世論や政策や法律に関して、マネジメントが企業に対し負うべき責任は、社会から企業に対しなされている要求を、企業の目標に直接影響を与えるものとしてとらえることである。すなわち、自らの行動の自由に対する脅威や制約となるそれらの要求を、健全な成長への機会に転化することである。
アメリカでは人口構造の変化が従業員のために何かを行わなければならないという強い社会的要求を生み出すことは、既に10年前に明らかなはずだった。しかしほとんどの企業がこの避けることのできない変化を無視した。
その結果、今日、企業はきわめて大きな負担をもたらす年金制度を受け入れなければならなくなっている。
マネジメントは、今日の行動や決定が、やがて企業や経済の発展にとって脅威となるような世論、要求、政策を引き起こさないようにする責任をもつ。
組織のマネージャーは、その組織の枠組みを超えて社会に対する責任をもたなければならないという前のセクションに続き、社会からの要求に応えないとやがて自分の首を絞めることになるぞと警告しているのがこのセクションです。
アメリカの年金制度の例では、多くの企業が人口構造の変化と言う「すでに起こった未来」を無視したために、あとになって年金制度という大きな負担を強いられることになってしまったと述べ、これからのマネジメントは将来自らの組織や社会に脅威をもたらすような事にならないよう、十分に外を見て意思決定しなければならないということなのだと思います。
さらにドラッカーは「要約すれば、マネジメントは、もしあらゆる企業が同じ経営方針を持ち、同じ意思決定を行ったならば、社会がいかに反応するか、社会がいかなる影響を受けるかを考えなければならない」と重ねて主張しています。
しかし、周りの組織や企業が無視している環境条件を自らに課して活動せよということなので、これはかなりのハンディキャップを持って競争に参加することになり、とても難しいことを要求されていると思います。
理屈は理解できますが、競争相手も自らと同様に社会的責任を引き受けているということが信じられないと、囚人のジレンマと同じように全体にとって必ずしも良いとはいえない選択をしてしまうという事になりそうです。
2013/11/3