家」(money-lending capitalist)に対しては、貸付けられた資金に対して利子として、剰余価値の一部を支払います。それらを差引いた残りが産業(工業)利潤または商業利潤です。
このように、剰余価値は分割されるが、その配分のあり方、どのような比率で配分されるのかは「われわれの主題」とは、かかわりのないことだと述べたうえで次のように言います。
「地代、利子、産業利潤は、商品の剰余価値の、つまり商品に体現されている不払い労働の、べつべつの部分に対するべつべつの名称でしかないのであり、それは一様にこの源泉から、しかもこの源泉からだけ生まれてくるのであります」(126頁)
名前は違っても、すべて剰余価値が源泉だと言うことです。そして、この剰余価値の出所はというと、事業資本家の下で働く賃金労働者であるとマルクスはいいます。
●剰余価値の分割
剰余価値の源泉は事業資本家の下での賃労働であるということを踏まえて考えると、次のようにいえます。
「商品の価値のうちで、原料や機械の価値、要するにつかいはたした生産手段の価値だけをあらわす部分は、ぜんぜん収入というかたちにはならないのであって、資本を補填するだけであります」(127頁)。
100円の商品を売って、原材料・製造機械の価値が40円だとすると、「収入」は60円だということです(製造機械の価値は1台100万円で100万個つくれるのなら、商品1つに付き1円です)。
この「収入」が、賃金、利潤、地代、利子に分割されるのですが、それは「賃金の価値、地代の価値、利潤の価値などなどによって構成される」と考えるのは誤りだとマルクスは言います。
剰余価値は3つに分解するが、これら3つの構成部分の独立の諸価値の和によって構成または形成される」と考えるのは全く真実に反するのだと。事業資本家の手にした剰余価値が、出発点であり分け合う価値の限界なのです。「三つの独立した価値」を出発点として、その合計が価値を形成するというのは通俗的な誤りです。
さあ、ここから重要です。資本はどれだけ儲けているのかはかるものさし、利潤率ですが、マルクスは二通りの考え方があると言います。
第1の考え方
賃金に前払いされた資本 100ポンド
つくり出された剰余価値 100ポンド
利潤率100%
第2の考え方
賃金に前払いされた資本 100ポンド
原料、機械など賃金以外の前払い総資本
400ポンド
利潤率 20%
あれあれ、利潤は第1の考えに比べて5分の1になってしまいました。
マルクスは、「利潤率の第1の言いあらわしかたこそ、支払労働と不払労働との真実の比率、労働のエクスプロワタシオン〔exploitation 搾取〕(失礼ながらこのフランス語をつかわせていただく)の真実の度合いを示してくれる唯一のもの」だと言います(130頁)。
『資本論』では、第1の考え方にもとづくものを「剰余価値率」と呼び。「第2の考え方にもとづくものを「利潤率」と呼んで区別しました。
利潤率は、資本家の頭の中にあるものです。労働者に払う賃金だろうが原材料だろうがすべてコスト。それらを引いて残ったのが自らの利潤と考えます。冒頭の辞書の定義、「一切の必要経費を差し引いた残り」を利潤とし、利潤率は、「利潤/総資本」だからその率は低くなります。
一方剰余価値率は、「支払労働/不払労働」であり、労働者がどれだけ資本によって搾り取られているのかを示すのです。
反骨爺のつぶやき
高村よしあつ(常任理事)
トランプ米大統領の登場以来、「ポスト真実」という青葉が広がってきた。「ポスト真実」とは、真実を置き去りにして、感情で世論を形成する状況を指している。トランプ氏は、国民の大手メディア不信を利用し、インターネットを使って国民の素朴な感情に訴える「ポスト真実」の発信を続け、支持を広げてきた。
トランプ氏とは逆に、大手メディアの情報垂れ流しを利用しながら、感情に訴え、嘘とごまかしの「ポスト真実」を振り回しているのが、アベ首相である。集団的自衛権の容認は、「積極的平和主義」だと居直り、戦争する国家を目指しながら、真珠湾で「不戦の誓いをこれからも貫いてまいります」とぺろっと言ってのけ、宜野湾でのオスプレイの墜落は、「不時着」とごまかして埋め立てを強行している。
アベ首相の「ポスト真実」は、とりわけ新聞の表題づくりで威力を発揮する。それが「テロ等組織犯罪準備罪」である。「テロはよくない。テロを防止するのなら、テロの準備行為も罰しなければならない」という素朴な感情に訴えようというものである。
しかし、その中味を見れば、ビックリ。日弁連が一貫して反対し、2003年からこれまで三度も廃案になって来た「共謀罪」そのものではないか。刑法では、何らかの犯罪を犯したものが処罰されるのであって、犯罪の相談(共謀)をしただけで処罰されることはない。憲法19条は「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」として、それを保証している。思想の自由を侵す「共謀罪」は、現代の治安維持法であり、アベ政権がこれに固執して三度も出してきた理由もここにある。
治安維持法に苦しめられた国民は、今でも国家賠償を求めている。こんな「ポスト真実」にだまされてはならない。
あきやん沖縄旅行記64
「豚の丸焼き」を喰らう!
