ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ・第5講

投稿日: 2014/04/10 3:49:05

精神現象学⑤「C理性」(1)

理性は、意識の最高位に位置する変革の意識であり、絶対知をもって終わる。「C理性」は、序論に相当する「理性の確信と真理」、「A観察する理性」、「B行為する理性」、「C社会的理性」に分かれる。

「理性の確信と真理」では、「理性は、全実在であるという意識の確信」(P142)であり、この確信を真理に高めることが、理性の課題であるとされる。つまり、全世界は無秩序な存在ではなく理性的(合理的)存在であり、この世界を合法則的に真理に発展させることが、理性の課題なのである。そのために、観察し、行為することが求められることになる。

「A観察する理性」は、対象となる自然のもつ法則性を探求する。言い換えると、対象のうちに概念に媒介された対立物の統一という真理を見出そうとするのである。自然のうちでも有機体は、内的目的という概念に媒介された個と類の統一であるが、「素朴な観念論」である観察する理性は、それを見ようとしない。行為的理性においては、この見地は払しょくされて、唯物論の観点から合法則的変革の立場が貫かれなければならない。

最後に脳科学から見た感性、悟性、理性について一言。脳は、構造、機能の異なるいくつかの脳部位を持ちながらも、「1つの心」としてその持ち主の人格を創り出している。脳科学的には、外部情報はまず脳の感覚野で処理されて感性となり、次いで言語野に送られて悟性となる。さらにその情報は前頭前野という上位中枢に回され、過去の記憶と比較検討しながら、理性的な判断がなされることになる。したがって、感性、悟性、理性は相互に媒介されながら「1つの心」を創り出している。ところが、観念論は感性、悟性、理性を分断してとらえることによって、認識が無限に客観的真理に接近することを否定する。たとえばカントの不可知論は、現象は認識しうるが、物自体は認識しえないとする。つまり、経験から感性、悟性が生まれることは認めながら、それを踏まえて理性の創造性が生まれることを否定することで、悟性と理性を分断するのである。