NO.221 会長エッセイ 吃音(きつおん・どもり)の話

投稿日: 2014/06/24 13:08:59

数年前ですが、ある青年が吃音を苦にして自死したという報道がありました。「同病あい憐れむ」といいますが、その辛かったであろう日々を思い胸がいたみました。

私はまれに、逃げも隠れもできない宣伝カーの上で演説をすることもありますが、自己流でそれくらいまで矯正しました。そこに至るまでに節目節目の出会いやきっかけがありました。小・中・高の生徒時代、不幸にも学級委員に選ばれることがありました。先生が入ってくる時と授業が終わったとき「起立 気をつけ 礼」の号令をかけなければなりません。これがどもって、先生が入ってくる時間がいやでした。一日、最低12回はあります。授業が始まるのも終わるのも苦痛でした。*中学2年の時、担任の先生からクラス代表として弁論大会の弁士に指名されました。もちろん拒否しましたが、先生も断固譲りません。しかたなく受けることにしましたが、それからが大変でした。演題より、吃音対策です。吃音といっても、すべての言葉に詰まるわけではありません。私は、カ行・タ行・ラ行が弱く、意味が通じればほかの言葉に置き換えるようにしました。そんな最低限の対策をしながら、父に相談しました。父は「原稿を何回も何回も声をだして読みんさい、頭にたたき込んで原稿がなくても話せるようにしんさい。話すのはゆっくり話しんさい」と忠告してくれました。それを実行しました。弁論大会当日はたいして詰まることもなく弁論を行いました。これで吃音が完全に矯正されるわけではありません。その後も「起立 気をつけ 礼」は苦痛でした。しかし後になってみるとこれが初めてのきっかけでした。

青年部長に、そして田中角栄氏との時空を超えた出会い

国鉄に就職して、まもなく国労という労働組合に入りました。そして、2年後には青年部長にさせられました。「させられた」としか言いようのないものでした。それでも、なったからには人前で話すことは避けられません。吃音の矯正が待ったなしになりました。これが第二のきっかけでした。そんなとき出会ったのが、なんとあの今太閤・田中角栄氏です。角栄氏の立志伝が漫画になっていました。それをみると、角栄氏も吃音に苦しんだというのです。しかし角栄氏は、流ちょうとはいえませんが演説上手といわれるようになっていました。この立志伝にはどのようにして克服したかも書かれていました。好きな詩を大声で読む・叫ぶことからはじめたそうで、それをまねました。それが効果的かは別にして、見本があり克服できるんだという肯定感が生まれたのは大きなことでした。

故・湯川準一アナウンサーとの出会いが決定的

次の出会いが、RCCのアナウンサーだった故湯川準一さんです。国労青年部の文化合宿で、湯川さんの「話し方教室」で学んだのが決定的でした。滑舌を良くするための訓練である「あえいうえおあお かけきくけこかこ・・」を続けることを教わり、風呂に入ったときなど一人になったときは必ずやりました。また、のどを開いてできるだけ息長く発声する訓練を教わりました。数ヶ月後、吃音者独特の早口が直ったことに気がつきました。滑舌も格段によくなっていました。声も好きになりました。それが自信になり、知らず知らずのうちに矯正されるに至ったようです。今でも完璧ではありませんから人前で話すのは好きではありませんが、ここまでの変革でも一生ごとの成果でした。自死する前に、かの青年と逢えていたら、なんらかのアドバイスができたかなと思うと他人事ながら残念です。

会長 重村幸司