7月 258号

体験的古典の修行

賃金・価格・利潤 12

二見伸吾(労学協講師団)

ページ数は大月ビギナーズ版

●労働時間の延長

「労働時間をひきのばすばあい、資本家はまえより高い賃金を払いながら、しかも労働の価値を下げることができます」(145頁)

それはなぜでしょうか?労働時間が延長されると、それだけ「搾取される労働の総量が増大」し、「衰退速度の増加」――簡単にいえば、ひどく疲れるということです。増えた賃金は、この疲労の蓄積を補うことができない場合が多いのです。

●ジャガノートの車

つぎに「ジャガノート」というのが出てきます。写真をご覧下さい。これです。脚注に「昔は、インドのプーリー街での祭日に、ヴィシュヌ=ジャガノートの神像をのせた車が市中をねり歩くならわしがあった」とありますが、今でもあるんです。そして今でも死人がでる。youtubeで観ましたがすごい人出(Jagannatha, Rata Yatra 2010で検索)。こりゃ、死人も出るわという感じです。今回調べて分かりましたが、祇園祭の山鉾は「ジャガノート」が源流のようです。本家よりちょっと小さい。乗っている人間の数が全然違いますよね。

さて、本題に戻りましょう。

「世帯主である男子の労働だけでなく、いまでは彼の妻やおそらく3、4名の子供たちまでが資本のジャガノートの車の下に投げこまれており、また賃金総額は上がっても、それはこの家族から搾取される剰余価値の総額には及ばない」(145-6頁)

子どもたちを工場で働かさせるのは「ジャガノートの車の下」に放り込むような危険なことだといいます。そして、家族総出で働けば、世帯収入は増えるけれども、家族全員から巻きあげられる剰余価値はそれよりはるかに大きくなる。

ここではそれ以上書いていませんが、賃金は、家族の分を含めた生活費=労働力の価格ですので、働き手が増えても、それが平均的なあり方になると、2人なら2人、3人なら3人の総収入でなんとか家族が生きていける水準に低下し、これを労働力の価値分割といいます。

●労働の強度

3つめは、労働時間に制限があっても、労働強度を上げれば、資本は剰余価値を増やし、労働者は疲弊します。ですから、労働時間の「制限がある場合でさえも、労働の価値のこれまでの水準を維持していくためにだけでも、賃上げが必要」(146頁)だといいます。

マルクスは労働強度が上がっても、その分、労働時間が短縮されれば、労働者は得をすることになるといっています。労働強度が上げられたら、時短を勝ち取れ!ということでしょう。そして労働の強度の引き上げに見合うだけの賃上げのためにたたかえと。

「闘争をして資本のこうした傾向をおさえるのは、自分の労働の価値低下と自分の種族の素質の低下とに抵抗するというだけのこどでしかない」(146-7頁)

時短闘争・賃上げ闘争は「労働力の価値低下とのたたかい」であるとともに、「日本で暮らす人びとの素質の低下とのたたかい」でもあるのです。

「工場法」は労働基準法の原点です。労働時間を規制することによって労働者を保護しようとしました。日本の労働基準法制は、もともと労働時間規制が弱いうえに、残業代ゼロ法によってますます原点から離れていっています。

反骨爺のつぶやき

高村よしあつ(常任理事)

反骨爺のつぶやき

「一粒の麦」の5月、6月号で、オリバー・ストーン監督の「スノーデン」が紹介されている。2013年6月、スノーデンはアメリカがテロ対策を口実に想像を絶する監視政策を展開していることを暴露して、世界を驚愕させた。た。

アメリカは、2001年9月の同時多発テロ以後、世界を一変させた。テロ対策の名のもとに、あらゆる個人情報の監視が秘密裏に許されることになったのである。私たちの持っている携帯電話、パスピー、イコカなどの一つひとつの動きが、私たちの日々の動きを自動的に収集し、データとして保管され、政府に伝えている。このやり方で、アメリカは同盟国であるドイツのメルケル首相の携帯電話まで盗聴していた。

