5月 256号

体験的古典の修行

賃金・価格・利潤 10

二見伸吾(労学協講師団)

ページ数は大月ビギナーズ

版賃上げの企て、または賃下げ反対の企ての主要な場合

●賃上げ闘争の意義と必要性

この講演「賃金・価格・利潤」は、ウェストンの賃上げ闘争は意味がないという暴論に対しての反論です。

彼の主張は「(1)賃金率の一般的な上昇は、労働者たちにとってなんの利益もないだろうということ。(2)それだから労働組合は有害な作用をするのだということ」の2つだとマルクスは整理しています(「エンゲルスあての手紙」1865年5月20日付、本書12頁)。

この「13」が、その反論の結論になります。

ここでは、「賃上げを企てたり、賃下げに抵抗したりする主要な場合」を5つに分けて検討しています。

(1)生産性の低下、向上と賃金

ここでおさらいをします。まず、「労働の価値」という不正確な表現を「労働力の価値」と同じ意味で使います。そして、労働力の価値は、「生活必需品の価値つまりそれを生産するのに必要な労働量によって」(136頁)決まります。

そして何度も出てくる「仮定」です。

①労働者の一日平均の生活必需品の価値は6時間労働分で3シリング

②それゆえ、自分のためには1日6時間働く

③全一日が12時間労働

●生産性が下がったとき

まず生産性が下がった場合です。「たとえば同じ額の農産物を生産するのにまえより多くの労働が必要になり、そのために一日平均の生活用品の価格が3シリングから4シリングに上がったとしましょう」(137頁)。そうすると労働者が労働力を維持するためには4シリングが必要となり、必要労働は8時間、剰余労働は4時間となります。

労働者が3シリングから4シリングへの賃上げを求めることは今まで同じ生活水準を維持するために必要なことです。

ですから、この場合、賃上げを求めるのは、従来通りの暮らしを維持するためにほかなりません。

「もし賃金が上がらなければ、つまり生活必需品の増大した価値をつぐなうのにたりるだけ上がらなければ、労働〔力〕の価格は労働〔力〕の価値以下に下がり、労働者の生活水準は低下することになるであろう」(138頁)

暮らしていくのに必要な、従来通りの物が買えなければ、労働力の維持ができず、価値以下への切り下げとなります。そして、それが固定化されれば、その切り下げられた水準が新たな「労働力の価値」になり、「労働者の生活水準」は低下することになるのです。

●生産性が上がったとき

つぎは反対に生産性が上がったときです。生産性が上がると少ない労働時間で沢山作ることができますから、「一日平均の生活必需品の同じ額が3シリングから2シリングに下がるかもしれない」(同)。

必要労働は6時間から4時間となり、剰余労働は6時間から8時間となります。したがって労働力の価値は下がり、賃金が3シリングから2シリングに引き下げられますが、従来通りのものを手にすることができます。一方資本家はというと、利潤を3シリングから4シリングへと増やし、利潤率〔剰余価値利率〕を100%(資本家6:労働者6)から200%(資本家8:労働者4)にします。

この場合、賃金が下がったとしても、暮らし向きは変わりません。それなら結構なのか?

「たとえ労働者の絶対的な生活水準が以前として同じではあっても、彼の相対的賃金、したがってまた資本家の社会的地位と比較した彼の相対的な社会的地位は下がったことになる」(139頁)。

「相対的な社会的地位の低下」という新しい観点を出してきましたね。

「たとえ労働者がその相対的賃金の切り下げに抵抗したとしても、彼はただ、自分自身の労働の増大した〈生産諸力分〉からいくらか分けまえをとり、社会階級のなかでしめる自分の以前の相対的な地位をたもとうとしているにすぎない」(同)。

だから、生産力が上がった場合、かりに従来通りの暮らしができるだけの賃金があったとしても、そこに満足する必要はなく、生産力があがった分の一部を求めてたたかうのは当然だというのです。

