「一粒の麦」NO.236 会長エッセー「それにしても」 重村幸司

投稿日: 2015/10/04 23:59:16

「それにしても、それはないだろう」と思うことは数々ある。

まず、煙草である。毒性があるうえに習慣性があることも知れていながら、堂々と販売するのは社会道徳の退廃としかいいようがない。特に数年前から、パッケージに「貴方の健康を害する恐れがあります」などという趣旨のものを8通りも作って丁寧に忠告するようになった。裁判になった時に、「パッケージにも書いて、言っておいたではありませんか」という防波堤ではないだろうが、毒ですよと言って売るのは、それにしてもである。どうしてこのような事が通用するのであろうか?

余談であるか、禁煙の話。不覚にも二十歳前から54歳まで喫煙してしまった。禁煙してから分かったことであるが、喫煙がどれほどアホらしいことであるか。禁煙のきっかけは「働くもののいのちと健康を守る広島県センター」の事務局長になったこと。命と健康を大切にしようと呼びかける人間が煙草を吸っていてはシャレにならない。

「存在は意識を決定する」というが、ほとんど苦もなく禁煙した。不思議な事であった。

自動販売機の異常

自動販売機も「それにしても」の世界である。とりわけ飲み物を売る自動販売機の数は異常である。数十メートルおきにある所もある。しかもメーカーがしのぎを削り、複数のメーカーのものが並んで置いてある。こんな所にも?と思える場所にもある。建設工事がある所には必ずある。工事作業員を相手の商売であろうが、かって労働者は飲み物を小型魔法瓶にいれて持参していたものだ。

あの四角いものに冷却器と熱源が入っているのだからエネルギー消費は相当なものであろう。新しい自動販売機には「エネルギー消費30%カット」などと貼り紙がつけてある。原発事故の後の国民の目を気にしているのだろう。地球温暖化に抗しているヨーロッパでは、エネルギー消費にも相当神経を使っているというが、この有様をどう見ているだろうか?

戦争を推進するマスコミの怪

この稿を書いている頃、「与党は戦争法案を16日にも採決の意向」という情報が流れている。まるで人ごとである。理知的を自負する大新聞もそれを告げるだけである。

ましてや産経新聞や読売新聞は政府の応援団である。産経新聞は、8月30日の国会前行動を「12万はウソ、35,000くらいだ」といって、ご丁寧にも国会正面の写真に四角割の線を引いて計算して報道していた。広島から参加した人は、地下鉄から出れなかったという人や、警察が国会でない方向に誘導していたいう人もいた。

戦争法案の真実を報道せず、国民の声や運動を敵視して戦争国家にむけて誘導するなど戦前・戦中のマスコミ並みである。大本営発表がどれだけの人を殺したか。

NHKニュースの偏向ぶりは無視できない状況まできた。8月30日の夕方7時のニュースは、バンコクの爆破事件とスズキとフォルクスワーゲンの提携問題を長々と報道し、三番目にようやく国会前行動を報道したが、大群衆の姿は報道しなかった。

国の基本である憲法が破壊されようというのに、この体たらくは何としたことだ。

「それにしても」とため息がでた。