NO.218 会長エッセー「ふるさとの歴史2」地名の由来と伝説

投稿日: 2014/04/02 11:34:13

ふるさとの地域は吉賀(よしか)とよばれており、数年前にとなりの「柿の木村」と合併して「六日市町」から「吉賀町」になりました。この「よしか」という地名の由来は1300年前にさかのぼるのですが、多くの謎があり悩ますのです。

吉賀とは、「善い鹿」が由来で、つづめて「よしか」というようになったのです。

が、「善い鹿」というのはたたりを恐れてそう名づけただけで本当は「悪鹿」伝説が元になっています。足が8本あり角が8本に枝分かれした巨大な鹿、空を飛び人まで食ってしまう世にも恐ろしい悪鹿。この悪鹿がこの地で退治されたという伝説があるのです。退治したものの、祟りを恐れ「善い鹿」として祀り霊をなぐさめたのでしょう。

山陰の小京都とよばれる津和野まで含めた郡を「鹿足郡」といい、広い範囲にこの伝説が息づいていることがわかります。地名にまでなっていますから、なにかのことがあったことは確かなのでしょう。しかし、このような鹿は存在しません。麒麟ビールのラベルのようなこの異形の怪物はなんなのでしょうか?この鹿は「やくろ鹿」とよばれています。漢字では「八畔鹿」と書きます。足や角が8がらみですから、八はわかりますが、なぜ畔なのか?畔は田を区切る「あぜ」ですから、この漢字をあてるのは不思議です?もっとも「畔」は「クロ」とも読みますから「やくろ」と読むこと自体は問題ないのですが、クロに畔を当てるのが釈然としないのです。なんの意味が含まれているのでしょうか?

701年と重なるできごととは?

このヤクロ鹿伝説は、吉賀地方の古文書「吉賀記」に書かれているもので、それによりますと、この鹿は701年に筑紫(今の福岡地方)から現れたことになっています。

朝廷からこの悪鹿退治の命令をうけた強者が、この怪物を追って行くうちに吉賀地方まできて、ようやく退治したということになっています。釈然としないのは、空を飛び人まで食らう怪物が、人間に追い詰められて逃げまどうことがあるのだろうかということです。関門海峡をひとっ飛びするような怪物に人間が迫ることができるのでしょうか?

701年といえば、日本で初めての法典といっていい大宝律令が発布された年です。東北の蝦夷にまでは及んでいませんが、大和政権によって全国がほぼ掌握されたといっていい時代でしょう。筑紫近辺は、卑弥呼の邪馬台国のあった場所だという説も有力で多くの議論がされてきた処です。相当強力な部族が存在していました。また、大陸からは対馬を補給地として、九州に入る渡来の集団もあったことも知れています。悪鹿は鹿ではなく、朝廷の支配を嫌った部族か、あるいは渡来の一群だったのではないかと思えるのです。

八がらみのもう一つの怪物、神楽のフィナーレを飾るスターですから神楽好きなら誰でも知っている「ヤマタノオロチ」。頭と尾が八つあるヤマタノオロチは神話の世界です。しかし、ヤクロ鹿は701年ですから、神話の世界とはいえません。現実の世界との関わりをもちながら、伝承の世界を併せ持つこの怪物が気になります。これから菜の花・桜・カタクリをはじめ色々な花々が咲きほこり、日本一の清流が流れる美しくたおやかな故郷に、地名の由来にさえなったこのような怪物伝説があることもまた楽しいことです。今となっては、この怪物の正体をあばくものはなく、だからこそあれこれの想像が楽しい。

重村幸司(会長)