1月 252号

体験的古典の修行

賃金・価格・利潤 7

二見伸吾(労学協講師団)

ページ数は大月ビギナーズ版

利潤は商品をその価値どおりに売ることによって得られる

●不正が利潤を生む?

利潤はどこから来るのでしょうか。商品の価値より安く買ってそれより高く売って、その差額をふところに入れる。掴まされた人は損をして泣きを見る。いわばサギのようなものです。そんなことは今でもたくさんありますね。

一つは独占価格といって、大企業がしめし合わせて原価より高い値段につり上げること。もう一つは、大企業が下請け単価を不当に安くさせる「下請けいじめ」。

こういった問題があるのは紛れもない事実です。

しかし、そういう不正がなければ資本は儲けることができないのでしょうか。

実は、このようなやり方による利潤の増やし方は、プラスアルファの儲けであって、見出しにもあるように「利潤は商品をその価値どおりに売ることによって」生みだされるのです。

さて、どのようにして利潤が生みだされるのか。マルクスの説明を読んでみましょう。

①「1時間の平均労働が6ペンスに等しい価値に体現される、つまり12時間の平均労働が6シリング〔1シリングは12ペンス〕に体現されるものとしましょう」(122頁)

「~としましょう」とあるように、12時間とか6シリングとは仮定であって事実ではありません。以下も数字はすべて仮定であり、「しましょう」は気にしないようにしましょう(笑)。

あと「1シリングは12ペンス」とあるのは12進法だからです。鉛筆12本が1ダースというのと一緒。1時間6ペンスなら2時間で12ペンス=1シリングとなります。12時間は2時間の6倍ですから、6シリングですよね。分かりますか。

②「労働の価値〔一日の〕の方は3シリングつまり6時間の労働の産物であるとしましょう」(同)

12時間働いて6シリングの価値がつくりだされ、その半分である6時間分=3シリングが労働(力)の価値に相当するということです。

③「ある商品〔の生産〕に用い尽くされた原料や機械その他に24平均労働時間が体現されているとすれば、その価値は12シリングになる」(同)

原料や機械に使ったお金を1日一人当たりで割ると12シリングになるということですね。

④「労働者が、それらの生産手段に12時間分の労働をつけくわえるとすれば、この12時間は6シリングの追加価値に体現される」

これは前提とした仮定①の繰り返しです。

⑤「したがってその生産物の価値総計は、36時間の体現された労働となり、18シリングにひとしくなる」。

労働者が1日12時間働いて6シリング。原料や機械にかかった費用が1日一人当たり12シリング。あわせて18シリングとなります。

⑥「だが労働の価値、つまり労働者に支払われる賃金はわずか3シリングにすぎない」「労働者の働いた、その価値に体現された6時間の剰余労働には、資本家はなんの対価も支払わなかったことになる」

労働者に支払われるのは、労働〔力〕の価値に相当する部分であり、ここでの仮定は12時間働いたうちの6時間=3シリングです。

⑦「したがって資本家は、この商品をその価値どおりに18シリングで売ることによって、自分がなんの対価も支払わなかった3シリングの価値を儲けることになる」

18-(12+3)=3

「この3シリングが、彼がふところにいれる剰余価値または利潤をなすことになる」

⑧結論「資本家は、彼の商品をその価値を超過する価格で売るのではなく、その真実の価値で売ることによって、3シリングの利潤をあげる」

なぜ、こういうことが可能なのかは、第5回目、テキストでは「剰余価値の生産」(112頁)で説明しました。

資本家は、労働者には労働力の対価を払えばいい。そして手に入れた労働力を使って労働力の対価を超えた分は、「なんの対価も払わずに」(117頁)剰余価値としてふところに入れる。これが資本主義的生産のしくみであり賃金制度の基礎だからです。

労働者は日々働いているわけですけれども、その労働は自らが手にする「支払労働」と、受けとることのない「不払労働」に分割されています。しかし、その分割ラインは誰にもみえない。「労働者の一日の労働のうち、支払われるのはその一部だけで他の部分は不払いであるにもかかわらず……まるで総労働が支払を受けた労働であるかのようにみえ」る(119頁)。

冒頭に書いたように、安く買い叩いて高く売ることもやられているのですが、資本主義のしくみは、そういうことをせずとも商品を価値どおり売って儲かるようにできているのです。そしてそのカギを握っているのはすでに説明をすませた労働力という特殊な商品なのです。

反骨爺のつぶやき

高村よしあつ(常任理事)

