「一粒の麦」NO.231 会長エッセー 「川・水の話」

2015/06/24 19:08 に 山根岩男 が投稿   [ 2015/07/01 22:05 に更新しました ]

水の風景が好き。水は形も色も持たないだけにその姿は千変万化だ。
 ふるさとの高津川は水質日本一に選ばれている。ダムがないため淀むことはなく、水が汚れることはない。護岸工事も禁止されていて、川辺には葦が繁っているところもある。水草のあるところにはオヤニラミという絶滅危惧種の珍しい魚も棲む。吉賀富士とよばれる流麗な山の麓を蛇行し、幾つかの支流が流れ込みながら日本海に注がれていく。
 源流は「大蛇ヶ池」という小さな池だ。湧き水によって池ができ、そこが高津川の水の旅の始まりだ。源流が特定されるのは珍しいという。澄み切った池は、誰が見ても癒やされるに違いない。

季節の風景
 早春の川の風景は銀色の世界だ。中国山地の稜線には真白い残雪が輝き、蒼天との対照が鮮やかで美しい。雪解けの水によって水かさが増すと早瀬は春の光に溢れる。詩人が「光の鬼ごっこ」と表現したが、そのまばゆいきらめきは見飽きることはない。
 4月になるとイダ(ウグイ)の産卵がはじまる。オスはオレンジ色の婚姻色になり、季節柄もあってであろう「桜イダ」と呼ばれる。イダは石のきれいな瀬で産卵する性質があり、大人はそれを利用して川に新しい石を投げ込み産卵場所を作る。そこに数えきれいなくらいのイダが集まり産卵する。それを捕獲するのだ。かがり火を焚いて、大人が子どもに返る時間、まるで祭だ。 
 梅雨時になるとすっかり表情を変える。恐ろしいような雨が降り続くと濁流となって荒ぶる。岸からみる濁流はまるで巨大な怪物のうごめきに見える。激流となった川も、岸の形状によって淀むところができ、魚はその淀みに避難する。
 人の営みとは逞しいものだ。大人は危険をおかしながら、そこに大網を入れて魚をすくい取る。いろいろな魚に混じって鮎も捕れた。苦境だからこその恵みがあるのだ。
 夏になると子どもの遊び場だ。村中の子どもが、泳いだり魚を捕ったりして川遊びに興じる。日照りで水量が減り石ころがむき出しになった岸辺には愛らしいカワラナデシコが咲く。カワラナデシコの姿と色は好きな花のひとつだ。川辺に彩りを添える。
魚影にみとれる
 濁流が引いたあと、岩のくぼみに小魚が閉じ込められていたりする。思わぬところで魚影を見つけると、子どもに出会ったような明るい感情が湧く。
 支流に入ると、小さな流れの中にもゴギと呼ばれる清流の魚が棲んでいる。大物では30㎝くらいになるものもいる。初めて見たときはどうしてこんな小さな流れに、こんな大きな魚がいるのかと驚いたものだが、気配を殺してみとれたものだ。
 手の届くところに見える魚影は、子どもか友達と会ったような愛おしさを感じる。水が清らかゆえの風景だ。
  水と共に生きる
 清らかな水というものは心まで清らかにする。水は潤いであり、清らかな水があるというだけでそこで生きていけるように思える。葉っぱで即席のお椀を作り、すくって飲んだ清水の美味しかったこと。水もまた幸せの使者だ。

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