NO.259 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

投稿日: 2018/03/22 5:36:59

ヒロシマ、ナガサキから72回目の8月がきた。1946年1月に国連決議第1号で核兵器禁止を決議して以来、71年ぶりについに核兵器禁止条約が採択された。歴史的快挙であった。

第2次世界大戦の直後に始まった冷戦は、核兵器を持っていれば相手国も手出しできないから、戦争を抑止する力になるという、「核抑止力論」を生み出し、核軍拡競争は歯止めなく広がっていった。核兵器廃絶を願うヒバクシャの声に対し、核軍縮交渉を約束しながらも、核保有国は「わしらが核は独占する。お前たちは核に手を出すな」という、誠に身勝手な核兵器不拡散条約でヒバクシャを愚弄した。

ヒバクシャはそれでも、核兵器は国際人道法に違反する残虐な兵器であることを訴え続けた。1996年国際司法裁判所は、この訴えを認め、国際世論は大きく動き出す。問題は「核抑止力論」に賛成か、反対かという政治論議にあるのではない。それ以前の問題として、核兵器はそもそも人間が人間らしく生きることも、死ぬこともできない非人道的兵器なのだ、と。つまり核兵器は個人の尊厳を侵していることが問題なのだ。この叫びがついに国際世論を動かし、122カ国、国連加盟国の63%の賛成で禁止条約が採択されるに至った。

支持率急落のアベ内閣は、それでも9条改憲を秋の臨時国会に持ち出そうとしている。9条改憲は、日本を戦争する国にするというだけではない。国民一人ひとりが人間らしく生きるという個人の尊厳をも奪い去ろうとするところが問題なのである。99%の国民が結集するためには、政治的信条を超えて、個人の尊厳という根源的権利を守ることでの団結が求められているのだ。核兵器禁止条約の採択は、そのことを教えてくれた。