(2)貨幣価値が変動した場合

マルクスは金本位制のもとでの金(きん)の価値を論じていますが、管理通貨制度の今日では、インフレーション(通貨が社会の通貨需要量よりも相対的に膨張すること)のことだと思ってもらって構いません。

通貨の価値が下がることは、物の値段の側から見ると「物価上昇」です。ですからインフレになって賃金が上がらなければ、従来買えた物が買えなくなり、生活水準は低下します。

1970年代、私は小学生でしたが、ものすごいインフレが起きました。1973年12月の前年同月比ですが、ちり紙150%、砂糖51%、牛肉42%の上昇。翌74年新聞の朝刊が30円から50円に。流行語が「狂乱物価」に「便乗値上げ」。子どもの買うお菓子やジュースの類も物によっては倍ぐらいになったのを覚えています。

「日銀の調査によれば、1973年10月下旬から74年3月下旬にかけて、卸売物価は22%上昇した。ところが、このうち、原油価格の引き上げによる全体のコストの上昇を換算すれば11%程度であり、残りの10%ほどは『実際のコスト上昇とは関係のない、先取り、ないし便乗値上げとその波及効果であった」朝日新聞1975年1月4日、林直道『現代の日本経済』181頁、青木書店)。

マルクスは言います。「このような貨幣価値の低下がおこるばあいにはいつでも、資本家はぬけめなくこの機会をとらえて労働者からだましとろうとするのであります」(141頁)。現代日本の資本家も抜け目なく、インフレという貨幣価値の低下を利用してボロ儲けをしたのです。

このもの凄い物価高を当時の労働者は春闘(賃上げ闘争)によって、ある程度取り戻したことをつけ加えておきたいと思います。

1973年から74年にかけての石油危機に大企業が便乗した悪性インフレは、「狂乱物価」といわれ、あくどい買占め、売り惜しみで物価をつりあげる大企業の反社会的行為に、国民の怒りの行動が全国的にひろがった。春闘共闘委員会(180単産831万人)は、74春闘を、「インフレから生活を守る総決戦としての国民春闘」と位置づけ、73春闘を大きく上回る「官民一体のゼネスト的態勢」でたたかうという方針をきめた。

74春闘は労働省調べで2万8981円、32.9%の賃上げを勝ち取った。公務員共闘は賃上げの早期支払いを強く要求した。その結果、国会で「公務員給与の早期支給」が決議され、5月30日に人事院は「本俸月額10%(一人平均1万円)を4月にさかのぼって支給」との暫定勧告をおこない、6月3日に給与法改正案が成立し、人勧前に支給された。そして、7月に人事院はその暫定の10%をふくめて平均29.64%、3万1144円の引き上げ勧告をおこなった。(「国公労調査時報」№554 2009年2月号)

《前回の訂正》

消線を削除してください。

ある商品の価値は、原料や生産手段の価値を補填する部分を除くと、労働者がつけ加えた労働の量になる、とマルクスは言います。労働者が働くことによって新たに追加された価値=剰余価値が生みだされる。

「彼の労働時間によって決定されるこの一定の価値こそが、彼と資本家の双方がそれぞれの分けまえまたは配当をひきだすべき唯一の元本であり、賃金と利潤に分配されるべき唯一の価値なのであります」(132頁)

労働者が新たに生みだした価値(剰余価値)は資本の利潤と労働者の賃金に分割されます。

労働者が新たに生みだした価値のうち、労働者の賃金を上回り、資本の利潤となるものが剰余価値ですね。お詫びして訂正いたします。指摘していただいた高見篤己さんに感謝します。

反骨爺のつぶやき

高村よしあつ(常任理事)

弁証法とは、社会は矛盾をつうじて発展するという、真理認識の方法を示した哲学で ある。それを証明したのが、「核兵器禁止条約の国連会議」であった。

第2次世界大戦の最大の教訓は、戦勝国も敗戦国も含めて、核兵器は悪魔の兵器であ り人類と共存し得ない兵器である、ということの確認にあった。その共通の認識が、1946年1月の国連総会決議第1号における核兵器軍縮の宣言にあった。

