わずか15年の間に起こった成功から崩壊にいたるフォード物語ほど劇的なものはない。1920年代の初め、フォードの市場シェアは3分の2だった。しかしその15年後第二次世界大戦勃発の頃には、シェアは5分の1までに落ちた。
フォードにこのような危機をもたらしたものは何だったか。ヘンリー・フォードの経営判断の誤りについてはかなり誇張して伝えられており、事実関係も定かでない。
ヘンリー・フォードの失敗の根本は、10億ドル規模の巨大企業を経営管理者抜きにマネジメントしようとしたところにあった。何者にもマネジメントの一員たることを許さないという彼の方針は、フォード創立の頃からのものだった。フォードの役員は、彼のいうままに動く助手でなければならなかった。業務を執行するだけであって、マネジメントすることは許さなかった。
フォードには販売部門以外には経営管理者がほとんどいなかった。優秀な人間は辞めたり辞めさせられたりした。第二次世界大戦が雇用の場を作り出すようになると、経営管理者たちの大量流出が始まった。残った者のほとんどが、他に職を見つけられない人たちだった。
フォード社の歴史については、wikiにも記載されています。そこでも、ヘンリーが息子のエドセルに社長を引き継いだあとも実権を握り続け、社を成功に導いたT型フォードを供給し続けることにこだわり、GMとクライスラーにシェアを奪われていったことが書かれています。
ドラッカーは、このことについて経営管理者(マネージャー)を置かなかったことがヘンリー・フォードの失敗の根本であると分析したのです。
また、「経営管理社をオーナーの手足もしくは助手とする考え方は、あらゆる種類の機関の発展過程に置いてみることができる」とし、自動車製造業に限った特殊な例ではないと、すべての人に警告しているのです。
2013/7/3