NO.277 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ(顧問)

投稿日: 2019/03/22 1:16:34

「徴用工」問題で、植民地支配と結びついた人権侵害問題の解決が求められている。第2次世界太戦後、1960年の植民地独立付与宣言や65年の人種差別撤廃条約が国連で採択され、植民地支配やその根底にある人種差別は国際法上許されなくなった。

しかし、これに対し、日本などの支配者側では、植民地支配は当時の国際法下では合法であったと主張している。植民地支配を不法と規定した現在の法は、過去に遡及しないから、当時は合法であったというのである。

父親が広島から朝鮮半島に移住したところから、当時日本の植民地であった韓国で生まれ、敗戦当時「冬のソナタ」で有名な江原道・春川に住んでいた。日本の敗戦と共に、街中は「マンセイ(万歳)!」「マンセイ!」と叫ぶ民族解放を叫ぶ韓国の人たちであふれ、当時7歳であった私は、家族とともに朝鮮半島から追い出され、日本に引き揚げることになった。当時は何も考えなかったが、朝鮮半島の人々にとって、日本の敗戦は直ちに植民地からの解放と日本の引き上げを意味したのであった。

後になって、1943年の米・英・中という連合国を代表する3か国によるカイロ宣言によって、植民地支配に反対する人民の声を背景に、対日占領政策として「領土不拡大」の原則という新しい国際法上の原則を確立し、日本が第1次世界大戦以来略取したすべての領土を返還させることを定めたことを知った。

その意味でカイロ宣言は、それまでの日本の植民地支配を国際的に違法であると断罪し、それを「領土不拡大」の原則にしたがって、解決しようとする画期的なものであった。植民地支配は、決して第2次世界大戦後になって始めて国際法上許されなくなったのではない。「領土不拡大」の原則は、連合国の代表という国際法の主体によってつくられた条約であるカイロ宣言によって、新しい国際法上の原則となったのである。