「一粒の麦」NO.226 会長エッセー 父の話

投稿日: 2015/01/03 3:43:53

父は突然と逝った。84歳の12月17日、その時期にしては珍しい冷え込みで、夜から雪が降り続いた朝、心筋梗塞で斃れた。温かいふとんからでて、裸足で小便に行く途中、冷え切った板の廊下が心臓を直撃した。物音に驚いた母たちが介抱する頃にはすでに回復不可能な状態で、父が「今、何時か?」と尋ねたのが最期の会話だったという。 それだけであれば人生を振りかえる間もなく逝ったことになり残念であったろうと思うが、前日の夜、兄弟家族や子どもたちが集まって自宅で「カラオケ会」を開いて楽しんだという。期せずして朗らかなお別れ会になったわけで、残念ではあってもみんなが安心した。長く寝ついて人に迷惑をかけることもなく、父の人生はつくづく幸せだったろうと思う。

父のくちぐせ

私は自分が子どもの頃から子どもが好きで、近所の子どもをあやすのが好きだった。

大人になっても変わらず、よその子どもでも遠慮なく抱き上げる。「たかい、たか~い」と子どもを高く持ち上げるのが好きで、子どもがキャッキャ笑ってくれると幸せになる。あるとき、抱いて頬ずりをしながら「こりゃあええ子じゃ、こりゃあええ子じゃ」と言ったとき、一瞬どこかで聞いた言葉だと思った。すぐわかった。父が自分を抱きあげたとき言っていた言葉だ。「こりゃあええ子じゃ、こりゃあええ子じゃ」。子どもにとって、これほどうれしくくすぐったいことはない。この魔法のような言葉がいつ知らず心身に棲み込んでいたものと思える。子どもは誰でもこの言葉が好きだ。どの子も、少し照れたような恥ずかしいような素敵なえがおになる。こころは温かくなっているに違いない。すべての子どもがこんな風に抱かれたら、戦争などは起きないだろうと思う。子どもを抱いたときの、くちぐせになった「こりゃあええ子じゃ、こりゃあええ子じゃ」は、子ども好きだった父ゆずりだ。この言葉を言うとき父に会える。

百万両のえがお

父は幸せだからであろうか、実に屈託なく笑った。ある人は「百万両のえがお」とよんだ。今なら「百万ドルの・・」というところであるが、あの年代は百万両である。父を思い浮かべるときは必ず満面の笑顔である。渋い顔は想いだそうにも浮かんでこない。 恐縮な話であるが、我が家は故郷で「なかよし三大家族」のひとつに数えられていたそうである。たしかに家族でいがみ合うことなどなかった。一度だけ夫婦げんかがあったが、目にしたのはこの一度だけだ。余談であるが、この夫婦喧嘩を作文に書いて机の上に置いておいたら母が見て、「はあ喧嘩せんけえ、この作文は出さんでくれんさい」と言って喧嘩は収束した。「子どもは鎹(かすがい)」とはよく言ったものである。

ともかく諍いのない家だったのは、父の百万両の笑顔のおかげだったのかも知れない。

父親たるもの

父親たるものどうあるべきか?ほどよく働き、満面のえがおを見せていればいいのではないかと思える。なにかを押しつけるのは御法度だ。偉そうにしてはいけない。そんな顔をすればしっぺ返しをくうだけだ。あまり気張らなければ、父親というのも良いものかもしれない。娘が笑ってくれるだけで幸せになれるのだから。