こうしてアメリカは同盟国まで監視しながら、他方で日本の情報機関にアメリカと同様の監視活動をテロ対策として要求しているのである。2010年、公安資料がインターネットに流出し、日本の警察がイスラム教徒を秘密裏に監視していたことが明らかとなった。2016年、大分県警は野党の選挙事務所に監視カメラを設置していたことも明らかにされた。そして2017年1月、政府は10年以上捜査機関にGPS装置を利用させながら、捜査資料にはその事実を一切記録させないよう警察に指示していたことも明確になった。

しかし、アメリカはそれではまだ足りない、もっと全人民を監視する無差別・網羅的な新しい監視体制をつくれと日本に要求した。それに応じてアベ首相は共謀罪法案を提出し、無理を承知で成立させるという暴挙にでたのである。スノーデン氏の最新の集英社新書の表題は「日本への警告」である。スノーデン氏はアメリカの無差別・網羅的な監視体制は、日本にも要求されている、と警告しているのである。

テロ対策は口実にすぎない。国民主権の大原則が揺るがせられようとしている。アベ政権は市民と野党の共闘で打倒する以外にはない。東京都議選はその変革の第一歩であった。

あきやん沖縄旅行記67

壕のなかで憑依される

清水 章宏(労学協理事)

沖縄の地下壕、ガマを巡っているとよく人に言われる。「人がいっぱい死んでいるところによく行けるね」「何かにとりつかれたりしないか」「連れてきたりしないでくれ」などなど。たしかに壕の中で霞のようなものに包まれたり、急にカメラが作動しなくなったり、ガマに入った夜に金縛りにあったりしたことはあるけど。

壕の中になにかいる!

昨年11月。いつものように作業服、長靴、ヘルメットの姿で歩いている。那覇市と豊見城市の間の丘陵地帯。南斜面の墓地群を歩き、沖縄県埋蔵文化財センターの資料にある日本軍の壕を発見した。そして、壕の中に入ろうとした時、なぜかちょっと躊躇した。

通算202個目にして、その日3つ目の壕だった。躊躇することなどなにもない。だが、その時たしかに躊躇した。なぜか。あらためて入口から壕の奥を覗きこんだ。視界の隅になにかが映った。

なんだ?・・・なにかいる!

一瞬体が固まった。次の瞬間、リュックを引っ掴み、逃げだした。

逃げたのではない、転進だ

抜かっていた。警戒心を忘れていた。こんなに壕やガマを巡っていても、藪の中を歩きまわっていても遭遇したことがなかったから。最近は旅行荷物を減らすため、棒すら持たずに歩いている。そして、壕を見つけるとたいした警戒もせぬまま潜り込んでしまっていた。

壕の中にいたのはハブ。入口から1㍍くらい奥の左壁の下にいた。ハブは自分の体長くらいはジャンプして飛び掛かると聞いていた。今にもジャンプして襲ってくるという恐怖心にかられて逃げた。いや、逃げたのではない。転進した。

それでもやっぱり見たい

4、5㍍逃げ・・・転進して、やっと息をついた。一息つくと、怖いものはどうしても見たくなるのが人のサガというもの。おそるおそる入口が見えるところまで戻ってみる。ハブはじっとしているようだ。怖いのでカメラを最大望遠にして眺める。一見木の根のような姿。体を折りたたんだような態勢で待ち構えているようだった。あのとき、躊躇しなかったら。覗き込んだとき、ちょっとハブが動かなかったら。今頃はどうなっていた? この連載は続いていたのだろうか?

