一粒の麦NO.224  会長エッセー 人生の話

2014/09/19 6:06 に 山根岩男 が投稿   [ 2015/03/18 23:24 に更新しました ]

人間として生まれてきたことは素晴らしいことにちがいありません。蚊などは毎回の摂食が命がけで、無事に満腹になることはまれではないかと心配してしまいます。いのちをつなぐ食事中になんの前触れもなく圧殺されるという人(蚊)生は、まことに苛烈といわなければなりません。この命のはかなさはどうでしょう。それでも同情することもなく、かゆさを感じると反射的にたたき殺してしまい、手についた血を拭き取りながら、自然が創り出した「命」の多様性を思います。
 では物事を認識しながら生きる人間には不条理な死はないのかといえば、蚊よりも哀れなこともあります。蚊は死と隣りあわせの食事を敢行しなければなりませんが、それでもそれは主体的行為です。本能のなすがままとはいえ、みずからの意志による行為です。ところが人間は他人から強制されて、無残きわまる死を与えられることがあります。
人生を踏みにじる戦争国家
 徳山市(現周南市)の沖合にある大津島には、「回天」という海の特攻隊の訓練基地がありました。その訓練基地の跡を訪ねたときは心底慄然としました。回天とは魚雷を改造した一人乗りの潜水艇です。人間魚雷回天といわれるゆえんです。この回天に爆弾を装填し、海中を密かに敵艦に近づき爆破させるという武器です。現在の自爆テロです。この回天の乗務員は生き残る術(すべ)がありません。作戦決行として乗り込んだら、ハッチの出口を外から閉めますからその時点で死は確定するのです。無事に?成功して爆破させれば爆死です。艇が故障すれば海のもくずになり犬死です。空の特攻や陸の人間爆弾は、非国民というそしりを恐れなければ死を免れるわずかな可能性はあります。しかし回天は許されません。粛々と人生の夢は無残に絶たれてしまうのです。
 「国のために命を捧げた尊い犠牲のうえに今日の平和がある」という言葉があります。慰霊の場ではよく使われ、常套語にさえなっています。この言葉は、幾重にもごましがあります。本当に「尊い犠牲・・」なのか?その死を「尊い」と持ちあげることによって、その死の本質をごまかしていないか?国によって殺されたという本質を明らかにしないままでは、その死は幾たびも「尊い」という枕詞をつけて繰り返されることになることを恐れます。
 英霊と よぶなわれの死 国あげて だましおどした 末路の死をや
 戦争国家は不条理のかたまりです。人間として生まれてきて、自分の能力を磨き、夢を実現する人生を生きたいと思っても、そんな希望は歯牙にもかけません。稀代の名投手といわれた沢村栄治投手。彼の豪腕は、白球ではなく手榴弾を投げるために酷使され、ついには肩は壊れてしまったという。そして終戦間近に海のもくずと消えました。
 戦後は、平和憲法が生まれ、教育基本法が制定されて「教育の目的は人格の完成にある」と謳い、自己実現の人生を求めました。それが人間のあるべき人生だからです。憲法と教育基本法は力を発揮して、戦時と違い人生を謳歌する時代を創り出しました。
 しかし今また戦争国家への動きが進んでいます。大宇宙の中で人間として生まれてきた奇跡を、戦争などという愚かなことによって空しくすることは許されません。全ての人が素敵な人生を全うするためにも、安倍「亡国政治」に終止符を!

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