辺野古の海の浅瀬には海藻が茂っている。ジュゴンのえさ場である。もっと深いところにはアオサンゴの群落がある。この真っ青な海が水面から高さ10メートルにまで埋め立てられようとしており、最高裁が辺野古訴訟に不当判決を下したため、辺野古の埋め立てが再開されようとしている。 他方、沖縄本島北部は、世界自然遺産に値するやんばるの森である。この高江に、日米両政府は昨年12月末までに6カ所のヘリパッドをつくり、上陸訓練を5倍にする計画を立てている。

広島県労学教は、12月3日から若者7名を含む37名の「オール沖縄」連帯ツアーを主催、沖縄の心を学び、ヒロシマの思いを伝えてきた。高江のテントには、たった1人でうら若き女性が座り込んでいた。「座り込みというと、地面に座り込むのかと思っていた」という、何も知らなかったその女性が、私たちを相手に高江のたたかいの展望をとうとうと語って、やむことがなかった。辺野古の埋め立てに抗議船を出している平和丸の船長は、名護民商の会長である。当日抗議船を警戒して、海上保安庁などから13隻の船舶が出ていたが、船長は埋め立て予定地内を走り回り、立ち去りを要求する船舶に対し、「共に美しい海を守ろう」と呼びかけて、悠然としていた。

世界は矛盾に満ちている。沖縄の人々は、沖縄の矛盾が日米両政府と沖縄人民との間にあることを知っている。それを教えたのが瀬長亀治郎であった。だから人々は、たたかう相手をしっかり見つめ、海上保安庁の巡視船にも、北部基地を守るアルソックの人々にも、たたかいへの連帯を呼びかける。

連帯ツアーの最後は、瀬長の「不屈館」だった。瀬長は、自己を捨て、いかにして沖縄の矛盾を解決するかについて、たたかいの炎を燃やし続け、命をかけた。

あきやん沖縄旅行記62

沖縄と向き合うこと

清水 章宏(労学協理事)

この正月休みに一冊の本を読んだ。

『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』 仲村清司 光文社新書

この本の帯にはこう記されている。

「変質してしまった、この島への遺言 心、文化、信仰、基地etc. この島は何を失い、どう変化したのか 素顔の沖縄を知る一冊」

なんとなく意味深な言葉。手に取って読み始めると一気に読みあげてしまった。

悶々としている日々

昨年12月、広島県労学協主催の「沖縄連帯ツアー」に参加した。ツアーから帰って来て、ますますの重苦しさと焦燥感にさいなまれて悶々としている。

12月。辺野古埋め立て承認取り消し訴訟の最高裁判決で沖縄県の敗訴。高江ヘリパット工事強行のうえ米軍北部演習地の使わない部分の一部返還。オスプレイの墜落事故。辺野古埋め立て工事の再開。そして年明け1月早々にはテレビのニューストーク番組の特集で「基地反対運動はテロ過激派で、中国と韓国人が多くて、日当の封筒が落ちてて、内地のサヨクがお金で動員かけて・・・」といった内容の放送が流された。そういえば年末には「沖縄・高江は基地反対派民兵によって紛争地域となっている」といったことが雑誌に掲載もされていた。まさに国家権力、司法、マスコミも動員しての沖縄潰しである。

12月の沖縄ツアーで感じたもの

正直言って、12月の沖縄連帯ツアーで見て感じたものは、現地の切迫した状況と疲労感だった。垣間見た名護警察署前の逮捕された基地反対派のリーダーたちの釈放を求める抗議行動。閑散としている高江ゲート前や辺野古ゲート前の座り込みテント。なんとなく、以前何度も訪れたときのイメージの元気さがないように感じられた。それ以上に危惧しているのは現地の運動の様子や状況のインターネット上での発信が極端に少なくなっていることだ。東京の友人の一人は「電話やネットが出来ない様にジャミングされているのではないか?」と勘繰ったりしている。一方ネット上にあふれ、どんどん拡大されているのはネトウの基地反対派への誹謗中傷ネタばかりなのだ。内地に伝えられる「沖縄の現状」は気分感情を煽り立て、基地反対運動を敵対視する方向へ誘導しようとしているようにみえる。

沖縄で目にするのは

沖縄の問題は基地の問題ばかりではない。すさまじい勢いで進められる開発、都市化。壊される自然や失われる景観。地域コミュニティの崩壊と、貧困化の拡大。ここのところ沖縄で目にするのは、歴史の中でつくられてきた本来の沖縄文化や風土がなくなっていき、観光イメージでつくられた「沖縄」っぽさばかりだ。沖縄好きの友人もいるが、楽しい沖縄の話しかでてこない。沖縄の本来の魅力が徐々に失われていくように感じているのは私だけだろうか。今の沖縄はどこに、どのように向かおうとしているのだろうか。

