「一粒の麦」NO235 会長エッセー「人生の夢の話」

2015/09/27 5:09 に 山根岩男 が投稿
 誰もが子どもの頃、「将来なにになりたいか」という書き物をさせらたと思う。何歳の頃か覚えがないけど、刑事にな たいと書いた。刑事がどういうものか知っていたわけではないが、「悪い人を捕まえたい」という趣旨のことをかいた。何に影響されたのか記憶にないが、シャーロックホームズの本を好んで読んでいたから、ただの憧れだったかも知れない。それっきりだった。その後、刑事になろうとは一度も思ったことはない。

 夢を持ったことがない。山村で平穏に育ち「青雲の志」など持ちようがなく、就職だけが関心事であった。学力がひどく劣っていたわけではないが、国鉄バスで働く方から勧められるままに、国鉄に就職する為には有利といわれる実業高校に進学した。

 そういう学校に入ったのだから当然国鉄に就職した。「てっちん乞食」と呼ばれる低賃金には閉口したが、とても愉快な職場だった。良質な趣味の持ち主も多くそれぞれ人生を謳歌していた。誘われるままに好きな野球・卓球・将棋などに興じた。

 最初の職場で、同期では一人国鉄労働組合(以下、国労)に加入した。「マル生」攻撃という国労破壊の嵐が吹き荒れていたので、国労の役員は驚くやら喜ぶやらであった。
 思わぬことにここに人生の夢を得る舞台があった。アメリカによるベトナム侵略戦争が激しくなる頃だった。国労は、ベトナム侵略戦争に対して厳しく反対運動を展開した。そのことで、スポーツだけでなく組合運動にも関心を持ちはじめた。

 伏線があった。60年安保闘争、米ソ一発触発のキューバ危機、アメリカによるベトナム侵略。少年期ながらこれらのニュースには興味津々だった。朝いちばんのニュースをドキドキしながら見ききした。中学3年の時の弁論大会で論じたのは「ベトナム戦争について」だった。戦火に逃げまどうベトナム人母子の映像が心に刺さっていた。
 職場は小郡から岩国に移った。岩国は米軍基地がある街で、岩国基地を見ればベトナム戦争の情勢が分かるといわれるほどだった。平和委員会の河野さんという方が毎日望遠鏡で基地を見て爆撃機などの動きを記録した。そういう環境の中で、国労岩国分会の青年部長になった。ほどなく親組合の副分会長にもついた。 

 国労はベトナム戦争反対を掲げて「順法闘争」という名のサボタージュ闘争を展開した。ストライキのスローガンの中には必ず「ベトナム侵略やめよ」が唱えられた。青年部は岩国基地に向けて、機動隊と激突する「ジグザグデモ」で怒りを叩きつけた。

 当時、日本政府は基地貸与という協力だけでなく、軍事力の強化を図りつつあった。1978年には有事立法という軍国主義復活の動きが加速しはじめた。憲法9条がある中で、戦争することはあり得まいと思っていたが風向きは明らかに変わっていった。

 その頃である。「『絶対に戦争しない国』を見定めて目をつむりたい」と強く思うようになった。これが人生の夢になった。

 そして今、戦争法案である。1947年の憲法発効の翌年からアメリカによって仕掛けられてきた再軍備への道。自国の防衛ではなく、アメリカの軍事戦略の一環として組み込まれていく道だ。今の国のあり方を変えて、アジア・世界の平和に貢献する平和国家になったら、またスポーツや将棋などを心ゆくまで楽しみたいものだ。
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