清水 章宏(労学協理事)
沖縄県那覇市内、モノレール「奥武山公園駅」を出たところの交差点にずーっと以前から気になるお店があった。そのお店の看板にはこのように書かれている。
「豚の丸焼き パーティ宴会本土みやげに 一頭2万5千円より」
そして、鉄板の上に豚がのっている絵が描かれているのだ。これが気にならない人がいるだろうか。
手荷物で持って帰ってみたい?
「豚の丸焼き」と言えば、大きな串に刺された豚をぐるぐる回しながら直火で焼く。焼けたところから切り取って食べる。といったイメージが浮かぶが、そうではない。豚一頭をまるまる焼却炉のような丸焼き機(?)にいれて、5・6時間かけてじっくりと焼くらしい。それはそうと、そもそも沖縄では、パーティや宴会で豚の丸焼きは普通なのだろうか?いや、そんな話聞いたこともないし、見たこともない。本土土産に豚の丸焼きをもって飛行機に乗る人も見たことないぞ。そもそも、豚の丸焼きは、手荷物で飛行機に持ってはいれるのだろうか?想像してみよう。リュックサックの中から豚の顔が出ている状態で飛行機にのる自分の姿を。
自分で自分を追い込む
数年前、大阪でのイベントで豚の丸焼きが出されたことがあった。
一度は仲間を集めて「豚の丸焼きを喰う会」を開催したいと思っていたが、ついにその時が来た。人事異動、職場メンバーの解散会に盛大に「豚の丸焼き」をやろうじゃないかと、なんとなく職場が盛り上がってしまった。とにかく「やるぞ、やるぞ」と言い続ければ後には引けなくなる。自らを追いつめ、もうやるしかない状態に追い込むのだ。
こわごわとお店に
2月沖縄で問題の店舗「豚の丸焼き専門店 金城畜産」へと赴く。店へ行くと「焼豚の御用の方2階へどうぞ」との張り紙。2階と行っても、普通の民家のようなビルだ。外階段を2階に向かうと、いきなり大きな犬が2階からワンワン吠えだした。思わずたじろいていると、2階のドア開けておばさんが出てきた。「豚の注文ですか?1階の事務所で伺いましょうね」と再び1階へ。大きな犬もじゃれつきながらついてくる。
思わず注文20㌔!
1階でさっそく注文。壁には手書きの料金表が貼ってある。一番小さいもので10㌔から。「いつですか? 何キロにしますか?」という問いに。こちらは、とにかく初めてなので何キロくらいがよいかよくわからないが、20人くらい集まるとつげる。当初は10㌔くらいを考えていたのだが、10㌔くらいなら、7、8人で食べてしまうよ、焼いたら水分が飛んで数キロ分は小さくなるし、などと話を聞いているうちに、だんだん気が大きくなりここはドドーンとインパクトをと、「20㌔!20㌔にしましょう!」と、当初の倍の豚になってしまった。
地元民ではない観光客なのだ
その次に聞かれたのは「当日は何時頃取りにこられますか?」。いやいや取りにはこれない。内地に送ってくれと頼む。「あれ、こっちで食べるんじゃないの」とおばさん。それもそのはず、こちらのいで立ちは、ガマから出てきたそのままのリアルに汚れたヨレヨレ作業服。てっきり沖縄で働いている土木作業員と思われたらしい。そんなこんだで、宅配便で職場に送ってもらうことになった。冷凍して送るということだが、熱々のままでも送れるらしい。ただし、その場合は空港止めとなり、到着に合わせて空港まで取りに行くことが必要とのことだ。ちなみに、電話でも注文は可能で、宅配で指定日に送ってくれるとのことであった。
ところで、どう食べるの?
