2月 253号

反骨爺のつぶやき

高村よしあつ(常任理事)

日本共産党の自信に満ちた第27回大会が、内外の注目を浴びている。一つは野党共闘の前進と野党連合政府に対する確信であり、もう一つはG7のなかで唯一躍進している共産党として、世界全体を見通しながら、「個人の尊厳」を旗印にして連帯と交流を深めようとしていることである。

現代資本主義は、新自由主義的国家独占資本主義と呼ばれている。アメリカの金融独占資本は、金融自由化の流れを世界中に引き起こし、マネー・ゲームで貧富の格差を飛躍的に拡大している。そのもとで資本主義的矛盾は展開し、1%の富裕層と99%の世界人民の対決する時代となった。国際援助団体のオックスファムが発表した『99%のための経済』によると、世界の最富裕層8名の持つ資産は、世界人口の下位半分である36億人の持つ資産と同じだという。ヨーロッパでも、日本でも、新自由主義に対する反撃が始まっている。そこに共通するのは、「個人の尊厳」を守れ、である。

日本で野党共闘が前進したのは、99%の国民が、政治を変える主体として「個人の尊厳」をもとに共闘相互の間にリスペクト(尊敬)しあったことにあった。そこにあるのは、人間への信頼である。あらためて科学的社会主義の哲学の基本は、人間としていかに生きるべきかという人間論にあるのではないかと考えている。旧ソ連が「人間抑圧型の社会」と呼ばれているのは、人間論の存在しない人間社会の建設に問題があったのではないかと思われる。

3月18日から「”目からうろこ”の哲学講座」が始まる。人間が人間らしく生きるという基本のうえに、初めて人間社会の変革が問題になってくることを提起したいと思っている。新しい時代が日本でも始まろうとしているのだ。

あきやん沖縄旅行記63

やっぱり楽しい闘牛大会

清水 章宏(労学協理事)

今年最初の沖縄はもちろん正月である。正月と言っても旧正月。旧正月明け旧1月7日(新暦2月3日)から沖縄に行ってきた。この時期の沖縄といえば戦跡探索である。しかし、最も寒い時期とはいえけっこう藪は深く鎌やら鉈がほしくなる。サンザンいばらに引っかかれ、ツタにからまれ、すべって転んで傷だらけ泥だらけ。そのままの格好で翌日は「旧正月大闘牛大会」観戦。そんなに闘牛が面白いかといわれるが、闘牛の世界には「人生の大切なすべてのことが詰まっている」のだよ。

地元の人と闘牛談義

旧正月大闘牛大会はここのところ毎年観戦している。沖縄の闘牛シーズン幕開けをつげる大会であり、若手からベテランまで、力のある牛が参戦する見ごたえのある大会だ。今回も事前にプログラムを見ると気になる取り組みや牛の名がいくつもある。非常に楽しみだ。闘牛場で顔なじみになったおばさんと闘牛談義。「汚れた作業服の格好だから、地元の人かと思った」と笑われ、「こんな小さな大会にまで来るなんて好きだねえ」とあきれられ、「今日は暑くないから牛もバテないで長い試合が多いかも」とのことである。

大会はアトラクションも開会セレモニーもなくはじまった。客の入りは、ゆったりと座ってほぼ満席といったところ。翌週にも大きな闘牛大会があるので今日は観客が少ないかもしれないと言っていたが、けっこうな観客が集まった。試合は10組。若手の封切戦から始まり、最後の1番戦は1㌧を超える大型実力牛同士の取り組みまで。今回の大会で注目した試合をあげてみよう。

デビュー戦同士の対決

8番戦「川風貴公子」対「武蔵丸」

ともにデビュー戦である両牛。最初は闘牛場の雰囲気にのまれたのか、互いに落ち着きなく対戦の息が合わない。少しばかり角をぶつけての小競り合いが続いて、やっと雰囲気に慣れたのかヒートアップしてきた。先に勢いついた「川風貴公子」が「武蔵丸」に攻め込む。防戦の「武蔵丸」であるが、徐々にベースをつかんできた。がっぷりと「川風貴公子」を食い止めると、今度はじりじりと反撃「武蔵丸」。押し返された「川風貴公子」は戦意喪失、初陣勝利で飾ったのは「武蔵丸」。

トラウマ克服、涙の勝利

5番戦「ベルリンの壁」対「松力隆丸」

しばらく闘牛大会で見ていなかった「松力隆丸」。昨年8月の夏の全島闘牛大会以来、約半年ぶりの参戦だ。その夏の全島闘牛大会で「松力隆丸」は敗退した。牛は、負け方が悪いとトラウマになって闘うことを恐れ、闘牛ができなくなるという。「松力隆丸」も半年かけて精神面から調教しなおしたのだろう。しかし、入場してきた「松力隆丸」は落ち着きなく、中央で待ち構えている「ベルリンの壁」に顔を背け、あきらかにおびえている。角を突き合わせることを避けて後ずさりする「松力隆丸」の不戦敗かと見えた時、待ちきれぬように「ベルリンの壁」が突進し、顔面にツキを一発みまった。そのとたん、一気に闘争本能がよみがえったのか「松力隆丸」が猛然と反撃に移った。不戦勝試合と思われたのが激しいカケの応酬。もともと粘り長期戦得意の「松力隆丸」、最初の様子から途中戦意失しないかもと思ったが、火のついた闘争心を失うことなかった。21分もの闘いの末、ついに「松力隆丸」の粘り勝ち。半年ぶりの復活勝利に、若い闘牛士が涙をぬぐって牛にまたがりガッツポーズ。

