社会は企業にとって単なる環境ではない。あらゆる企業のうち最も私的なものであっても、社会の機関であり社会的な機能を果たしている。しかも近代企業の本質が、昨日の企業人に対するものとは性格も規模もまったく異なる責任を経営管理者に課している。
組織の方向づけを託された者、すなわち経営管理者は、他の人間に対して力をもち、社会に対して影響力をもち、さらには、経済、社会、人々の生活を長期にわたって規定する力をもつということである。
いまや経営管理者は、公益に責任をもつべきこと、自らの行動を倫理的基準に従わせるべきこと、そして、公共の福祉や個人の自由を害する可能性があるときには、自らの私益と権限に制約を加えるべきことを要求されている。
本書の最終章は、「結論」として企業や組織の枠組みを超えた社会に対するマネージャーの責任について論じています。
企業は本来社会的なニーズを満たすための存在であり、それは社会の機関であると言うことができます。しかも、昔よりも長寿命化し、組織のマネージャーが行った意思決定は長く影響を与えるようになりました。
それはすなわち、マネージャーは自らの属する組織だけでなく、もっと外側の社会に対しても影響力を持つということになるわけです。それが上記のように「公益に責任をもつ」ことを要求されているということです。
したがって、組織の利益と社会の利益がトレードオフの関係にある場合、社会の利益を優先すべきことを求められていることを忘れてはいけないとしたのです。
最近よく聞く言葉で言うと、「コンプライアンス」というものに近いのではないでしょうか。法令遵守と訳されることも多いですが、もっと広い意味で企業のモラルとか、社会から暗に期待されていることを裏切らないように行動することまで含んで「コンプライアンス」という言葉を使うことが多いと思います。
ドラッカーは1954年時点で、マネージャーは社会に対して責任をたなければならないということを指摘していたのです。
2013/11/2