もっともキケンな毒蛇

ハブ。奄美、沖縄の南西諸島に広く分布する毒蛇。沖縄本島などに生息するハブのほか、サキシマハブ、ヒメハブ、トカラハブといった種類がいる。体長は2㍍に達する。夜行性で、ネズミなどの小形哺乳類を主に捕食。温熱感知器官で動物の体温を感知して攻撃する。毒はマムシより弱いものの、排毒量が多くハブ自身の攻撃性が強いため、かつては死亡率が18%にのぼっていたらしい。現在は血清の開発や医療技術の進歩で死亡率は0.5%くらいらしい。(なんだ、安心した)とはいえ、日本産の毒蛇中もっとも大きく、もっとも攻撃的で、もっとも危険である。

今、そこにいる恐怖

夜行性のハブは、昼間はガマや石垣、墓の穴などに潜んでいる。そういえば以前ある離島で、リゾートホテルから逃げて野生化したクジャクがハブを襲うので、ハブがクジャクの近づかない民家敷地や民家の石垣に逃げて隠れているという話を聞いたことがある。いずれにせよ、壕やらガマ、陣地に利用された墓などに入ることは、そこでハブと遭遇することがあってもおかしくはないことだ。壕やガマの中で「何かにとりつかれたりしないか」「連れてきたりしないでくれ」など、居もしない目に見えない何かを怖がっているより、そこに現実にいるハブのほうがはるかに怖いのだ。

壕の中の食物連鎖

そして202個目の壕ではじめてハブに出くわした。今まで何度かハブの抜け殻をみたことはあるが、生きているハブは初めてだった。今まで壕の中で出くわした生き物といえば、やはりコウモリが一番多い。コウモリのねぐらに入っていくわけだからしかたない。コウモリがいれば、その排泄物から始まる食物連鎖。コウモリは天井の同じところにつかまっているのでその下に排泄物が堆積している。排泄物にバクテリアや虫。けっこう虫は多い。ヤスデ、ムカデ、ゲジゲジのたぐいからゴキブリまで。その虫をねらってネズミやトカゲ。ネズミがいればハブもいるはずなのだ。

恐怖の妄想

壕のなかで出くわして一番びっくりしたのは野生のヤシガニだ。30㌢くらいはあったろうか。襲ってはこないだろうが、おっかなびっくりで脇を通りぬけた。あとで民宿の人に写真を見せると、「なぜ捕まえてこなかった。この大きさなら1万円以上になるぞ」と言われた。捕まえて来るなどとんでもない。その壕では日本兵がいっぱい死んでいる。きっと人肉を食べたヤシガニの末裔だろう。人間は美味いとDNAにインプットされており、攻撃してくるかもしれない。真っ暗な壕の天井にいっぱいのヤシガニが張り付いており、美味そうな人間が来たとばかりに天井からわらわらと降ってきて、あわれな私をみんなで啄む光景が脳裏にうかんだりするのである。

トラウマになりそう

とにかく望遠でハブの写真を撮り、逃げるように(逃げてる、逃げてる)丘陵斜面から墓地群の通路へ出た。座り込んで汗をぬぐう。それでもハブが追いかけてくるんじゃないかと変な妄想と恐怖にかられて気が気でない。ついつい壕のあった方向から目が離せないのである。その日はもうダメである。長い物が目についたり物音がすると、怯えてしまって藪を歩けない。壕に入る勇気がでない。気力が萎えてしまった。午後からはスゴスゴと那覇市内へ逃げ帰ったのでありました。

ハブの魔力?

「ハブってやつは不思議な生きものでね、一度人間とにらみあうとその人間がまた来るかどうか、ハブにはちゃんとわかっているんだよ。だから、へたにもう一度出かけると、今度こそ、本当に飛びかかってくるよ」(『ケンちゃん日記』 新里堅進 クリエイティブ21)

実はハブのいた壕にもう一度行ってみたいのだ。そのたびにこの一節が思い出される。あのハブは再び私がノコノコやってくるのをじっと待ってはいないだろうか。絶対来ると確信をもって。壕の中で私に憑依してきたのは、人の言う亡霊とか怨念のたぐいではなく、現実に顔を合わせてしまったハブの魔力のような気がしてならない。

まんが 六田修