勝負捨てない逆転勝利

4番戦「優琉神三男坊」対「どなん大力」

なんとなく覆面レスラーを思わせる顔のパンダ牛「優琉神三男坊」。「どなん大力」の速攻に腹取り、回り込まれ角で一番弱い腹を突かれる攻撃を許し土俵の土手を逃げる。最前列でカメラ構える小生は頭から砂をかぶり、避けて下がったとたん転んでしまった。「優琉神三男坊」あえなく敗走かと思うと、土俵を半分くらい走ったところで向きを変えて反撃に移った。がっぷりと角を組むと、今度は押しまくる。さっきの勝利寸前の立場から防戦にまわった「どなん大力」。腹にくっきりと角によるケガが見える「優琉神三男坊」だが、ケガにもめげず落ち着いた試合運びをみせる。ついにカケ押しから腹取り炸裂。敗走寸前からの大逆転勝利をつかんだ。

ベテラン牛1年ぶりの勝利

3番戦「夢丸蘭ちゃん」対「龍天龍鬼丸」

「龍天龍鬼丸」は、小生が初めて闘牛を見た2014年当時の沖縄軽量級のチャンピオンであった牛だ。たまたま軽量級優勝記念で土俵入り、記念撮影をさせてもらったことがある。大ベテラン牛。昨年2月の旧正月大闘牛大会で負け、それ以来闘牛大会で名前をみていなかった。この牛は負けても負けても闘争心を失わないと有名であったが、とうとう引退したのかと思っていたら、まさかの1年ぶりの復活参戦だ。これは応援せねばと身を乗り出す。「龍天龍鬼丸」の特徴は大きくて太い角が真っすぐ上にのびるタッチュー角。相手の角を角で絡めてひねり、相手の体力を奪って前へ出るカケ技が得意の牛だ。が、今回はタッチュー角であいての顔面を突く、ツキで一気の猛攻をみせる。ひるむ相手に得意のカケ技で押しまくる。たまらず相手は敗走。大ベテラン「龍天龍鬼丸」1年ぶりの勝利に思わず拍手拍手。

これからが楽しみ、注目牛参上

2番戦「新与那国湧爆弾」対「テン」

「新与那国湧爆弾」は闘牛大会なじみのベテラン牛だ。対する「テン」は今回初めて見る牛だ。その「テン」が入場したとたん、思わずおおっ!と声をあげてしまった。ほとんど見たことのない角のかたち。前方に水平に湾曲しながらのびているカブラー角。相手と組めば角の先が耳とか角の付け根にがっちり食い込む。これにワリ技がからめばイヤな相手だ。こういうクセ者のようなタイプは好きである。わくわくしながら対戦を見守る。案の定「テン」はワリ技で猛攻。対するベテラン牛「新与那国湧爆弾」はカケ技で防戦するが、内側へ湾曲しているカブラー角には苦しい態勢。わずか1分14秒で「テン」の圧勝であった。これは注目したい牛が出てきたと、これからの活躍に興味深々である。

まだまだ知名度は低い

沖縄の闘牛はまだまだ知名度は低い。本土のほうでも知られていないのだが、沖縄の中でも盛んなのは中部以北。那覇や南部のほうでは闘牛も知られていない。那覇で話をすると、見たことがないという人がほとんどだ。ましてや、闘牛を知っていても「闘牛」=「賭け事」としてのイメージでとらえられている方が多いように感じる。

今年2月1日には東京で沖縄闘牛PRの一つとして「うるま闘牛ナイトIN東京」というトークと写真展などのイベントも開催された。その会場には「闘牛は動物虐待だ」「残酷なので廃止すべき」との主張の方々もかなりこられたと聞いた。

闘牛は本能的闘争心が源流

知名度が低く、闘牛を観たことがない、闘牛に触れたことがない人が多いと、スペインの闘牛のように牛を剣で殺すイメージになってしまうのだろう。沖縄や四国宇和島、島根県隠岐の島など日本の闘牛は、そもそも牛の縄張り争いや群れのリーダーの座を争う牛の本能的闘争心の角突きが源流と言われている。自然動物の世界ではごくあたりまえの行為でもある。そして相手が戦意を失って逃げれば勝負ありであり、闘牛の勝敗もどちらかが逃げだせば決着である。けして徹底的に相手を倒すわけではないのだ。動物の本能を競わせ、農家や地域の娯楽文化として根付いたのが現在の闘牛だ。

もっと深く知りたい闘牛の世界

闘牛を観ると、火を噴くような闘いぶりや、押し込まれながらの逆転劇に興奮し、かたや均衡した消耗戦にヨダレをたらし舌を出し放尿しながらも力の限り最後の最後まであきらめないで闘う牛の姿に感動をおぼえる。また、ヤグイ・叱咤の声を牛にかける闘牛士や、勝利に沸く牛主や関係者、子供たちなど、牛を取り巻く人々の姿に牛への深い愛情を感じる。ぜひ牛舎を訪れ、牛の話をいろいろ聞いてみたい。「子供たちは闘牛の牛舎にかよって社会のことや、これから生きていくのに必要なことすべてを教わったものだよ。悪いことも含めてだけどね」と地元の人から聞いた。地域のつながり、愛情、喜び、口惜しさなどから惜別まで、牛舎の中で子供たちは体験し育っていくのだろう。

もう一度言おう。私には闘牛の世界には「人生の大切なすべてのことが詰まっている」ように感じるのだ。

まんが 六田修