「一粒の麦」NO.240号 会長エッセイ「判官びいきの話」 重村幸司

2016/02/10 3:44 に 山根岩男 が投稿

 「判官びいき」という言葉がよく使われる。九男だった源義経は「判官」の官職を得ていたので「九郎判官」と呼ばれていた。その九郎判官が、兄・頼朝との確執で自刃という悲劇的な最後を遂げた。その末路に同情し心を寄せることを「判官びいき」というのだという。弱者をいたわり応援する心情といえる。
 例えば大相撲で、体重が100㎏に充たない舞の海が、2倍以上の小錦や曙と取り組むと、館内はこぞって舞の海に声援を送る。自分の腹回りほどありそうな相手の足にしがみついて奮闘すれば館内は大騒ぎになり、勝てば狂喜乱舞の有様になる。弱小なものへの「判官びいき」である。

 レーニンだったか、はっきりとは覚えていないが「弱小な者たちの闘いに同情し心を寄せるのは、それは弱いからではない。信念を通し果敢に闘うから同情するのだ」という趣旨の言葉がある。この言葉に触れた時、なるほどと思った
 上関原発建設に反対する祝島の島民は、中国電力という巨大企業や行政の圧力に負けず、文字どおり人生をかけて30年間闘い続けている。だから多くの人々が共感し支援する。感動が広がり闘いはますます高揚することになる。
 「辺野古の海を汚すな。戦争の島にするな」と、連日座り込むおばあやおじい。長い闘いの中で、少しずつ闘いの意義が広がっていく。「判官びいき」がいつの間にか、国を脅かす巨大な力になっていく。
                      
 ベトナム戦争の頃、ベトコンという名前をよく聞いた。ニュースなどでも普通に使われていたように記憶する。ベトコンとは、アメリカ軍などが使っていたもので、南ベトナム解放のレジスタンス兵士への蔑称だと知ったのは、ベトナム反戦の運動を知ってからであった。巨大なアメリカ軍と戦うにはゲリラ戦しかなかった。最初はゲリラという言葉ともあいまってベトコンとは悪い人達というイメージで捉えていた。攻める側から見る風景なのである。
 アメリカのベトナム侵略で、ベトナム人は300万人死亡、400万人が負傷したといわれている。アメリカ軍はダイオキシンを含む枯れ葉剤まで撒いた。ベトコン(解放戦線兵士)が潜むジャングルを枯らす事と、農作物を枯渇させることが目的だったといわれる。民族皆殺し作戦といってもいい。攻められる側から見る惨劇の風景である。
 どれほどの悲劇が生まれたろう。いかほどの血と涙が流れたか?それでも負けずに闘い抜くなかで、世界で、そしてアメリカ本国でも反戦運動がうねりになっていった。世界中の多くの人達が、ベトナム人の「独立を」という崇高な闘いに同調した。最初は「判官びいき」のひとつであったろうか?いつしかそれを遙かに超えていた。

 今年のNHKの大河ドラマは真田幸村だ。「判官びいき」族はたまらないであろう。 劣勢を覚悟で死力を尽くし血路を開く姿。池波正太郎の「真田太平記」11巻を2回読んだ者としては、日曜日の夜は至福に時間になる。

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