NO.260 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

投稿日: 2018/03/22 5:39:27

『資本論』刊行から150年である。不破さんの『資本論』150年に寄せた連載がはじまり、興味深く読ませてもらった。マルクス、エンゲルスの創始した科学的社会主義は、この150年の間に、一体いかなる歴史の進歩と発展をうみだしたのであろうか?

マルクスはこの時代をとらえて、資本主義者社会とは「社会的悟性がいつも”祭りが終わってから"はじめて妥当なものとされる」(『資本論』⑥P497,498)と指摘した。「悟性」とは、ここでは理性と同じ意味で用いられている。エンゲルスが死亡した1895年頃から、世界の資本主義は、他民族や他国家を侵略し、抑圧・支配する帝国主義の時代に突入した。つまり、資本主義とは、理性が後でしか働かない、資本の論理の貫徹する社会だというのである。

しかし、この資本の論理を打ち破ったのが、科学的社会主義を標榜するレーニンが主張した民族自決権の承認であった。植民地・従属国は次々に独立して国連に加入し、国連加盟国の63%にあたる122カ国が賛成して、ついに核兵器禁止条約が採択された。資本の論理が理性の前に頭を垂れた。そして今、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発による軍事威嚇と、これに対するアメリカの軍事的対応が国際情勢を一挙に激化させている。しかし、ここでも理性が紛争の平和的解決の道を照らし出す。ドイツのメルケル首相は、両国の対応を厳しく批判し、中国、ロシア、韓国も対話と交渉による解決を求めている。

そして日本共産党の志位委員長は「危機打開のため米朝は無条件で直接対話」との声明を発表し、関係国・国連に送付した。被爆国日本からのメッセージは重い。”祭りが終わってから”始まっていた理性は、”祭りの前に”働きつつある。150年の歴史は、科学的社会主義が歴史と進歩を生み出してきたことを実証している。