注文は終わった。最後に聞いた。「ところで、豚の丸焼きは初めてなんですが、どうやって切ればいいんですか?」。おばさんは適当に紙の裏に簡単な絵を書いてくれた「首の後ろから背中からしっぽまで包丁入れて、あとは背中から腹の方向に縦に切る。皮がはがれるから、あとは肉を切ってレンジで温めて。頭も耳とかは食べられるし、脳みそもスプーンですくって食べれるよ。残ったところはスープのだしにしてよし。焼きたてだと皮もパリパリで美味しいんだけどね」。なんとなく、わかったような、そうでもないような。その後、沖縄のいつもの飲み屋やら、いつもの民謡ライブのお店やらで地元の人に豚の丸焼きのさばき方を聞くも、経験者は皆無。あげくのはてには、「うちのお店でもやってみたいから体験レポートよろしく」と頼まれた。店の看板では「パーティ、宴会」でどうぞと書かれているのに、地元の知り合いで誰も食べてことがないとはどういうことだ。ちなみに広島の沖縄料理店の大将やスタッフにも聞いたが、こちらでも経験者は皆無なのであった。
来ました豚の丸焼き
「豚の丸焼きを喰らう会」前日。ワクワクしながら到着を待つ。来ました来ました。「豚の丸焼き」と大きく書かれた箱が宅配されてきました。宅配のおじさん、この箱なんだ?と思っているような感じ。箱は約70㌢の大きさ。こっそり開けてみると、ビニールとアルミホイルにくるまれたそれっぽいものが中に。しげしげと眺めていると、なんとなく豚のように見えてくるではありませんか。さすがに凍った状態。自然解凍をと会議室のテーブルに鎮座していただき、明日の御開帳を楽しみにするのでありました。
沖縄風パーティーだ
いよいよ当日。あちこちと声をかけ、チラシを配ってなんだかんだと山口県内のすべての職場から、夫婦で参加や子供含めて27人。メインは20㌔のブタの丸焼き。さらに準備したつまみは、生ハム・チーズ・クラッカー、おつまみサンド、にんじんしりしり、海ブドウとカツオ生節のサラダ、沖縄スナック盛り合わせ、ポトフー、鉄板焼きそば(その場で調理)。そして、これまた沖縄から送ったオリオンビールが1ケースにシークワサージュースにタンカンジュース、サンピン茶。正直言ってけっこう見栄えのするイベントとなった。
これは美味い!
豚の丸焼きをさばくのははじめて。もちろん参加者に経験者はいない。見よう見まねで包丁を入れる。まず背骨に沿って頭の後ろからお尻まで。続いて背中から腹にかけて縦に包丁を入れる。皮と肉がくっついているのかと思ったら、皮だけがペロンとはげる。皮がはげた部分から肉を切りわける。切り出した肉をレンジで温め、タレをつけていただく。まったく豚肉の感じがしない。以外とあっさりとした食感。蒸した鳥肉のような感じでもある。これは美味い。口をこじあけて切り出した舌も弾力があって美味しかった。冷凍で送られた豚がこの美味しさならば、焼きたてあつあつの豚ならどんなに美味しいのだろうかと思ってしまう。
いのちをいただく
最初はこわごわと囲んで見ていた参加者も、皮を剥いでしまえば何人もが肉の切り出し、解体作業を始めだした。休みを取ってやってきたわが社のトップが子供のようにはしゃいで解体作業をする姿が面白かった。コラーゲンの塊だよと豚耳をまるまる食する人やら、豚の鼻を切り落として食べる人など、野生の血がよみがえってきた人も現れる。しかし、肉は切っても切ってもいくらでも出てくる。もちろん豚の丸焼きなど初体験の参加者ゆえ、肉を取り切れない、食べきれない。「いのちをいただく」作業なのに、まこと申し訳ないが食べつくすことができなかった。最後は、肉を準備した持ち帰り容器に分け合った。
子供も大人も貴重な体験
「豚の丸焼きを喰らう会」参加者は全部で27人。山口県内の職場すべてから誰かがつどった。委託会社の人や、お世話になった昨年のアルバイトの方も来てくれた。一職場のイベントにもかかわらず、家族、子供を連れてきてくれた人もいて、とてもうれしかった。子供たちに「いのちをいただく」ということを体験してもらいたい気持ちもあった。子供たちにとって貴重な機会になったと思う。もっとも、大人たちにとっても二度とない機会だったろう。後日、子供を連れてきた人に子供の感想を聞いてみた。「豚は最初は怖かったけど、だんだん怖くなくなってきた。とっても楽しかった」と言い、学校の宿題の日記にも豚の丸焼きのことを書いたという。学校の先生は「豚の丸焼き」の想像がついたのだろうか。
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まんが 六田修