それから70年余、2017年3月、「核兵器全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議(第1会議)」が開催され、第2会期の終わる7月7日までに条約を採択しようという画期的成果を挙げた。核保有5カ国など 約20カ国が議場の外で反対しているのに対し、115カ国の政府と NGOが議場の中で 会議に参加していたところに、世界の核兵器廃絶の本流と逆流の流れが鮮明に記されていた。

問題は、核保有国が核兵器のない世界に反対している状況のなかで、いかにして核兵 器を「禁止」から「廃絶」に向かって前進させるのかにある。この点で日本共産党代表団 は、大きな役割を果たした。まず核保有国の参加がなくても締結しうる「禁止条約」を結び、次いで、この禁止条約と世界の反核運動の力で、核保有国に迫って「廃絶」に進もうというのである。被爆者の藤森俊希さんとサーロー節子さん、そして志位委員長の演説は、日本政府が不参加のもとで、日本国民の声として「国連会議」全体に感銘を与え、方向性を示すものとなった。

NGO の一人は、空欄となった日本政府代表席に、「あなたが此処にいてくれたなら」と書かれた折り鶴をそっとおいた。「国連会議」は、日本政府を後に残したまま、大きく前進していった。

あきやん沖縄旅行記65

週末、自転車で出かける

ぶらり沖縄ツアー

清水 章宏(労学協理事)

この4月に転勤のため山口県岩国市に引っ越した。岩国市には沖縄への直行便が就航している「岩国錦帯橋空港」がある。引っ越し先のアパートから自転車で行ってみると、12分で空港に着いてしまった。あまりにも便利すぎる。これでは土曜に気が向いたらぶらりと自転車で出かけ、沖縄・那覇へひとっ跳び。那覇のいつもの飲み屋で飲んで日曜に自転車で帰ってくるという週末の過ごし方があたりまえになってしまうではないか。

空港まで12分!?

結局4月の終わりにそういう週末をすごしてしまった。いつもの作業服、いつもの通勤デイバック肩にひっさげて自転車でぶらりと出発。一泊二日の行程故、下着の着替えと文庫本1冊、コーヒーを入れた水筒だけという最低限の荷物だ。すいすいと自転車飛ばして12分。岩国錦帯橋空港に到着。駐輪場に自転車止めて、空港内カウンターで搭乗手続きまで、アパート出発から20分でおわってしまった。あとは搭乗待ち。持ってきたコーヒー飲みながら文庫本を読む。こんなにあっさりと手続きおわるなら、もっとゆっくりアパートを出ればよかった。

思いつきの格安ツアー

そもそも今回の「自転車で出かけるぶらり沖縄ツアー」は、転勤先の職場で聞いた「岩国錦帯橋空港は、自転車で行ける空の旅というのが売り」という話が本当なのかと思い付きで組んだ企画だ。本当は5月の全島闘牛大会の観戦ツアーを考えていたのだが、所要で行けなくなったので、ならばと行ける日程を検討(そこまでして行くことないだろう)して、飛行機と宿が確保できる4月29、30日で企画したのだ。ちょうど航空会社のポイントがたまり、航空券はタダ、宿も3000円の安宿が確保できた。自転車で行けば交通費無料のまさに格安ツアーである。

