NO.286 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ(顧問)

投稿日: 2019/12/02 8:42:17

10月22日、天皇の皇位を継承する「即位の礼」が行なわれたが、マスコミに延々と報道された儀式を見て、多くの国民が何らかの違和感を感じたのではないだろうか。戦前の憲法が天皇主権だったのに対し、現憲法は国民主権を明記しており、いわば180度主権の存在は転換しているからである。

憲法第1条には、天皇の地位は「象徴」ではあっても、「主権の存する日本国民の総意に基く」とされており、また、皇位の継承は、憲法第2条により「皇室典範」によるとされ、「皇室典範」には、「即位の礼を行う」と記載されているのみである。

したがって、「即位の礼」も、天皇が天照大神に奉告する戦前の即位礼のように、天皇正当神話にもとずく「高御座」から「おことば」を宣言して、首相が一段下から「天皇陛下万歳」をするという、天皇主権の遺物ではなく 、とりあえず内輪の皇室行事として済ませ、改めて主権者である国民の前に出て、即位したことを宣言すべきものというべきである。

また、マスコミも、横並びで延々と戦前の儀式をそのまま引き継いだ「即位の礼」を報道し続けるのではなく、天皇即位の宣言そのものが、「国民の総意」を踏まえたものであるか否かをしっかりと報道すべきだったのではないだろうか。

とくに問題なのは、天皇が「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と宣言したことである。憲法第99条は、天皇は「憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定しているが、7月の参院選で、主権者国民が急いで改憲することを望んでいない結果となったことを踏まえ、たんに「憲法にのっとり」ではなく、「憲法を尊重し擁護する」ことを明確に宣言すべきであったものと思う。

「現行憲法の全条項をまもる」と宣言している日本共産党が、天皇正当神話の「即位の礼」に欠席したのも、ある意味で当然と言わなければならない。