仲村氏の言葉にうなずく

そんな時にその気持ちに応えるこの本『消えゆく沖縄』を手にした。

著者の仲村清司氏は以前から「沖縄を表層で語ると叱られ、深入りすると火傷する」と言い、『消えゆく沖縄』の中でも「あえて火中の栗を拾いにいくがごとく、火傷する覚悟でもって臨まないと、この土地には迫れない」と書いている。その上で「(自分にとって)ともかくも、いまは沖縄が重い。」と心境を書き綴り、エピローグでは「僕も、この島も、いまもって出口が見えないままである。」と締めている。

仲村氏が感じている「沖縄」への思いや書くことへの重苦しさになんとなく共感し、この本に書かれている本音と弱音がそのまま突き刺さる気がした。『消えゆく沖縄』出版インタビューで「沖縄に未来があるのかどうか気鬱に考えてばかりいる自分に疲弊してしまったのです。」と語る仲村氏の言葉にうなずいてしまった。

20年間での沖縄の変化

この本は6章からなり、それぞれ「戸惑い 観光立県・沖縄の現在」、「失われてゆく風景 故郷、那覇、農連市場」、「溝 移住者の揺らぎ」、「葛藤 まとまる沖縄とまとまらない沖縄」、「民意 沖縄の真価が問われる時代」。「信仰 消える聖域と畏れ」といった副題がつけられている。大阪生まれで沖縄人二世の著者仲村氏が沖縄に移住した1996年から現在までの20年間、沖縄で何が起き、どう変わってきたのか。「沖縄ブーム」「沖縄問題」と軌を一にし、変質していく文化や風土。まさに沖縄の素顔が書き綴られている。その変わってしまった、失われてしまった沖縄への思いが胸に刺さる、心に響く。

「沖縄ブーム」から「嫌沖」へ

沖縄が変質しただけではなく、ヤマトから見た沖縄は、10年ほど前は「沖縄ブーム」で盛り上がり、「癒しの島」「憧れの島」として毎日のようにメディアで取り上げられ、沖縄本が次から次へと出版されていた。それが今ヤマトからは「土人」「偏向新聞をつぶせ」と罵られ、「嫌韓」「嫌中」に続いて出版される「嫌沖縄」本の数々。インターネット上には沖縄への誹謗中傷があふれかえっている。仲村氏は「移住して20年後の沖縄はヤマトから無視され、嫌われ、差別される土地になりました。」という。これも、見て感じた現状に同じ思いでいる。

向き合うことをやめないために

なんでこのような現状になっているのだろうか。どうしていけばよいのだろうか。私にとっても沖縄は「重苦しい」存在になりつつある。沖縄に行ったり、沖縄のことを思っても楽しさよりも辛い思いのほうが大きくなっている。重苦しさと焦燥感にさいなまれながらも、それでも沖縄を歩いて、見て、考えたことを発信しなければなるまい。発信することをやめると、今までの知ってしまった沖縄は私の自己浄化で終わってしまい、それ以降沖縄から目を背けてしまうことになってしまうだろう。沖縄にかかわりつつ、そうして目の前から消えていった知り合いが何人もいる。辛くても向き合って、発信を続けなければならないと自分に言い聞かせる。

最後に、ノンフィクション作家藤井誠二氏の仲村氏へのインタビュー記事(2016年12月14日Yahooニュース)から引用したい。

『仲村:沖縄出身で東京在住の沖縄文学研究者の伊野波優実さんが地元紙のコラム欄にこんな文章を記しておられます。

「そもそも沖縄が好きだから沖縄のことを研究している沖縄出身の研究者なんて居るのだろうかと思う。彼らはみな、沖縄のことを『識ったが為に愛し、愛したために憂え』ているのではないか。少なくとも私は、沖縄にまみれている自分から逃げようにも逃げられなくて、向き合うしかなかっただけである」

通じるものがありますね。僕が沖縄を愛しているかどうかは別として、沖縄にこだわったために沖縄を憂う自分がいることは確かです。『消えゆく沖縄は』はそのことを読者の方々に伝えたかったかもしれません。また、本音と弱音を吐いてしまいました(笑)。』

『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』(仲村清司 光文社新書)

ぜひご一読をお願いしたい。

まんが 六田修