いつものお店にあいさつ巡り

岩国錦帯橋空港からの沖縄便は11時25分発、13時25分到着とちょっと中途半端な時間。那覇空港到着後、昼食抜きで予約していたレンタカーでうるま市の海中道路、海の駅(道の駅)「あやはし館」へむかう。本日最終日の「闘牛写真展」にかろうじて間に合う。突然の参上に闘牛カメラマンの久高さんもびっくりした様子だ。闘牛談義にこれからの闘牛文化の継承などなどしばし立ち話。とって返して那覇市内の安宿にチェックイン。いつもの本屋と映画館併設のショップを巡って沖縄本、沖縄映画の物色。夕食かねていつものカフェ・バー「Kana」へ。店に入ると顔見知りの常連の人に「どうしたの、今日は?」と声をかけられる。ひとしきり飲んで食べて続いては民謡ライブステージ「歌姫」へ。キープボトルを前回飲みつくしてしまったので新ボトルをキープ。琉球民謡聞きながらカウンターで常連の一人客と店が終わるまで談笑していた。宿に帰ったのが午前2時。いやはや一泊二日の那覇の夜はいそがしく飲み廻らなければならないのである。

再オープンのいつものお店を探す

翌日曜日は帰りの便が15時発なので昼過ぎまでが自由時間だ。宿を出て、瀬長亀次郎と民衆資料館「不屈館」へ。ほかにお客さんがいないので館長さんに辺野古や高江の状況や運動の現状をいろいろ尋ねる。ちょうど前日に辺野古新基地工事着工反対集会があり、その様子を聞いて号外新聞をもらう。昼食はいつもの大衆食堂「食堂花笠2号店」。その後は屋台喫茶「ひばり屋」へ向かう。「ひばり屋」は昨年12月に地域開発のため一時閉店。新しい空き地でちょうど4日前に再オープンしたばかりだ。うるおぼえではあるがお店のホームページに書いてあった案内に基いて新しい店の場所を探す。普通では入り込まないであろう民家の間の狭い路地に入り奥へいくと「ひばり屋」の看板を見つける。お久しぶりですと店長にあいさつし、コーヒーで一息つく。

沖縄滞在時間は25時間35分

このあたりで滞在時間切れである。急ぎモノレールで空港に戻り、そのまま搭乗待合室に直行。水筒のコーヒー飲みつつ文庫本読んで搭乗待ち。那覇空港15時に飛行機は飛び立ち、岩国錦帯橋空港には16時50分到着。駐輪場はターミナルビルのすぐ横である。さすがに自転車で飛行機に乗りに来ている人は私以外にはいないようであった。駐輪場で自転車に乗ってアパートへの帰宅時間は17時19分。沖縄一泊二日、滞在時間は25時間と35分の旅であった。まったくこんな気軽に便利に沖縄に行けるとはなんということだ。

これが日常になりそう?

いやまて、これは旅なのだろうか? 旅は非日常の空間と時間を感じるところに楽しみがあるはずだ。一泊二日で、いつもの飲み屋、食堂、喫茶店へ行き、本屋や映画館を巡る。あまりにも日常的ではないか。広島市内あたりに映画観に行こうとか本を買いに行こう、飲みに行こうなどと同レベルではないか。しかも、山口県内に住みながら、県庁所在地の山口市にいくよりも那覇市に行くほうが時間的に近いことにも気が付いた。こんなに沖縄が近くなってよいのだろうか。週末ぶらりと沖縄。これが日常茶飯事となるととんでもないことになってしまう予感がするのでありました。

マスコミ騒ぎはどこの世界の話?

ところで「岩国錦帯橋空港」はご存知の通り自衛隊、米海兵隊共用の岩国基地の一部である。今回のツアーは、日本のマスコミでは「北朝鮮のミサイル」だの「軍事衝突の危機」だの「北朝鮮の挑発」などなど北朝鮮問題というキャンペーンの真っ最中。にもかかわらず、5月5日の基地開放、米海兵隊岩国基地フレンドシップデーのイベント準備や航空ショーの練習などまったく危機感のない自衛隊と米軍の姿を感じ、いかにマスコミ報道が大衆向けの意図的な扇動キャンペーンであることを感じたのでありました。

(追伸)

「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」映画化されてこの夏から上映がはじまります。テレビドキョメンタリーを再編集、さらに多くの証言やエピソードを加え映画化されました。8月沖縄で先行上映。広島でも上映されるだろうか? ぜひ観に行ってください。

まんが 六田修